旋律なく・3
一騎は部屋の中でひとり、ファイルをあれこれといじっていた。
部屋中に本やらファイルやらが散らかっている。
今まで何時間取っ組み合っていたことだろう。
難しい文章がやたら長く続くファイルを次々に繰りながら唸っていた時、階下で物音がした。父が帰ってきたらしい。
一騎は手にしていたファイルを放って大急ぎで下に降りていった。
「ねえ、父さん、竜宮島の法律って昔の日本と同じ?」
「うん? 法律…?」
まだアルヴィスの制服姿の父は意味が分からない、というように眉を寄せた。
「うん、例えばさ、昔の日本って軍隊、持ってちゃいけなかったんだろ? でもここにはアルヴィスっていうのがあるだろ?」
「ああ…まあ。しかしそれは仕方ないことだ」
「うん、いやそうじゃなくってさ、だから…」
一騎はじりじりとしていた。言いたいことがうまく口から出てこない。
父の方も焦れてきたらしい。
「何が聞きたいんだ、一騎」
「うん、つまりね…えと、結婚っていくつから出来るの?」
「……あ?」
ぽかん、と口を開けて首を傾げる。
長いこと一騎の顔を見つめていた。
「結婚って…男は十八で女は十六だ」
「それ、今でも有効なの? だってさ、竜宮島が特別で、今、日本なくって…その、つまり」
その法律も今では意味を成さないのでは、と思ったのだが、父は首を振った。
「何を馬鹿な事を言っているんだ、そういった生活に関することはなんら変わらん」
「…そっか…」
うーん、と唸り、正座したまま、天井を見つめる。
「誰が誰と結婚するんだ」
茶を入れながら問いかけた父に、
「総士」
と答えると父は湯飲みを倒しそうになった。
「総士…今、十五だろ…でもさあ。
あ、そうだ。十五っていってもそれは総士が消えた時の歳だし、今は関係ないよね?」
「一騎!」
滅多に聞かない父の怒号に驚いて口を噤む。
「落ち着いて父さんに話せ、一騎。そもそも何故総士君と結婚する、という話になるんだ」
「……うん……」
言っていいものかどうか。一騎は躊躇っていた。
父の鋭い視線に、覚悟を決めた。
「あのさ…剣司に…その…責任とって結婚すべきだ、って言われて……」
「責任?」
父の頬がひくついたような気がした。
ぐい、と膝を進めてくる。
「一騎。責任とはなんだ。お前、総士君に何かしたのか」
睨み、詰め寄ってくる父に思わず体を引いていた。
アルヴィスの帰り、どうやって謝ろう、と呟いた一騎に、剣司は、
「そりゃ、お前、結婚するしかないだろ」
と言ったのだ。
「責任とってさ」
「結婚って…そんな」
剣司は目をむいた。
「何言ってんだ、お前、大変なことだぞ」
「……」
言われて見ればそうかも、とも思う。
そっと頬に触れてみる。
総士に平手打ちを喰らったのだ。
思わず叩いてしまうほどに彼にとっては衝撃だった、ということだろう。
その時の会話を思い出していると、いきなり襟首をつかまれた。
「責任取れ、と近藤君がそう言ったのか」
「う…うん…」
「総士君に一体何をしたんだ、一騎」
「………」
そんなこと、言える筈もなかった。頬に血が上るのを感じながら一騎は横を向いてしまった。
「一騎……お前という奴は」
父は大きくため息をついた。
「そうか…そういうことなら…仕方あるまい…」
「うん…だから…歳…」
「馬鹿者」
ぎろり、と睨まれて一騎は震え上がった。
「そこに座っていろ。父さんがいいと言うまで動くな」
「…はい…」
普段は何を考えているのか分からないような、ぼうっとしているようにしか見えない父も、こういう時はやはり恐い。
一騎は大人しく正座したまま、父の背中を見つめていた。
どうやら遠見千鶴のもとに電話をしているらしい。
総士の様子を聞いている。
その口調から、父がいつになくうろたえているらしいことを知って驚いた。
あの父に限り、天地がひっくり返っても知らん顔をしてろくろを回しているような気がしていたのだ。
慌てる事もあるのだな、と妙に感心していた。
やがて、受話器を置いた父はため息をついて向き直った。
「…総士君は…熱を出して寝込んでいるそうだ」
「え…っ」
「当分、お前に会わせるわけにはいかない、と言われた。仕方がない、私が行く。ともあれ、会えなくとも謝罪だけでもしてこなければ」
一度は脱いだアルヴィスの上着を再び着込むと、父は出て行った。
一騎はその後姿をぼんやりと見送っていた。
何よりも、総士が寝込んでいる、というのがショックだった。
罪悪感に苛まれて何も手につかない。
手の平を見る。
あの感触。
…小さかったな…。
見た限りでも、遠見やカノンに比べるとはるかに。
いや、そうではなく。
一騎はぶん、と首を振った。
大変なことなんだぞ。
剣司の言葉が思い出される。
それで熱を出したのだろうか、総士は。
翌日、アルヴィスに行く途中で剣司と会った。
「そういえばお前、昨日なんか調べるとか言ってたの、どうした?」
「ああ…うん、調べた。良くわかんないけど、大丈夫みたいだ」
「へえ。じゃ、結婚するって決めたのか。司令はなんて?」
「うん…仕方ないだろう、って」
当分、総士に会えないのは辛かったが、それでもいつか結婚できるのだ、と思うと頬がゆるむ。
「総士と結婚かあ」
思わず呟いていた。
そして次の瞬間。
はっと我に返った。
「結婚って…総士と?」
つい、声に出していた。
「え? 総士と?」
剣司がきょとん、とした目を向ける。
「今、お前言ったじゃんか」
「いや…いや、言ったけど……総士と?」
「誰と結婚するつもりだったんだよ、お前」
「…………」
誰、と言われても。
一騎は混乱していた。
結婚という言葉と、総士と、というものが何故か頭の中で分離していた。
いつしかその場で立ち止まっていた。剣司の呼ぶ声に、行かなければ、と思っても足が動かない。
総士のことは、多分、好きだ。
総士を失うまい、と必死になっていた。
でも…結婚?
確かに、メディカルで見た彼は、表面は女の子、だったかもしれない。
しかし、頭の中にあるのは戦闘指揮間として、そして友人としての総士だけだった。その二つが、どうしても結びつかない。
「おいっ! どうしたんだよ!」
強く肩を揺すられて我に返る。
目の前に剣司の顔があった。
「あ…あの。俺、今日休む。ごめん。なんか気分が…」
「気分悪いのか?」
「うん…なんだか熱っぽい」
嘘ではなかった。体中が熱い。
激しい頭痛に、ちょっと体を動かすだけで吐き気がした。
「悪いけど…羽佐間先生に伝えといて」
言うなり、一騎はそこに座り込んだ。
――― 道の端の、土の上に。
「おい! 休むってそこで休むのかよ?」
呆れたような、怒ったような剣司の声も、今は遠く聞こえた。
John di ghisinsei http://yokohama.cool.ne.jp/gisinsei1129/
2008/10/10