君とともに
色とりどりの野菜が華やかに店先を飾る。一騎は八百屋の前で長いこと考え、色の鮮やかなニンジンとキャベツを手に取り、籠に入れた。
他に何か、と考える。
豆類はどうだろう。
消化に悪いかもしれない。煮れば大丈夫かな。
他に野菜をいくつか買い、急いで家に帰った。
「ただいま、総士」
戸を開けながら声をかける。
卓袱台の影から覗く、茶色の小さな頭に一騎は噴出した。
やはり、警戒態勢に入っていたようだ。
「俺だよ、総士。遅くなってごめん、すぐ飯にするからな」
『総士』は卓袱台の下にいったん隠れ、再び、姿を現した。
垂れ下がった長い耳が、ひくひくと動く。
そして、次にふさふさの毛に覆われた、丸い足と長いかかとが、たん、と床を叩いた。
どうやら、怒っているらしい。
「悪かったよ。だからすぐに作るから」
一騎は卓袱台の影から出てこない総士を抱き上げた。
自分の身長の半分もない総士を抱き上げ、その丸い尻を手の平に包み込む。
総士は鼻を肩に摺り寄せてきた。
下半身うさぎの彼に会ったのは、まだ最近のことだった。
竜宮島を取り巻くいくつかの小さい島のひとつ、本当に何もないかのような孤島の地下深く、施設の中に、彼はいた。
案内してくれた遠見千鶴は、入り口で立ち止まった。
「ここから先、何を見ても驚かないでね」
その時点で、覚悟はしていたのだけれど。
中に入って、一騎は驚かないわけに行かなかった。
いくつかの広間のような部屋が簡単な柵で仕切られている。
その中の、囲いの中に。
ウサギがいた。それも、上半身は人間の。
彼らは小さな囲いの中で、まるで子供のように積み木を転がして遊んでいた。
囲いの中に三人、ケージの数はもっと多いから、本当はもっといるのかもしれない。
「彼らは」
千鶴は声を落とした。
「もう半世紀以上も前に、遺伝子療法…例えば、がんをなくしたり、病気に強い子供を作ろうとしたり…その過程で生まれてきた者たち、なの。
ウサギを使った実験の過程で、と聞いているわ。詳しいことは分からない…」
当の研究者が資料もろとも海の底に沈んでしまった今となってはすべてが謎のままだ、と千鶴は首を振った。
「日本にはいなかったんだけど…いつの間にか、紛れ込んでたのね。発見されて、ここにつれてこられた」
日本が消え、今の竜宮島だけになってしばらくしてから船にまぎれていたのが発見されたという。
病気は強かったが、繁殖能力は弱いようだった。
「突然変異には良くある話なんだけど、彼らもまた似た感じかしら。不思議なことに女の子が生まれにくいのよ。ほんとにまれにしか。そのせいもあって増えないの」
それでも、その愛らしさから一部の国では増やそう、と言う試みもあったらしい。
もっとも、そのような計画も打ち続く戦争でいつしか忘れられた。
一部の研究機関にわずかに残るだけになったという。
「愛玩用として引き取られていった子もいるわ。でも、もともとが愛玩用ではないから余り懐かないのよ」
信じられない光景に、千鶴の言葉は右から左へと流れて言った。慌てて聞き返し、そしてまたウサギたちを見た。
本当に彼らをウサギと呼んでいいものかどうか迷いながら。
一騎は胸元にもたれる茶色の頭を撫でた。
「本当に悪かった…遅くなってごめん」
ぎゅ、と袖が掴まれる。その感触に、じわりと涙が滲んだ。
愛しい、と思った。
自分に信頼を寄せてくれる、この小さな存在が。
もたれかかる重み、温かさ、小さな鼓動が愛しくてたまらない。
袖を掴む小さな手を撫で、一騎はエプロンの中に総士を包み込むようにすると食事の支度に取り掛かった。
「今夜、お前何がいい? キャベツゆでるか?
それともニンジン?」
あれこれと考えながら、時おり、とんとん、と軽く総士の背中を叩く。
シャツ越しに響く、総士の鼓動が心地良い。
「あなたは次期司令に、と推されている人よ。
この子達のことを知っていて欲しかったの。
彼らは私たちのエゴで生まれたようなものよ。でも、それでも生きてる。……私たちは…彼らの生に責任があるのよ」
その言葉は、一騎には重く響いた。
自分たちも、遺伝子を工作することによって生まれている。
事情はどうであろうとも、遺伝子を操作されている、という事実に変わりはない。
その時のことを思い出しながら、総士を抱き締める。
とくとくと響く心音は、確かに彼は生きているのだ、と。ここに在るのだ、と知らせてくれる。
一騎は総士の頭を撫で、買いものかごから野菜を取った。
広間には隅の方にケージがあり、そこにもうさぎはいた。
ケージの奥で小さく体を縮めてこちらを伺っている。
横じまの小さなTシャツを着せられ、細い首輪をしていて、そこに「総士」と彫ってあるのが見て取れた。
「…先生…あれは?」
「ああ…」
千鶴は小さく息を落とした。
「綺麗な子なので何度も引き取り手が現れるんだけど、その度に戻されるの。懐かないのよ」
「…懐かない…」
「正確には管轄外なので私も詳しく知らないけど…臆病なのかしらね?
まだ子供だからもう少し辛抱してもらえれば、と思うけどどうにもならないわ。…一騎君、抱いてみる?」
ケージから出された小さなうさぎは震えていた。
「怯えなくて大丈夫よ、いい子、このお兄ちゃんが抱っこしてくれるわ」
その言葉に苦笑しながら総士を抱き取り、その温かさに思わず頬を摺り寄せていた。
温かくて、毛はふわふわと柔らかく頬に優しく当たる。
まだ体は小さく震えていたけれど、撫でているうちに少しずつそれが収まってゆくのが感じられた。
「…先生…この子…俺が飼ったら駄目ですか?」
千鶴は眉をひそめた。
「……飼うのは反対ね。その子はペットであってペットではないのだから」
「……」
その言葉の意味を考え、そして、言い直した。
「えっと…その…うちに連れて帰って…だからつまり一緒に暮らしたら駄目ですか?」
そうして、連れてこられた『総士』は、始めはなかなか慣れなかった。食事もなかなか摂ろうとせず、作ってやった寝床にさえ入らず、部屋の隅に毛布だけ引き込んで小さくなっていた。
一騎もまた、辛抱強く彼に付き合っていた。
できる限り家にいるように、それも、総士の傍にいるようにして、
数日後、自分の部屋の机で宿題をやっていた時――― 足にかかる重みに気がついた。
総士がもたれて眠っていた。
その時の、何ともいえない喜びは、今でも忘れられない。
人には懐かない、と言われていた彼が、一騎の足の甲に頭を乗せてぐっすりと眠っている。
小さな手は足の指にくったりとかかっていた。
今までそんなことはなかった。
足にかかる重みが、自分に寄せる信頼の証しのように思えて、嬉しくて堪らなかった。
「総士。ご飯、出来たぞ。
今日は父さんも遅いし、二人で食べよう」
二人で食事をし、テレビを見、風呂に入る。
彼らは人間の子供並みの知能は十分にある、と千鶴は言っていた。
「教えれば大概のことは覚えるし、言葉ももちろん、話せるわ。ただこの子の場合、今まで里親に恵まれなかったせいもあって遅れてるんだけど」
確かに、引き取られてもすぐに戻されるような状況では何かを覚える間もなかったろう、と思われた。
実際、彼はここに来てわずかの間と言うのに、かなりいろいろなことが出来るようになっている。
今も、台所を片付けているとズボンをくい、と引っ張ってくる。
「うん?」
見ると、総士が両手に湯飲みを二つ、重ねて持っていた。
一人で流しに置くつもりだったらしい。が、いかんせん、背の低い総士にはどうにもならなかったのだろう。
精一杯伸び上がり、そのかかとはぶるぶると震えている。
一騎は屈みこみ、湯飲みを受け取った。
「ありがとう、総士」
総士はと言えば、目を大きく見開いたまま、はっはっと肩で息をしている。かなり頑張った結果だったらしい。
一騎はその肩を抱き取り、大きく喘ぐ背中を撫でた。
「ごめん、すぐに気付かなくて。ありがとう、ありがと総士。でもそんなに頑張らなくていいよ」
最後の言葉は、自分でも驚いたことに震えてしまっていた。
「今度、台を置こうな。ありがとう、手伝ってくれて」
思わずきゅう、と抱き締めていた。彼からも、一歩、また一歩と歩み寄ってくれているのが分かって、嬉しかった。
何よりも、自分がそれを激しく求めていたことに気がついて愕然とした。
ケージの中で怯えたような目でこちらを見た総士を見たとき、その愛らしさに魅かれると同時に、こんなにも愛らしい彼を懐かないと言う理由で放り出した者を憎んでいた。
その時、自分はもしかしたら彼に対し、いくらかでも驕った気持ちを持ってはいなかっただろうか。
彼を、救った気になってはいなかっただろうか。
救われたのは、自分の方だ。
癒されたのは自分自身だ。そして、寂しかったのも、怯えていたのも。
「総士…寝よ」
布団の端を上げる。総士はしばらく布団の脇に佇んでいたが、やがて、思いきったようにそろそろと入ってきた。
もそもそと動く総士の体を抱きこみ、鼻をつき合わせる。
きょとん、とした総士の大きな瞳が暗がりの中でぼやけて見えた。
「総士。今度、お前にもアルヴィスの服、作ってやるな。で…二人でアルヴィスに行こう。昼間、お前が一人でいなくてすむように」
そして、自分が寂しい思いをしないように。
いつも傍らにいる小さな存在が永遠であるようにと、夢の中に沈みながら一騎は祈っていた。
John di ghisinsei http://yokohama.cool.ne.jp/gisinsei1129/
2007/01/17
このお話は「アルプスの一角」の大のさまに捧げます〜v
いつもうさ総士に癒されてます! ありがとうございます!!