SONATINA
Procyonの六原様に捧げて。
家に帰ると、猫がいた。
「え?」
一騎は、しばらく土間に置かれた箱の前で動けなかった。
子猫が、いる。
白と黒の、ぶち猫だ。昔の漫画の中の、のらくろというのに似ている気がしなくもない。
ダンボールに入れられた子猫は、にゃーとも、ぎゃーともつかない、奇妙な声でしきりに鳴いていた。
「…本物の…猫…だよな…」
呆然としていると、総士が手に小さな器を持って出てきた。
「お帰り、すまんな、ばたばたしてて。
さ、一騎、遅くなって悪かった。ご飯だ」
「え?」
今、総士はこの猫をなんと呼んだろう?
「総士…ね、この猫、何?」
総士は、ああ、と言った。
「今日、港でもらったんだ。
船の中で生まれたらしい。可愛いだろう?
まだやっと離乳食なんだ」
「…あの…それはいいけど…今…なんて呼んだ?
この猫のこと…」
「うん? ああ、かずきだ」
「…………………………………」
何を、どういっていいのか分からず、沈黙してしまった。何か、言わねばと思いつつも、言葉がなかった。
また頭痛の種が増えた…。
そういえば、前に、どこかで可愛い猫の絵を見て、猫が欲しい、と言ってはいた。
そして、一騎という名前を付ける、と。
まさか、実行に移すとは思っても見なかった。
父が何か言うかと思っていたが、何も言わず、食事中、膝に猫を乗せて相好を崩している。
「またなんだって俺と同じ名前付けるんだよ。
紛らわしいじゃん」
総士は、大真面目に頷いた。
「大丈夫だ。お前のことは漢字で呼ぶから」
「分かるかっ!」
「冗談だ。しかしな。かず、というのも安直でいやだな」
「…今の名前は安直じゃないのかよ」
「お前は自分の名前を安直だというのか?」
「…そういう問題じゃなくてさ…」
こいつと話すといつも論点がずれる。
一騎は、盛大にため息をついて茶碗を片付けた。
家の中が、急に賑やかになった。
「かずき!」
猫のかずきが叱られるたび、自分のことかと思ってどきり、とする。
「またこんなところにおしっこしてっ!」
「……総士…頼むからそれ、やめて…」
「いや、きちんと躾けなくては」
「うん…躾けはいいんだけど…その…俺がおしっこしたみたいじゃん…」
しかし、総士はもう、聞いてはいなかった。
かずきを猫用トイレに連れて行き、
「ほら、ここがトイレだ、かずき。分かったか?
今度からここでしろよ?」
子猫の首を捕まえて、鼻先をトイレに突っ込んでいる。
「猫の躾けは難しいな。
しかしトイレはしつけてあるという話だったのに」
「猫って環境の変化に弱いって言うから…それでじゃないの?」
「ああ…そうか。かも知れんな」
猫の飼い方のファイルを、真剣に見ている。
総士がこれほど真剣になったのを、久しぶりに見たような気がする。
料理をする時よりも真剣な目つきでファイルを読んでいた。
「五ヶ月、か。もうじきだな」
ファイルを見ながら、呟いている。
「何が」
「かずきの去勢だ」
「………猫の話だよね………」
思わず、股間を押さえて言う。
総士は笑った。
「お前もして欲しいか」
「冗談じゃない!」
まったくもう。
それでも、足元にじゃれ付いてくる小さな子猫を見ていると気持ちが癒される。
「かずき。お前、俺の留守の間、総士を頼むよ。
俺と同じ名前なんだから」
かずきは、差し出した指に、まだ生えたばかりの小さな歯を立てた。
まだ、階段を上手に登れないかずきを抱いて、総士は二階の部屋に行った。
窓から、石段が見える。
窓の枠に、小さなかずきの前足を乗せてやる。
かずきは、怯えたように、それでも、興味津々な様子でひげを動かし、目をきょろきょろさせている。
「もうじき帰って来るな」
猫のかずきは、窓の外を飛んでいるトンボの方に気を取られているらしい。
「かずき、階段が上手に登れるようになったらここで迎えてやれ。喜ぶぞ、きっと」
畳の上にかずきを下ろす。あちこちと眺め、机の下に入り、また、出てくる。
「かずき」
椅子の下から、鼻先を覗かせる。
「かずき、おいで」
ちょこちょこと出てきた子猫は、総士の膝に前足を乗せて、何か言いたげに顔を覗き込んでくる。
不思議なものだ、と思う。
どうして、こう、見ているだけで気持ちが安らぐのだろう。
胡坐の中に納まったかずきの背中を撫でる。
散々、改名しろ、と騒いでいた一騎も、今は逆に、かずきがいるから寂しくないだろ、などと言っている。
「自信過剰だと思わないか? かずき」
かずきは耳を動かしただけで、答えない。
でも、それは多分、当たっている。
総士は、子猫の背中を撫でながら、また、ひとり、笑った。
-------------------------------------------------(C)John di GHISINSEI
2005/04/28
日付変わる3分前;六原様、申し訳ない;いきなり(滝汗)
このお話はまるっと六原様、そして、かずにゃん、そうにゃんに捧げますv
閉鎖ということで寂しくてたまりません…(泣)