特別
人参を刻み、キュウリに飾り包丁を入れる。
果物もあった方がいいだろう、とリンゴなども用意してあった。
棚を漁り、切り子細工のグラスを引っ張り出す。
良く洗ってそこに出来上がったスティックをさすとそれらしくきれいに見える。
結構サマになってる。
一騎は満足して何度も一人、頷いた。
足下にいる総士が首を伸ばしてふんふん、と鼻をひくつかせている。
一騎は笑いかけた。
「今夜はおまえの好物もあるよ。お客さん来るからね。一緒に食べよう」
「お客さん? ともだち?」
「そう、父さんの友だち」
その声に応えるように史彦が顔を出した。
「……それは……今夜のつまみか?」
意外そうに呟く。日本酒に野菜スティックは似合わないかもしれない。
「他にも用意するよ。いいから協力して」
「あ……ああ、判った」
先日、アルヴィスに連れて行ったときに、カノンたちに追いかけられて以来、一騎はまだ総士をアルヴィスには連れて行っていなかった。
必死に逃げていた総士の引きつった顔を思い出すと連れて行けなかった。
総士はまだきっと人慣れしていないのだ。
おそらく、自分にも原因がある。滅多に誰にも会わせなかったのだから。
時々家に溝口がやってきても、総士は二階から出さないようにしていた。あえて会わせなかったのだ。
おびえる、と思ったからだったが、今にしてそれが間違いだった、と後悔していた。
普段から普通に他の人にも接していればあるいはあのようなことにはならなかったかもしれない。
総士は懐かない、という理由で何度も戻された、と聞いた。
確かに、人見知りは激しい方かもしれない。けれど、それ以上にこちらからそのチャンスを与えていないだけ、かもしれなかった。
溝口にも事情は話してある。いきなり驚かせるような真似はしないだろう。
もし酒が過ぎて騒ぐようになったらそのときには総士を二階に連れていこうと思っていた。
和え物やきんぴらなど、つまみになりそうなものをいくつか作り、小皿に取り分けて並べる。総士は興味深そうに見つめている。
と、いきなり飛び上がり、一騎の後ろに回りこんだ。
「どうかしたの?」
驚いてそうしを見る。すぐにそうしが驚いたわけが判った。
どたどたと荒い足音とともに溝口の明るい声が響く。
「ようっ!」
片手を上げ、土間にいた史彦の肩を叩いて横を通り過ぎ、ずかずかと上がりこむ。
相変わらずだった。
「こんにちは、溝口さん。ほら、総士、溝口さんだよ。父さんのともだち」
「ほう。その子が総士くんか。話は聞いてるよ」
行儀悪く畳に腹ばいになると一騎の足の後ろで縮まっている総士の足元まで這ってきた。
「溝口さん……」
「総士くん、こんにちは! 今日は一緒に飲もう、な?」
「……」
総士の方は相変わらず一騎の足にしがみ付いたまま、それでも小さく、こく、と頷いた。
「おお! そうか、よしよし」
何がよしよし、なのかはよく判らないが、乱暴に頭を撫でられてもそれ以上逃げるでもない。
一騎は少々驚いていた。
触れようものなら跳んで逃げる、と思っていたのだ。
「へえ。溝口さんだと逃げないんですね」
思わず口に出してしまっていた。
溝口は腹ばいになったまま見上げてきた。
「うん? なんだ、他の人だと逃げるのか?」
「っていうんじゃないんですけど。ちょっとまあ……逃げたことがあったので」
「ふうん。そりゃあ、なんか驚くことでもあったんだろう」
溝口のあの登場の仕方も充分、驚くことではないのだろうか、と思いつつもちゃぶ台につまみを並べる。
史彦もその頃には手を洗い、酒を温め始めていた。
「さ、おじちゃんと向こうに行こう」
溝口はそう言うと一騎の足元から総士を引き剥がすとその太い腕に軽々と抱き取っていってしまった。
一騎が何かいう間もなかった。
それでも総士はすぐに逃げてこちらにくる、と一騎は思っていた。
が、総士はそのまま、溝口の膝の上でニンジンなどかじっている。案外と楽しそうなその様子に、驚いてしばらく眺めてしまっていた。
やがて、はっとしてたずねる。
「……溝口さん。溝口さんは……彼らのこと、どれくらいご存知です?」
「うん?」
溝口はお猪口を手に振り返る。その向かいに座っていた史彦が、
「どのくらいか話してやるといい」
と、言った。笑いを堪えている様子だった。
溝口は笑った。
「あの研究所に彼らを集める役目を負ったことはある。その程度さ」
「え」
それでは、かなり前から彼らの事をよく知っていたことになる。
「戦争でめちゃくちゃになった町から彼らを探してきたりしたな。ペットとして連れて行かれたまま、戦争で放置された連中も多かったんだ」
「そうだったんですか……」
もしかしたら、その中には総士の母親も含まれていたのではないだろうか。ふと、そんな気がした。
話している間、総士は溝口の持っているものに興味を持ったのか、小さな身体を伸ばして中を覗きこもうとしている。
溝口は笑いかけた。
「これか? ほれ。これは酒、ってんだ」
「さけ?」
目の前に出されたぐい呑みの中をふんふんと鼻をひくつかせて匂いをかいでいる。
「飲んでみるか?」
小さな器に酒をついでいるのを見て、一騎は、
「ダメだよ、溝口さん、未成年なんだから」
と、軽く言った。総士が飲むはずがない、と思っていた。
が、総士は最初のうちは匂いを嗅ぐだけだったのが、ちょこっとなめ、それからくいくいと飲み始めた。
「おお。いける口だな、坊や!」
「ちょ、ダメですって!」
一騎は慌てていた。
飲めるはずがない、と思っていたのだ。しかし、味覚が自分たちとは違うだろうことは失念していた。
「酒は甘いからな」
父の言葉に首を傾げる。
「甘い? 辛いんじゃなくて?」
などと言っている間に総士はさらにお代わりをねだっている。
「いいねえ、坊や。坊やと酒が飲めるとは思わなかったよ」
溝口は上機嫌で酒をついでいた。
「ちょ、溝口さん!」
「なぁに、大丈夫だ、少しだから」
総士もまた、嬉しそうに溝口の手元を見ている。
「総士、ダメだって」
一騎が言っても構わずにくいくいと飲んでいる。
早くも目元がうっすらと赤くなっている。
「ほんとにもうやめてください、総士はこういうの慣れてないんだから」
「そのうち慣れるって」
わははと笑う溝口を見て総士もまたけらけらと笑っている。
「……総士……」
すでに酔っているのではないだろうか。
見ていると野菜スティックをとろうとする手元もなんだかあやしい。
「総士、もう本当にそこまで。な?」
細く切ったニンジンをくわえ、振り返ったその目が座っている。
「あーあ……酔ってるよ……」
見れば身体の方も揺れている。
「なに、少し休めばいい。総士、おじちゃんのとこにおいで」
溝口が笑いながら乱暴に肩を引き寄せ、膝に座らせる。総士はそのまま、もたれ掛かって眠ってしまった。
「いいではないか、少しああやって休ませておけばそのうち酒も抜ける」
思い切り頬を膨らませた一騎に、史彦はそういって笑いかけた。
「たまには羽目をはずすのもいい。お前のようになんでもかんでも駄目駄目ばかりでは総士くんも息が詰まるだろう」
「……」
父らしからぬことを言う、と思った。たぶん、父もすでに酔っているのだ。
「こんなことばっかりやってると不良になります」
抗議すると、溝口はからからと笑った。
「確かに酒はな。特に彼らは酒はクセになるらしい。詳しくは知らんが。しかしな」
今度は真顔になって、
「お前は少し神経質になりすぎだ。彼らを特別扱いするのはある意味、差別だぞ」
「そんな。特別扱いなんか」
「じゃあ、何故アルヴィスに連れて行かないんだ?」
「それは……追いかけられて怖い思いしたから……」
「だからこのままずっと連れて行かないのか?」
溝口はきんぴらを頬張りながら、どうなんだ、と畳み掛けてきた。
「怖い思いした、っていうのも経験だろう。そういう経験を積んでいかせないといつまでたってもここには馴染めないぞ」
「はい……それは少し反省もしてますけど」
確かに、溝口の言うことももっともなのだ。
あのようなことがあったから、といって、だから家にいつまでも引っ込んでいていい、というものでもない。
「なに、彼らも普通に人間と同じだ」
史彦が今度は言った。
「お前が大事にする気持ちはわかる。しかし大事にすることは真綿で包んでしまいこむことではないだろう」
「……ん……うん……」
溝口の膝で寝息を立てている総士の顔を見つめながら、ついさっきの光景を思い出していた。
突然に大声を上げて入ってきた溝口を見たときの、驚愕に見開かれた目。
乱暴に、引き剥がすように一騎の足元から連れて行かれたときの総士の表情。
初めて彼がこの家に来た時はどうだったか。
初めて自分に接した彼は。
そして。一騎はようやく悟った。
溝口は誰にでも接するように総士に接したのだ。
どこの誰であろうとこうするのだ、と。
そして総士はそれを敏感に感じ取ったのだ。
自分は、自然に振舞ったつもりで、どこかで彼に対し、構えていたのだ。無意識に、とは言わない。
自覚していた。自覚しながらそれを否定し続けていた。
だから、自分に懐くのに時間のかかった総士が、溝口には一瞬で懐いたのだ。
「どっちしても」
一騎は言った。
「酒はダメだから。未成年だし」
そういうと溝口の膝から総士を抱き取る。ついでにちゃぶ台の上の野菜スティックが入ったグラスも。
「あ、それ持ってくの?」
「ええ。これは総士のために作ったんだし。じゃ、俺寝ます。後片付けよろしく」
何となく悔しくて、あとは丸投げにして部屋を出、階段を上る。
くったりとした重みが肩にかかる。
溝口のいうことは全てわかっていた。頭でわかっていても、行動が伴っていなかった。
どうしても彼を特別な存在と見、だから、と大切にくるんできてしまっていた。
それではいけないのだ。それでは先に進めない。
「判ってたんだけどな……」
思わず呟く。肩の上で総士が動いた。
「あれ? 一騎」
「あ、起きた?」
「おさけ……」
「お酒はダメ、あれは大人になってから。さ、寝るよ、総士。野菜スティック持ってきたから、お腹空いたらそれ食べていいよ」
総士はまだここがどこなのか、よく判っていないらしい。一騎は構わず布団を敷き始めた。
溝口や父のいうことは良くわかる。今のままではいけないことは、一騎自身が良くわかっている。
だから、明日はアルヴィスに連れてゆく。
「明日はアルヴィスに行こうね」
「うん?」
とろん、とした目を向ける。
「明日は一騎と一緒にアルヴィスに行こう、って言ったんだ。お友達にも会わなくちゃね」
「うん」
頷く総士に、一騎の方が驚いていた。いやだ、という返事を想定していた。
総士を抱いて布団にもぐりこみながら、おいて行かれてしまった自分を感じて少しだけ、寂しくなる。
それでも。
総士が彼らのいう特別とは別の意味で、一騎にとって特別であることに変わりはなかった。
John di ghisinsei http://ghisinsei.sakura.ne.jp/
2010/04/05