晴夜・1
暖かい季節を追うように南下している竜宮島の春は、早く、桜はあっという間に咲き、散った。
山は今は眩しいほどの緑に覆われ、家の周りも、一気に彩りを取り戻していた。
玄関にできた影に、史彦は顔を上げた。
溝口だった。
「…何かあったか?」
挨拶は抜きにして、作業の手は休めずに短く問う。
これは、いつものことだ。溝口は手頃な器を勝手に台所から持ってくると、持参した酒を注いだ。
「ん…特に今んとこは何も…センセが…ファイルを凍結したくらい…かな」
それは、初耳だ。
「いつだ」
「昨日の話。…怖くなったんじゃねえ? 誰も味方、いなさそうだし。…どっかにデータ、流すんじゃないかと思って張ってたけど…その様子もなかった。
コピーした気配もない…ま、アナログな方法でやられてたら分からんけどな」
「…そうか」
「どこかから連絡来るかな、と思ってたが…それもまだないな…」
総士をこの家に引き取ってからすぐ、史彦は溝口に命じて、遠見千鶴の動向を探らせていた。
千鶴だけではない。当時、メディカルにいた者はすべて、溝口と、その部下たちがぴったりと張り付いている。
溝口がこの家に遊びに来ることも、滅多にない。
それでも、まったく来ないのも、かえって不自然なので、こうしてたまに顔を出す。
「真矢ちゃんの影響もあるみたいだなあ…知ってるか? 一騎のやつ、ほとんどお譲ちゃんと話さないんだぜ」
「…え?」
それは、知らなかった。
アルヴィスで二人、一緒に仕事をすることも多い。
見た感じでは、まったく普通に、以前と変わりなく思えたのだが。
溝口は苦笑した。
「お前さんからはそう見えたかもな…。…必要なこと以外は話さない。お嬢ちゃんは何とか…家に呼んだり、とか…してたけどな。一騎はまったく、だよ」
「…無視したのか」
「…それに近いかな」
「…まったく…子供だな…」
「総士を出してくれなかった、ってのが…相当…腹に据えかねてるんだろうなあ…」
気持ちは、分からなくもない。
が、真矢に当たったところでどうにもならないだろうに。
「あ…溝口さん…?」
後ろからの声に、二人は振り返った。
総士が階段から顔を出している。
「こんにちは。…お久しぶりですね」
「あ…」
溝口は、ぽかん、と口を開けたまま、呆けたように見ている。
総士はそのまま降りてきて、改めてぺこり、とお辞儀をした。
「いろいろとお世話になりました」
「あ…いや…あの…」
「総士君。悪いがつまみでも出してやってくれるか。
茶はいらんぞ」
「はい」
にっこりと笑って、台所へ消えてゆく。溝口は、呆然とその姿を追い、そのまま、見開いた目を史彦に向けた。
「…おい…あれ、総士か?」
「…他の誰だというんだ?」
「…誰かと思った…ものすごく変わったな…」
溝口は、総士が戻ってからすぐの時に、一度、会ったきりだ。
「そんなに変わったか? 毎日見てるから分からんが」
「女っぽくなった…なんか…ミス何とか、とかってのは違った感じの美人だな。
雰囲気も変わったし…まるで別人だ…。
一騎の野郎、やるじゃねえか」
再び、呆然と台所に視線を移す。
ちょうど、総士が皿を手に、出てきたところだった。
最近、確かに、美しさが増したように思う。
飾り気のないTシャツを着ているだけだったけれど、それがさらに肌の滑らかさ、美しさを際立たせている。
よく笑うようにもなった。
いつ頃からか、笑う時に、軽く首を傾げる癖が付いて、余計に可愛らしい印象を受ける。
ばたばたと騒がしい足音がして、一騎も降りてきた。
「あ、いらっしゃい、溝口さん。…昼間っからやってるんですね…」
「ま、ね。…お前ら、仲良くやってるみたいだな」
「ええ、もちろん」
「……」
一騎の口調に、溝口は軽く肩をすくめ、再び酒をあおった。
一騎と総士は、二人で、台所で何か話している。
夕飯の相談かもしれない。
「…仲良さそうだなあ…当てられてるだろ」
史彦は軽く笑った。
「で? 夜はどうなんだ?」
下卑た笑みを浮かべ、小声で聞いてくる。
「さあ? 俺はそこまで知らん」
「…これでガキでもできたら大変だろうな…。
センセ、データを凍結したことを後悔するかも」
「…溝口。そのことで頼みがあるんだが」
「うん?」
溝口は顔を寄せてきた。
「簡単なことだ。この島で…自然出産の経験者はまだいるだろう。…探してくれ」
「…了解」
それだけで、すべて悟ってくれたらしい。
溝口は小さく笑って酒を飲み干し、立ち上がった。
雪がなくなってから、少しずつ外に出るようになり、一騎と二人で買い物にも出るようになった。
けれども、まだ、外を歩くのは疲れる。
家の中で歩くのとは、やはり、違う。
「疲れた?」
「うん…外に出るとどうしても」
ほんの少しの時間だったけれど、家に戻るまでが、遠く感じられた。
「でも、出られるようにならないとな…」
「まあ…そうだけど。無理はすんなよ」
料理など、家で出来ることはいいとしても、外に出る、となると、どうしても、不安が付き纏う。
一騎は、無理するな、と繰り返し、肩を抱いてきた。
「俺が買い物くらい、したっていいんだから。な?」
「うん」
抱き込まれ、胸を愛撫されて総士はその腕をつかみ上げた。
「…なんですぐこういうこと、するんだ?」
「え…」
えへ、と一騎は笑った。
「だって…気持ちいいんだもん」
「胸で遊ぶな」
「遊んでないよ、真剣」
「一騎」
「…ごめんなさい」
首をすくめ、しゅんとしたような顔に、ちょっと可哀想かな、とも思い ――― つい、その頬にキスをして、夜になったらね、と言ってしまった。
言ってしまってから、後悔する。
このところ、ほぼ連日で、少々疲れていた。
おかげで、朝が遅い。
もう、それなりに時間はたっている。
それでも、まだ、一騎との行為はどちらかと言うと痛みの方が強い。
「いた…痛い…」
思わず、声を上げて一騎の髪を引っ張った。
「そんなに…痛い?」
弾む息の下から、一騎のかすれた声がした。
「じゃ…もう少しゆっくりやるから」
何度も、額に口付け、続いて、大きな手のひらで撫でてくる。
そのまま、一騎は首すじに、そして胸へと、唇を這わせてきた。
「あ…」
背中を、これまでとは違った感覚が這い上がり、思わず声を上げ、背中を反らせた。
一騎の背中を強く掴み、そのまま、腰を押し付ける。
知らず、涙が出た。
全身が熱くなるような。
初めて、気持ちがいい、と思った。
その感覚に、涙が出る。
「あ、総士…気持ちいい…っ…」
一騎の動きが早くなる。
痛みと、快感とに、その背中を掴みながら、歯を食いしばっていた。
やがて、小さなうめき声を上げて、一騎が覆い被さってきた。
その時になって、気が付く。
「一騎…また避妊するの、忘れたろう」
「え…だって…すっごく気持ちよかったんだもん…そんな余裕、なかった…」
「ふん…」
再び、動き始めたものに、総士は眉を寄せた。
「まだ…元気なんだけど、俺」
呆れながらも、もう一度、という気持ちが、確かに、ある。
初めて味わった、泣きたくなるほどの快感を、もう一度、得てみたかった。
「…やっぱり痛い…何すんだ、馬鹿」
一騎がゆっくり体を離してから、つい、苦情を言ってしまった。
「何すんだ、ってこと、ないだろう。傷つくなあ、そういうの」
一騎はくすくすと笑い、何か飲む? と聞いてきた。
「あ、コーヒーが欲しい…」
言いながら、体を起こし、何かが体内から流れ出る感覚に、どきり、とした。
慌てて体をずらせて見る。シーツの上にさらに敷いておいたバスタオルの上に、白いものがある。
「………」
一騎の放ったものだろう。
何故…?
今まで、このようなことはなかったと思う。
昨日は、どうだったろう。よく思い出せない。
階段を上がってくる足音に、総士は慌ててその白い、どろりとしたものをティッシュで拭き取り、バスタオルをはがした。
もしかしたら。
勘のようなものが、ある。
コーヒーを飲み、他愛のない会話を交わしながら、総士は一騎が眠るのを待った。
暗くなった部屋で、史彦がくれたファイルを開いてみる。
妊娠の項目を、必死で探し、隈なく目を走らせた。
やはり。
ふう、と、小さく息をつく。
多分…妊娠しているのだろう。
子宮口が、閉じたのだ。だから。
組んだ手に、額を乗せて目を閉じる。
喜びは、確かにある。
けれども、それ以上に、戸惑いと恐れの方が大きい。
どうしよう。
千鶴が言っていた事を、残らず、思い出そうと試みる。
確か、遺伝子レベルでも、以前と変化はない、と言っていた、と思う。
それが、間違いないなら、そう恐れることもない筈だ。
しかし、間違いなく、男だったものが女に変っているのだ。
まるで変化がないはずがなく、そこは、どこか不明の部分も多いのだろう。
総士はついに、そのまま、夜明けを迎えた。
John di ghisinsei http://yokohama.cool.ne.jp/gisinsei1129/
2005/04/04
えーと。コメントは避けましょうか(笑)