鬼の面






 
 二月の、刺すような冷たい風の中、真壁家ではあちこちの窓を開け放してあった。
新学期を前に、いらなくなった学用品などを片付けるように父に言われ、大掃除をしていたのだ。

「これももういいかな」
返されてきたテスト用紙の束、前の学年の教科書。
それらを紐でまとめる。
捨てるものは土間の片隅に積み上げる。他は物置にしまっておくことにした。

竜宮島に高校ができる、と聞いて一騎は驚いていた。
よくよく考えれば驚くことはないのだが、それはつまり、高校へ行くものは本土へ行くのだ、と長いこと信じきっていたからだろう。
今さらのように、やはり日本はなくなってしまったのだ、と思い知らされる。

高校への入試というものはない。そのようなものを行うほど、人数は多くはないのだ。ただ、パイロットやアルヴィス勤務だったものたちには補習授業が待っていた。

物置の戸を開け、持ってきたものを入れる空間を探す。
段ボール箱や古い野球のバット、釣り道具などがぎっしり詰っている。
あまりの隙間のなさに、思わず唸ってしまっていた。

 少しいらなくなったの、捨てるかな。

いくつも詰まれた古いダンボールの一つを取り出してみる。中から出てきたのは、小さい頃に学校で作った作品や、おもちゃの類だった。
小さく噴出す。

 なんでこんなの、とっといたんだろう、俺。

どう考えても取っておいたところで何の役にも立たないものばかりだ。
『あさがおのかんさつ日記』とクレヨンで書いた表紙をつけられた画用紙の束、わけのわからない、意味を成さない何か。
自分でもなにを作ったのか思い出せない。自分のもの、という記憶もないけれど、ぐっちゃりとした紙粘土で作られた塊の裏には確かに自分の名前が書いてある。
一騎は思わず笑っていた。

 俺も父さんと同じような茶碗しか作れないのかな。

その中に、ゴムひものつけられた面のようなものがあった。角が二本、生えているから鬼なのだろう。

 節分、か。

やはりそれも、自分の名前が書いてある。
いつの頃のものか思い出せないけれど、学校でそういうものを作った、という記憶は確かに、ぼんやりとあった。

 一騎はそれらをまた箱に戻し、元の場所に戻した。
箱の隙間を少しずつ詰めていけば、あるいは持ってきたものを入れられるかもしれない。

箱を入れなおし、古いバットは捨てることにして、乱雑になっていた釣り道具を片付けるとなんとか隙間は出来た。
あの古い作品群を捨てることも出来たのに、一騎は何故か、そうしなかった。理由は、自分でも判らない。

 あんな面、父さんかぶるわけもないのに。

それでも、学校でおそらくは工作の時間か何かで作ったのだろう。

小さい頃から、節分といえば庭に豆を撒いておしまい、だった。父親か誰かが鬼の役をして逃げ回ることがあるのだ、ということを知ったのは実に、つい最近のことだ。


がたん、と思い出を切り離すように物置の戸を閉める。
一騎はしばらくその扉を見つめていた。



 「一騎」
突然の声に飛び上がるほどに驚いた。
「あ。……総士……びっくりした」
総士が立っていた。アルヴィスの制服ではなく、私服だった。
「どうしたの?」
「ああ……あの、ちょっと」
口ごもり、物置に目をやる。
「忙しそうだな。片づけか?」
「うん、年末に何も出来なかったし。でももう終わりだけど。総士はどうしたの」
「ああ。その、実は頼みがある」
「なに」
「これを」
持っていた紙袋の中から、紐の付いたものを取り出す。
「これって」
黒いゴムひもがつけられたそれは、鬼の面だった。

総士は顔を幾分赤らめ、視線を泳がせている。
「その、無理だったらいいんだが。乙姫が」
「乙姫ちゃんが? 節分、やりたいって?」
こくん、と小さく頷く。見ると紙袋の中にはもう一つの面が入っている。
総士もつまり、鬼の役をやるのだろう。
改めて手元の面を見る。つたない、そしてどこか可愛らしさのある鬼の面は、乙姫の手作りなのだろう。

一騎はくす、と小さく笑った。
総士も一緒なら、いいかもしれない。
「すまない……乙姫の我儘で……」
「それは我儘とは言わないだろう」
思わず言っていた。乙姫にとっては生まれて初めての節分なのだ。
どのようなものかも知らないのではないだろうか。
「いいよ、どこでやるの」
「あの……要の家だ」
「……要……咲良の?」
総士は小さく、本当に申し訳なさそうに頷いた。
「人数が……その。大勢になってしまったので」
総士らしくない、なんとも要領を得ない説明だが、申し訳ない気持ちの方が先にたってしまったのだろう、と思う。
「そっか。俺も実は節分ってあまり記憶になくって」
そんなに恐縮することもないのだ、という気持ちもこめて明るく言ってみた。
総士は再び、すまない、と小さく頭を下げた。





 要の家は確かに広い。
衛や剣司はもちろん、堂馬や立上芹、西尾里奈といった乙姫の級友たちも集まっていた。
カノンもいる。彼女にとっても節分は初めてだろう。
珍しそうに枡の中の豆をつまんでみている。

「えーっ! 俺も鬼ー?」
剣司の素っ頓狂な声が響いた。
「投げるの、やりたかったのに」
「何言ってんの、鬼は男の役目でしょう?」
「ほう、そういうものなのか」
カノンの呟きに、里奈が、
「だってほら、鬼ってみんな男じゃないですか」
と大真面目に答えている。
そうなのか、と一騎も今さらのように感心していた。

総士は面をつけていいものかどうか、迷っているようだった。ゴムひもを引っ張ってみたり、面を裏返してみたり。かぶろうとしてはすぐにまた取り、眺めている。
「総士も早くかぶるんだよ」
乙姫の声に押されるように、渋々ながら、といった様子で面をかぶる。

ここまで嫌そうな総士を見るのも初めてかも。

一騎は面をかぶり、表情が気取られないのをいいことに横目で総士を見ていた。
嫌なことでも何でも、それが与えられた役目であれば淡々とこなしていく総士ではあるが、さすがにこういうものをかぶれと言われたのは初めてだったのだろう。

一騎もまた、恥ずかしかった。
こんなものをかぶって豆をぶつけられ、逃げ回るのだ。
想像しただけで顔が赤くなってくる。

 父さんも恥ずかしかったんだろうな。

物置にあった、鬼の面を思い出す。

父があれをかぶってくれなかったとき、幼かった自分は残念に思ったのだろうか。
もしそうなら、少しだけ、可哀想だな、と思った。



「おにはーそとー!」
可愛らしい、元気の良い声が響く。
乙姫に釣られるように、そこにいた女子たち全員が大声で鬼は外、と叫びながら面をかぶった男子を追いかけ始める。

「ちょっ、加減しろよ、痛いだろ!」
剣司の悲鳴が響く。広い要家の庭中を駆け回って逃げ、咲良は笑いながら、追い回している。
乙姫もまた、総士に勢いよく豆をぶつけ、次いで一騎にもぶつけてきた。

あのような小さいものなのに、まして投げているのは非力な乙姫なのに、当たるとなかなか痛いものだった。
一騎は慌て、逃げ出した。
恥ずかしさも忘れた。
最初のうちこそ、和やかだったそれも、次第に真剣勝負となっていた。

初めて見る節分というものに目を丸くしていたカノンも、次第に本気になり、枡が空になれば取りに戻り、を繰り返して投げていた。




ぱんぱん、と手を叩く音が響く。要澄美だった。
「さあ、もう暗いわ。危ないからやめ!」
その声を合図に、皆、わらわらと集まってくる。
逃げ回った男子たちも、追いかけ、豆を投げた女子も、一様に息を切らせていた。

「これで厄を払えたわね。お疲れさま。暖かいうどんがあるわ。食べていってちょうだいね」
皆、歓声を上げた。

一騎はその時になって初めて、昼食もとらずにここに来ていた事を思い出した。
要澄美の母親らしい心遣いが嬉しく、同時に羨ましくもあった。


「今日はありがとう、一騎」
くい、と肘を引かれて一騎は振り返った。乙姫が微笑んでいた。
「とっても楽しかった。きてくれてありがとう」
一騎も笑みを返した。
「楽しめたなら良かった……総士もありがとう。俺も……楽しかった」
「……」
無言で頷く。服の下にまで豆が入ったのだろう、袖口や服の裾をさかんに引っ張っている。あちこちから豆が転がり落ちる。

ふと、庭の方を見る。
庭の向こう、町からだろう、かすかに、鬼は外、という声が聞こえてくる。
一騎は小さく笑った。
どこかで。

 あの物置にあったような、つたない面をかぶったどこかの父親が鬼の役をしているのだろう。

鬼は外。

もしかしたら父も、一度くらいはかぶってくれたのではないだろうか。
そして幼い自分は夢中になって豆まきをしたのではないだろうか。


 今度父さんに聞いてみようか。

豆を、自分の年の数だけ数えながら一騎は一人、笑った。

 仮に、かぶったことがあったとしても、あの父親が言うはずがなかった。



















John di ghisinsei http://ghisinsei.sakura.ne.jp/

2010/02/04