LOVE RAIN 'OR ME






 夜中でも、駅前のコンビニは人がいっぱいだった。
若い女性や、残業帰りらしいサラリーマンが篭を片手にうろついている。
暖かくなったせいもあるのだろう、どこかで遊んでいたらしい若者や、学生の姿もある。

まだ入れ替えたばかりらしい弁当売場も、すでに数は少なくなっていた。
  蕎でいいか。
三蔵は手近にあったざる蕎弁当を手に取り、飲み物を何種類か持ってレジに向かった。
 頭の上を、最終電車が行き過ぎる。
その音が消えると、辺りは静まり返る。コンビニの混雑が嘘のように、暗い通りには人もほとんどいない。

 駅前の交番の横を通り過ぎようとしたとき、歩道に流れる水に気が付いた。交番の方から流れてきている。
 こんな時間に床掃除でもないだろうに。
でなければ、洗車でもしているのか、と思えるほど、大量の水が音を立てて歩道に流れ出ていた。

 「だからさあ、俺だって頑張ってんだよお…」
突然聞こえた声に振り返る。交番のすぐ前で、警官がしゃがみこんでいた。
その向かいに座っているのは、どう見ても子供だ。
水が流れるままのホースを片手に、回らない舌でしきりに警官に話し掛けている。
少年がずぶぬれのところから見ると、酔っていたか何かで頭から水を掛けられたに違いない。うす汚れて変色したシャツが、小さな体に張りついている。
 こんな子供が。
少し驚いて少年の顔を見る。街頭のほのぐらい灯りに照らされたその顔に、見覚えがあった。
三蔵はくるりと向きを変え、交番の方に歩いていった。

 「あ、すみません、この子、知り合いです」
「ああ?」
警官は不審そうな目を投げ掛けた。
「あんた、誰だね」
「この近くに住んでるんですが」
胸ポケットから身分証明書を取り出す。
「この子、親戚の子なんですよ。家出しちゃって…鹿児島から」
「鹿児島あ? そんな遠くからかね」
「ええ、ちょっと訳在りであっちにいってて。きっとこっち、来てるんだろうってんで私のとこにもこの前連絡、来たんですよ。で、何しました? この子。
結構悪さするんでみんな手を焼いてたんで…ご迷惑、おかけしてたらすみません」

 いつもは下手な嘘が、自分でも驚くほどすらすらと口をついて出る。
警官は苦り切った様子で水を止め、少年の持っていたホースを取り上げた。
「どうもこうもないよ、あんた。酔っ払って大声でわめき散らして…すぐそこのマンションから苦情がきてね。
名前も言わないし。困ってたんだ。今、本庁とも連絡、取ろうと思ってたんだがね」

しかし、こんな子供が一人、騒いだくらいでそのような面倒なことはした
くなかったのだろう。
「彼のことは私が責任、持ちますよ。どうもお世話様でした」
まだ立ち上がらない少年の手を引き、立たせる。彼はぼんやりと目を上げた。
 その顔には不釣り合いなほどに大きな瞳は、忘れようもない。
「さあ、来い。散々心配掛けやがって」
ぐい、と手を引いて、暗い住宅街を、ずんずんと歩いていった。
 「どこ行くんだよ…」
ふらつく足取りで、それでも握った手を強く握り返し、見上げてくる。少し、不安そうにも見える。
「俺のうちだよ。…お前、猿みてえな顔、してんな」
 大きな目と、丸い顔は、ずいぶん前に女の子の間で人気だった猿の人形を思わせる。流行には疎い三蔵でさえ、よく覚えているほどそれは人気があった。
その人形に、よく似ている。
「…猿じゃねえもん…」
呟きながら、眠そうにもたれ掛かってくる。
「お前、名前は」
「…悟空…孫…悟空…」
足がもつれ、倒れそうになったのを引き上げ、歳は、と聞いた。
「十…五」
「十五?」
思わず、聞き返していた。
てっきり、小学生くらい、と思っていたのだ。

 ずん、と腕が重くなる。眠いらしく、腕にすがりついてくる。
「おい、寝るな」
「…ん…」
そう言っている間にも、腕にもたれた頭はこくりこくりと舟を漕ぎ始める。
「おい」
抱き抱えようとして、思わず手が引ける。
 何日も風呂に入っていないのだろう。シャツは衿も袖も垢で真っ黒になっていて、髪からはむっとするような嫌な匂いがした。
「ふざけんじゃねえ、歩け!」
「……」
答えがない。すでに、彼は眠っていた。それでも、一応、歩いているつもり
なのか、足は奇妙な動きを見せていた。
「…仕方ねえな」
幸い、家まではもうそんなに遠くない。舌打ちをして、臭い体を抱き上げ、住宅地に向かう坂道を上がっていった。
 自分でも、何故、そんな行動に出たのか、よく分からなかった。

 小さな二部屋のマンションに辿り着くなり、玄関先に子供の体を転がし、すぐ手を洗った。
「…んっとに汚ねえな…」
思わず声に出したくなるほど、うす汚れている。

 しばし迷ったのち、電話を取った。
「ああ、悟浄。遅くにすまん。ちょいと頼みがあるんだがな」
「何だよ」
電話の向こうから不機嫌な声と、賑やかな音楽が聞こえた。
「…持ってきてほしいものがあるんだ」

 悟浄は長年の友人、と言うよりも、悪友といった方が当てはまるだろう。
煙草にしろ、酒にしろ、未成年の内からそう言ったものを知ったのは悟浄に教えられたからに他ならない。
学生の頃から相当なワルで、およそ不良少年がやるようなことは殺人を除いてほとんど手を付けていた。


 悟浄は、程なく姿を現した。
ドアを開けるなり、玄関先で凍り付く。
「…何これ」
「見たまんまだ」
「何てことするんです、風邪、引いちゃいますよ」
後から、もうひとつの声がする。
「お前もきたのか、八戒」
「来ましたよ、悟浄から話、聞いて」
悟浄は子供の体を跨いで家の中に入り、手にしていた紙袋を放り出した。
「だって子供服なんてねえもん。下着はコンビニで売ってたけど。だからこいつのとこ、電話したんよ」
小学校の教師をしている八戒のところなら、何かあるのでは、と思ったらしい。
「ちょうど来週、バザーがあるんで子供服、うちに置いてあったんです。僕が買い取ることにして、持ってきましたよ。…それにしてもなんて可哀相なこと、するんです? 濡れてるのに。
あーあ、下着まで。さ、起きてください。着替えましょうね」
口と手を、一緒に動かすその様子を、三蔵は茫然として眺めていた。彼が、子供の体を拭いているのが自分のバスタオルだと気付いて、三蔵は焦った。
「おい、それは俺のタオルだぞ! 汚くなる…!
雑巾、使ってくれ」
八戒がじろり、と睨んできた。
「何をバカなこと、言ってるんです。それなら何故連れてきたんですか。いいですよ、弁償します」

「んで、何なのよ、この子?」
「……」
猿のような子供は、どうやら目を覚ましたらしい。
ぼんやりと起き上がり、八戒に手伝われながら体を拭いている。
「三蔵、お風呂、借りますよ」
「ああ…」
食べ損ねた弁当を開けながら、上の空で返事をした。

 蕎は、嫌いではない。しかし、今日は何の味も感じなかった。
悟浄は何か言いたそうにこちらを見ている。三蔵はふん、と鼻を鳴らして蕎をすすった。
 「お前、俺のバイクが盗まれたの、覚えてるよな」
悟浄は頷いた。
「忘れねえって」

 それは、もう半年近くも前のことになる。
家の近くの自動販売機に煙草を買いに出た、僅かな隙に、愛用のバイクが盗まれたのだ。
ちょうど駐輪場を通り掛かったとき、自分のバイクの側に屈みこんでいる子供の姿を見た。悪戯でもしているのか、と声をかけたとたん、彼は弾かれたように飛び上がり、決して小さくはないバイクを転がし、猛スピードで駆け去った。
 今、思い出しても腹が立つ。目の前で盗まれるなんて。しかも、子供が転がしている大型のバイクに追い付けなかったなんて。警察にも届けられなかったのは、そのせいだ。
驚いたのはそれだけではなかった。鍵は、きちんとかけてあったのだ。盗難防止の太いチェーンは、二本とも、きれいに切られていた。
ハンドルロックも、あの様子では簡単に壊してしまったろう。

 「…まさかと思うけど…その時のガキか?」
悟浄が目を丸くして呟く。三蔵は頷いた。
「間違いない。あの顔、よく覚えてる」
「それが理由で連れてきちゃったの?」
「……」
三蔵は首を傾げて考えた。理由としては、確かにそれしかない。が、しかし、バイクを盗んだ犯人だからといって、連れ帰ったところで何が出来る訳でもない。
子供を虐待する趣味も持ち合わせてはいない。
「…あのガキ、酔っ払って交番の前でくだ、巻いてやがった」
「…だから」
「だから、って言われても困る」

 本当に、自分でも、自分の行動に説明が出来ずに、困惑していた。
何故、あの猿のような子供を連れてきてしまったのだろう。それも、警官に嘘を付いてまで。これから先、どんな面倒が待ち受けているか、見当もつかないというのに。

 猿のような子供は、風呂から出て、まともな服を着せてみればどうにか見ることが出来た。
「…ふうん…結構、まともな色、してんじゃねえか。
さっきは色黒だと思ったけど。汚れてただけか」
栗色の髪を掴み、しげしげとその顔を眺める。健康そうな、褐色の肌をしていた。大きな瞳は、変わらない。
猿の方も、ぽかんと口を開けてこちらを見上げている。
「…あんた、きれいなんだなあ…なんで?」
「てめえがきたねえだけだ。てめえ、ガキのくせに何酔っ払ってたんだ」
「…ガキじゃねえよ。それよか、ここ、どこだよ?
俺、新宿で飲んでたんだけど」
三蔵は思わず煙草にむせてしまった。
「新宿? お前…どうやって…」
「ここは横浜ですよ?」
「横浜あ?」
猿は頓狂な声を上げ、大きな瞳をますます大きくして、口も開けたまま、しばし、固まった。
やがて、そのままの顔で、大きく首を傾げる。
その仕種に呆れると同時に、可笑しさも込み上げてきて、つい笑ってしまった。

「東京から…それも新宿からだと二時間近くはかかるぞ、ここは。よくこんなとこまで来たな。ああ、そう言えば前にも来てたな。俺のバイク、盗りに」
「え? バイク?」
「まあ、いいから。お腹空いてるでしょう。軽いもの、持ってきてますから食べていいですよ」
 三蔵はちら、と八戒を睨んだ。
事情を話していたわけではないが、今の一言でおおよその見当は付けてしまったらしい。
すぐに話を躱してしまった。

 その時、子供の耳に金色のピアスが光っているのが目に入った。
「何そんなもん、付けてんだ、生意気に」
「え?」
「ピアスだ」
「ああ、これ…大事なものだから外すなって言われてんだ。だから取ったことない…うんと小さい頃からだよ」
「……」
「親御さんが付けたんですか?」
「…どうだろ。分かんない」
「分かんない、って…お父さんやお母さん、居るんでしょう?」
「ん…いない…けど、いる」
「あ?」
いくつかの声が重なった。
悟空はおにぎりを頬張り、スープをすすりながら頷いた。「俺の生みの親ってのは今はいない。けど、育ての親ってのはいる。今はどこにいるのか知んねえけど」
「どこに住んでるの、お前」
悟浄が聞いた。
「どこって…どこでも」
「……」
みな、絶句した。早い話が、浮浪児ではないか。

「学校は?」
今度は八戒が、二杯目のスープを入れながら尋ねた。
「行ってた、一応。…ほとんど行ってないかな」
「登校拒否?」
「どうなのかなあ…そういうのかな。つまんないから行かなかった」
「そうですか…まあ、そういうのも悪くないかも知れませんね。学校行くだけが能じゃないですから。
くだもの、食べます? イチゴ、好きですか?」
「あ、大好き!」
初めて、嬉しそうな笑みを見せた。本当に、眩しいほどに無邪気な、笑顔だった。



 「で、どうすんのよ、三蔵」
エレベーターの中で大きな袋を抱えた悟浄が、袋の影から問い掛ける。三蔵は銜えた煙草をそのままに、考えに沈んでいた。
「おい、三蔵、聞いてんのか?」
「聞いてる。猿のことだろ? どうするって言われてもなあ。俺も何も考えてなかった」
「でもこういうの、買い込むって事は住まわせるわけ?」「ああ…」
紙袋を、改めて眺める。
山ほどの買物は、全てあの子供のものだった。
 服や日用品に始まって、ちょっとしたゲーム機や、ボールまで。
「…家具売場、行くの忘れたな。ベッド、注文しなくちゃ。机もか」
「三蔵…」
「分かってるよ、うるせえな」
 どうするつもりだったのだろう?

 地下駐車場に着いた時、悟浄が、戻るか、と問い掛けてきた。
「家具売場、行く?」
「いや…いい。どっか途中にあったろう、家具屋が。
そこでいい」
「あっさり言うよな、人の車でよ」
「嫌ならいい」
「…いいよ、行くよ。それで? どうすんの、あの猿。
八戒も言ってたけど…いかにも訳あり、って感じじゃん?なんかトラブルにでもなんなきゃいいけど」
「……」

そうしたら放り出せばいい。警察なり、児童相談所に連れていけば、それで済むことだった。
とはいえ、そうした場面は、頭には浮かんでこない。
今、頭を支配しているのは、これから仕事の間、悟空をどうしよう、とか、学校にいかせるとしたら、どのような手続きが必要だろう、といったことばかりだった。


 幹線道路の脇に、大きな家具店がある。大安売りの登りが乱立した駐車場から広い店内に入り、真っすぐ寝具のフロアに向かった。

 昨夜は、ソファに寝かせるつもりだった。けれど、余りに不安そうな顔に、ついベッドに入れてやったのだ。
 人と同じ布団に入るということ自体、おそらく三蔵にとっては初めての経験だろう。まだ物心つく前はともかく。
 悟空は、何がそんなに不安だったのか、三蔵のシャツにしがみ付いてきて、離そうとしなかった。
「離せよ。眠れねえだろ」
そう言ったとたん、ちぢこまってしまい、怯えたような瞳で見る。その瞳に、胸が衝かれたような思いがした。
 もう、あんな目で見られるのは嫌だ。

 シングルの、手頃な価格のベッドを見付け、立ち止まる。セミダブルの、三蔵のベッドの横に置いたら、寝室はぐっと狭くなってしまう。

  仕方ねえか。

ないよりはマシだろう。
そこに、一人で眠る悟空を想像してみた。
 また、あのような目をするのだろうか。
置いていかれた子供のような。

 「…いい」
「これにするの?」
「いや…帰る」
「おい…!」
 三蔵はさっさと階段を下り始めた。
あんな瞳で見られるくらいなら、一緒に寝てた方がいい。彼が、自分のベッドが欲しいといいだしたら、買ってやればいいのだ。
 「やめるの?」
「ああ…だって奴の身元だってすぐ分かるかも知れないだろ。そしたらゴミが増えるだけだ」
「ふうん…」
何か言いた気にこちらを見る悟浄を無視して、三蔵は車に乗り込んだ。


 一応、八戒に少年の身元の調査は頼んではある。
彼は、普通の教師なのだろうが、なぜかこういうところに特殊な才能を発揮する。
 実は八戒は三蔵には縁戚にあたるのだが、最近までお互い、そのことに気付かなかった。
もっとも、気付いたからといって、何かが変わる訳でもなかった。相変わらず、互いに友人のつもりで付き合っている。
 その八戒は、さっそく家出少年のリストの洗い出しにかかっているらしい。
家出少年であることは、まず間違いはないだろう。
彼の話から想像して、まず一番あり得そうなことといえば、養子に出された先で親とうまく行かずにグレて家出した、ということぐらいだ。余りにありふれていて、頭痛がしそうだ。
 そんなに単純な理由ではないような気がする。

 この連休はどこか一人で遊びに行く予定だったのに。
何もかもが、ぱあだ。金だけが、必要以上に出て行った。 家に戻って、三蔵は玄関に立ち尽くした。
部屋の中の、そこいら中に菓子の包みやら、カップラーメンのカップやら空瓶が散乱している。
悟空は菓子の袋を抱え、テレビを見ていた。
「お帰り」
「…お帰りじゃねえだろ、何だ、これは…っ!」
気が付いたときは張り倒していた。
「だって腹減ったんだもん…!」
「食っちゃ悪いとは言ってねえだろ! どうしてこんなに散らかすんだ! 片付けろ、今すぐ…!!」
「…分かったよ、うるせえの…」
ぶつぶつと文句を言いながら、片付け始める。それも、かなり適当なやり方で、どうも彼は片付けというものをしたことがないらしい。
 「きさま、それで片付けてるつもりか?」
低い声で脅し付ける。と、悟浄が割って入ってきた。
「いいよ、黙ってろ、てめえは。おい、手伝うから一緒に片付けようぜ。お前、ここは一応、人んちなんだからよ、そこに転がり込んでるだけなんだから。
礼儀ってもんがあるだろ? メシまでもらってよ。
こういうことはきちんとしなくちゃあな」
「…うん…」

不思議と、悟浄の言うことには素直に従う。彼に言われるとおり、きちんと片付け始める。また、悟浄の辛抱強さにも、呆れた。
どんなに悟空がのろくても、間違ったやり方をしても、黙ってみている。そして、そのあとで、そうじゃねえだろ、と静かに注意をしている。
 見慣れぬ光景に、しばし、唖然とし、ついで、馬鹿馬鹿しくなって新聞を広げた。





 
NEXT

2005/05/06
ずいぶん前に書きはじめたもの。
番外ばかりが出てました…(汗)