伝説・2






 
  公園の緑の向こうに、海が明るく輝いている。
強い日差しを避け、一騎は、美久を木陰に連れて行った。
 「あー。けんにいちゃん、きたよ」
美久の嬉しそうな声に振り返ると、赤ん坊を負ぶった剣司がこちらにやってくるのが見えた。
軽く手を上げ、負ぶっていた赤ん坊を下ろす。

 「よう、一騎。総士は?」
「買い物出てる。カノンと一緒に」
「へえ。…美久ちゃん、こんにちは。大きくなったな」
「こにちわー!」
顔中で笑いながら、ぺこり、と、頭を下げる。
剣司は微笑み、美人になった、と呟いた。

 「…咲良は? 元気?」
「今のとこ、何とか。今日もおふくろさんが行ってるよ。…もしかしたらその内、出て来られるかも、だけどな、まだわかんねぇ」
地面に下ろされて、よちよちと歩く子供を見つめ、呟くように言った。
 
 剣司が、咲良との間に人工授精でもうけた子供が生まれたのは、祐哉が生まれて間もない頃だった。
 人工授精に、人工子宮、という形であれ、無事に生まれた時は剣司も泣いて喜んでいた。
男の子で、栄治と名付けられた。
それは表向きの名前で、本当の名前は、字が違う。
衛治と言うのが本当の名前だ、と、剣司は言っていた。
 衛の事を、忘れたくなかった、と。
その気持ちも、痛いほどに分かる。
「本当はそのままの字にしたかったけど…衛の父さんが知ったら辛いだろうな、って思って」
そう言って剣司は泣きそうな顔で笑った。

 よちよちと歩く栄治を、美久は、いかにもお姉さんらしく、手を引いて一緒に歩いている。
その顔は得意げだ。
「これはね、さわっちゃ、いたいいたいするからね、ダメなの!」
バラの植え込みに行こうとした栄治の手を引いて、その手を、ぱし、と叩く。
栄治は、うえ、と声を上げて顔をゆがめた。
「あ、ごめんね、いたかった? ごめんね、えいちゃん」
今にも大声で泣きそうな栄治の頬を、不器用に撫でる。
剣司は笑った。
「美久ちゃん、面倒見、いいなあ。祐ちゃんの面倒も
良く見るだろ」
「うーん…まあな」
苦笑した。
見る、と言うよりも、面白半分にいじくっている様子で、よく泣かせている。
「お姉ちゃんぶってるだけでさ…でも、口調が総士にそっくりになってきた」
「うん…やっぱ、そういうとこ、似るだろう」
「栄ちゃんは…どっち似だ? …咲良かな」
「うーん…おふくろさんは咲良の赤ん坊の頃にそっくりだって。写真、見せてくれた」
「似てた?」
「うん。瓜二つ、って奴? 気味が悪いくらい。
俺の子なのに」
「…種が違ってたりして」
「ふざけんなよ」
膨れた剣司に、一騎は、声を上げて笑った。
 それでも、栄治の眉のあたりは剣司に良く似ている。
大きくなったら剣司のようになるのだろう。

 やがて、美久と栄治は草むらに腰を下ろして遊び始めた。
何が楽しいのか、二人で草をむしっては声を上げて笑っている。
栄治の、甲高い、赤ん坊特有の笑い声が耳に心地良かった。
こんな声を、ここ数年、誰も聞くことはなかっただろう。

 「仲いいなあ」
くす、と剣司は笑った。
 実際、二人は会えば良く遊んでいる。
「将来、栄治の嫁さん候補にしといてやるよ」
「断る」
ふん、と一騎は笑った。
「美久は結婚させないもん」
「はあ?」
「あいつはいいの。ずっと俺の傍に置いとくの」
剣司が、はあ、とため息を落とす。
「…やっぱ…そうなるか…総士が言ってたけど」
「え? 言ってた?」
初めて聞いた。
剣司は笑って頷いた。
「こないだ、買い物で会った時な。
お前がめちゃくちゃ可愛がってて、この分だと嫁に出せない、って」
「嫁って…何年先の話だよ。冗談じゃないよ」
言いながらも、今すぐでも取り上げられてしまうような錯覚に陥る。
「勘弁してくれ。絶対にやだ」
「じゃ、婿は?」
「婿とか何とか、そういうんじゃなくて。
…男は近寄らせない」
「…栄治は思いっきり近づいてるけど?」
「あと十年だな。十年後には近寄らせない」
大きくなった美久が、誰か他の男性と一緒にいるところを想像しただけで、頭に血が上る。

 美久は、特別なのだ。
どこかに、根拠のないそんな思いがある。
 剣司は、大声で笑い、その声に、美久も栄治も振り返った。
「…お前…ばっかじゃねえの? まあ…いいけどさ」
くすくすと笑い続ける。
剣司の笑い声を聞きながら、あと十年というと、栄治も十一歳か、と思う。
  
 昔の雑誌に、十歳で子供を生んだ例が載っていたことを思い出した。
また、昔の日本では男女七歳で席を分けたものらしい。

「…うん。あと、五年だな」
「あ? 何が?」
「栄ちゃんが近づけるのもあと五年ってこと」
「はいはい。分かったよ」
呆れたように剣司は土管に座って笑い続けている。
ふと、笑いを治めた。
「…遠見も…子供、作りたいらしいな」
「ふうん…」
興味はない。
一騎は、草むらで草の実を取るのに夢中になっている子供たちを眺めていた。
剣司は、呟くように続けた。
「遠見先生の研究って…つまりは遠見にまともな子供、作ってやりたかったからじゃねえの?」
子供たちを見ながら、遠慮がちに言う。

 剣司もまた、総士のことは良く知っている。
一騎が今でも遠見千鶴に不信感を抱いていることも、その理由も、良く知っていた。
 「まともな子供って…うちの子供からデータ取ってるくせに」
「…仕方ないよ、そのくらい。うちだってそうだもん。
でも、それがないと次に続かないんだからさ…」
「分かるけどな…」

 それにしても、と、未だくすぶる不満をぶつけようとした時、後ろから総士の声が聞こえて、飛び上がるほど驚いた。

「…どうした?」
本当に、文字通り跳ね上がったことに驚いたのか、総士は眼を丸くしている。
祐哉は、カノンが抱いていた。
「いや…話してただけ。カノン、ごめん…またバテたの?」
カノンは苦笑して頷いた。
「総士も本当に体力なくなったな。自分の子供くらい、抱いていられなくてどうするのだ。
母は強しと言うそうだが…軟弱な」
「ごめん、ありがとうな」
 カノンは、もちろん、冗談で言っている。

 最近、ころころに太ってきた祐哉を抱くのは、一騎にとっても疲れる。
まだ完全に体力を取り戻せないうちに次々に出産した総士の体には、応えるのだろう。
ベビーカーという物が限られた場所でしか使えないこの島は、その点が不便だ。


「総士、一騎の親ばかぶり、見せてもらったぜ」
「うん?」
「美久ちゃんを嫁に出さないとか言ってるよ、今から」
「ああ? うん」
総士は笑って、
「嫁に行けなかったら逆に困るのだがな。
…美久もお父ちゃんのお嫁さんになる、とか言ってるし」
「ふうん…いいじゃん」
「剣司は…二人目は…出来そうか?」
「さあ?」
両手を広げてみせる。
「作れたら作りたいね。…こう言ったらなんだけど…
生きてるうちにね。総士、お前ももっとガキ、産め。
この島を子供だらけにしてやろうじゃん?」
そう言って笑った剣司の顔は、言葉とは裏腹に、どことなく寂しそうなものに見えた。
総士は優しく微笑みかける。
「作れるさ…お前なら。咲良ももう…きっと、大丈夫だ…」
それは、慰めなのか、あるいは。

 一騎は子供たちと遊んでいるカノンの背中を眺めた。
カノンもまた、子供を希望している。
それは、羽佐間容子の強い希望でもあった。

 ふと、総士を振り返る。
最近、また、ふっくらとしてきたように見える。
もしかしたら、三人目が、という気が、しないでもない。
総士はまだ何も言っていないけれど、もしかしたら、という、勘があった。
 
 こうして。
この島には、新しい命が次々に誕生することだろう。
それはこの島に住むものすべての希望であったと言っても過言ではない。
 まさに、そのためにこそ、自分たちは存在したのだ。
止まってしまった輪を、再び動かすために。


 「おとうちゃん」
美久がいつの間にか、足にすがり付いてきていた。
何かを持っている。
「これ、あげる」
「うん?」
それは草の実をつなげたものだった。
「これね、かんむりなの。おうかん、なの」
「王冠?」
「うん。こないだ、えほんにあったの。きんいろの、かんむり」
「ありがと…じゃあ…お母さんには? 首飾り、作らなくちゃね」
「うん!」
美久は、元気良く、草むらに走り出す。

 草が、ざわめく。
その向こうに見える海は、かつてと変わらずに輝いている。
それらは、何が起ころうと、変ることはない。
変ったのは、自分たちの方だと気が付いたのは、あれは、いつのことだったか。

子供たちの声が風に乗って響き渡る。
その声は、はるか彼方にまで、届くことだろう。

 一騎は草の実で作られた冠を頭に載せてゆっくりと、子供たちの方へ歩いていった。
 












John di ghisinsei http://yokohama.cool.ne.jp/gisinsei1129/

2005/06/06
早いものですねー…
このシリーズ始めて2ヶ月以上になるんだ…
ちょっとびっくり。

剣司の子供のことはぜひ書いておきたかったので。