HAPPY BIRTHDAY 2 | |
以前、住んでいたのはワンルームの、小さなマンションだ った。新しいところは2LDK。 広くなって喜んだのも束の間、片付け終えて一休みしていた 時の伸の言葉は、秀を悲しみのどん底に突き落とした。 伸はあいつとここで生活すると、そう、言ったのだ。 「もちろん秀も一緒だよ」 そんなの、何の慰めにもならなかった。 とにかくあいつが伸と一緒に居る、そのことだけで俺は頭 に血が昇った。 伸は俺の気持ちを知っていると思っていたのに。 分かってくれてると思ったのに。 目も眩む程の怒りと悲しみを覚え、それでも嫉妬なんて男ら しくない、そう自分に言聞かせて ―― 急用ができた振り をして飛び出した。エレベーターなんてまどろっこしい物は 使わずに一気に階段を駆け下り ―― 8階からだ ―― そのまま外に出て通りを渡ろうとした。 そして猛スピードで突っ込んでくるバイクを目に した ―― 所までしか覚えていない。 それから伸の空を引き裂くような悲鳴 ―― 伸の。 骨折と打撲でしばらくは意識がなく、医者も、もうダメだと いったらしい。伸が徹夜で看病してくれなかったら今頃俺も ここに居なかったろう。 風にあたりすぎたのだろうか、足がずきずきと痛む。 今でも、週に二回程は病院に行っている。 そういえば明日は病院に行くんだった。伸が予約の電語を 入れてたっけ。 秀は軽く足を振ってデッキチェアーから離れ、ゆっくりと ベッドに戻った。 まだ少し引き摺ってしまう左足を見て、伸は眉を寄せた。 「まだ痛むの?…仕方ないか…ひどい怪我だったもんね」 言いながらベッドに体を長らえた秀の首を抱くようにして寄 り添ってくる。 「ねえ秀。僕が一番好きなの、秀だよ、分かってるだろ? …今日はね、誕生日なんだ。だから特別なの」 秀の鼻先を軽く突く。 そうか…そういや、そんなこといってたな。 今になってやっと思い出す。…しかし、やはり、どうでも良 いことだった。 「君によく似てるよ、大食いで。僕ってそういうのに縁があ るのかなあ?」 くすくす笑いながら抱き締めてくる。 秀は全身がぞくぞくする程の喜びに、今にも叫びそうにな りながらも、ぐっと堪え、そっと抱き返した。 「いい匂いするだろ? 秀も一緒に食べようね。今夜はご馳走 だよ」 子供扱いした言い方はやめてほしいと思いながらも、その 提案には否やはなかった。 これであいつがいなきゃもっといい。 「だからさあ、妬かないでよ、ね? 秀、大好きだよ」 きゅうっと抱き締めてくる。 秀は幸せの余り、気が変になりそうだった。 先程までの怒りも、一瞬ではあるが、忘れた。 うっとりと目を閉じて伸の髪に顔を埋める。 今朝、洗ったばかりのその髪からはシャンプーの良い香りが した。 嬉しくて何か言ったらしい。何甘ったれた声出してんのさ、 笑いながら伸がいうのを、夢の中で聞いていた。 呼び鈴の軽い音に続く、伸の声に、秀は目をさまして、体 を固くした。 間違いない、あいつの声だ。 秀は血が逆流する思いだった。 そうだ、そもそもベッドに戻ったのは眠るためではない、 あいつに ―― あのヤローをキュウという目に遇わせて やろうと、そのための方法を考えるためだったのだ。 なのに俺ときたら…! 伸に抱かれてつい有頂天になって しまつて…。 隣からは楽しそうな笑い声が響いてくる。 秀は泣きたくなった。伸があんなに楽しそうに笑っている。 もし、足がこれほど痛まなかったら、おもいきリ蹴を入れ てやるのに。 伸は俺のもんだ。あんな、どこの馬の骨とも分からない奴 になんか、伸は渡さない。 クッションに爪が食い込む。 泣き叫びたいのを堪え、わめきたいのを堪えて秀は、遣り切 れない想いをクッションにぶつけていた。 急にドアが開いた。 「あ、なんだ、秀、起きてんじゃない。来なよ、大好きなケ ーキがあるよ」 行きたくは、なかった。なかったけれど、しかし、ケーキ ―― そして、ローストチキンの匂い。 リビングでは、あいつが椅子に座り、傲然とこちらを見て いる。俺も、見返してやった。ついでに、鼻をふん、と鳴ら すのも忘れなかった。 それだけだった。これ以上、あんな奴と関わる必要など、 どこにあろうか? テーブルにはご馳走が所狭しと並んでいる。 大好きな、生クリームのたっぷリとかかったケーキ、そして それ以上に大好きな、ローストチキン。 俺はあいつの皿のローストチキンを奪い取ってやつた。 なぜなら、それが一番大きかったからだ。 「あっ!」 「秀! 駄目だよ、それは!」 二人の声が同時に上がり、そして秀は脇腹をつよく掴み上げ られて悲鳴を上げ、その場にへたリこんだ。 「まったく、お行儀悪いなあ。今、上げるよ。君ねえ、まだ 完全に治ってないんだよ? ちゃんと切って上げるから待っ てな」 伸はくどくどと言いながら、チキンを小さく切り分けてい た。 秀は、自身もすっかり忘れていたのだが、事故の時に顎も 強く打っていて、今も、固いものや大きいものは食べられな いのだ。 情けない。秀はうなだれてケーキを食べながら、伸の手元 を見つめていた。あいつに対しては優越憾を持って。 あいつに対して言いたいことは山ほどある。しかし、今は 目の前のご馳走を平らげる方が大事だった。 もっとも、それらはみな、食事制限のある秀のために特別に 作られた、薄昧のものばかりだった。 「我慢してね、秀」 伸が、それでも今日は特別なんだよ、といいながら切ったチ キンを皿に乗せてくれる。 「ほんとならケーキは良くないんだよね。だから少しだけだ よ。一度弱った内臓ってなかなか元に戻らないんだって。 また入院すんの、嫌だろ? …物足りないだろうけど、我慢 してよ、ね?」 伸はいつも、なんて優しいのだろう。 秀にとっては、その言葉だけで十分に満足だった。 さらに、奪い取った、一番大きなローストチキンは結局秀の ものになったのだから、なおさら満足だった。 next |