Rock'n'Roll 4






 
   

 友人同士の、今度食事でも、というのは、えてして社交辞令に終わることが多い。だから、秀も余り期待してはいなかった。どうせ誘いがあったにしても、早くて半年後くらいだろうと思っていた。
それだけに、改めて安澄から電話があったときには驚いた。
何でも、今までクレッセントで演奏していたバンドの一つが本格的にデビューすることになったという。彼らの、店での最後の演奏があるので、新宿で食事をしてからみなで行こう、ということになったのだ。


遼も伸も浮かれていた。伸は、以前からクレッセントのことは聞いていたらしい。

「入るだけでも大変なのに」
興奮気味に、頼を紅潮させている。
「演奏が聴けるなんて夢みたいだ」
秀は、奥平に紹介するといった手前、ついていかない訳には行かなかったが、実の所、余り気が進まなかった。
六本木という街も、余り好きではない。何より、奥平に会うというのが、憂鬱だった。
けれど、いまさら辞めるわけにもいかなかった。


 奥平と会うのは、三年ぶりくらいだ。彼は目を細め、秀を見つめた。
「なるほど、大きくなったな」
薄笑いを浮かべ、全身、舐め回すように眺めてくる。
その目付きが、嫌いだった。ナメクジに体中を這われている気分になる。

せっかくの食事が台無しになる。

そう思って、彼の方は見ないようにして食べることに気持ちを集中させた。
奥平は食べ続ける秀を見ていることにも飽きたのか、伸の方に話を振った。
「君、ギター弾くんだって? 啓ちゃんも相当の腕だったの、知ってる?」
「え…マネージャーもギター、弾くんですか?」
「うん、途中からベースに変わったんだよね。啓、お前、今はまったく弾いてないの?」
「ああ」
啓の視線は目の前のサラダだけに注がれている。さして関心もない様子で軽く頷いただけだった。
「バンドやってたなんて知らなかった…」
「昔の話さ」
「みんなでやってたんだ。…学園紛争のさなかでね。今みたいに楽器バカになってもいられなかったけど。
でも、オーディションも受かったのにな。もったいなくて今思い出しても涙が出そうだ」
本当に悔しそうだ。そんな奥平を、啓は横目でちらりと見た。
「後釜なんかいくらでもいたろうに。なんで探さなかったのか、その方が俺には不思議だ」
「あの時代だよ? そうそういやしないって」
「お前、自分の実力が分かってないな」
「分かってたから辞めたんだ」
間答無用のその口調に、奥平も安澄も、すっかり鼻白んでしまったようだ。

「そっちの坊やもギター、弾くんだよね」
安澄がとって付けたような笑みを浮かべて遼に向き直る。
「…少しだけ」
あれほど浮かれていたのに、遼はここへきてすっかり元気をなくしていた。愛想程度の徴笑みと、消え入りそうな声で安澄の問いに答えた。
出された料理にも、余り手をつけていない。ただ、オレンジジュースだけを、それも少しずつ、すすっている。

「プロになりたいんじゃなかったっけ」
小さく頷く。その横で、啓は煙草の煙を吐き出しながら笑った。
「その度胸だけならカーネギーも夢じゃない」
「そりゃいいや」
奥平も安澄も、楽しそうな笑い声を上げる。秀にとっては、少しも面白くない話題ばかりが続く。

笑いも納まった頃、啓は煙草の火をもみ消した。
「すまんが今日はこれで失礼するよ。さっき店に電話したら消防暑の立ち入リ検査があるそうだ。俺がいないとまずい」
「なんだよ、こんな日に」
「仕方ないさ、いつだってあれは抜き打ちだ。秀、お前も来い。電気屋も来るんだ」
「えっ…」
「アンプの調子がおかしかったろう、修理にくるからな。淳と征士だけじゃどうにもならん。
…毛利、お前は今日は休んでいいぞ。うんと楽しんでこい」
「ほんとですか」
伸の顔が明るく輝く。
「あれ、そっちの子は? 来ないの?」
遼も立ち上がったのを見て、奥平が意外そうな声を上げた。
「お前のとこと違って人手不足なんだ、ウチは。
また今度な」
秀の肩を掴み、
「さあ、何してる。今頃、淳も大わらわだぞ」
ためらっている間もなかった。急き立てられ、そのままレストランをあとにした。


店を出る時になってようやく、遼の具合が悪そうなことに気が付いた。
さっきから顔色は悪かったが、今はもう、唇まで色がない。

「早く寝かせなきゃ。家まで持つか?」
啓に脇を抱えられて何とか歩きながら、それでも遼は小さく頷いた。

 マンションの入り口が見える。
「遼、あと少しだぞ」
聞こえている様子もない。すでに意識を失っているらしい。
「駄目だ…秀、お前の家、入るぞ」
「うん、いいよ」
マンションの同じ階でも、秀の家の方が一歩手前にある。こうなったら少しでも近い方がいい。


「貧血だな」
白くなった顔を覗き込んで、啓は小さく呟いた。
「俺は店の方、見てくる。悪いけどここにいてくれ」
「消防来るの、いつごろ?」
「あんなの、ウソに決まってるだろう。頼んだぞ」
「…分かった」
仕方なく頷いた。
伸と一緒に行かれなかったのが残念といえば、残念だ。
しかし、こればかりはどうしようも出来ない。
冷やしたタオルを額に乗せてやると、薄く目を開けた。
「どう」
「うん…ごめん…」
「ごめんはいいけどよ、一体どうしたんだい」
「…あの…奥平って人…足に触るんだ…気持ち悪かった…」
脂汗を浮かべ、握られたこぶしは小さく震えている。
本当に気持ち悪かったようだ。
「…足に、って…?」
「太ももんとこ…撫でてきた…ずっとだよ…もう…すごい嫌だった…」
「…分かった。もう大丈夫だから寝てろ」
汗に濡れた服を着替えさせ、水枕をあてる。軽く肩を叩いてやると安心したのか、やがて静かな寝息をたて始めた。


 一体、どこから出てきたんだ、こいつ。
寝顔を眺め、溜息をつく。
このような街にいれば、こうしたことが起こっても、別に不思議でも何でもない。
足に触れられたくらいなら、中学生でも軽くかわすすべを知っているというのに。

こんなウブを相手にして。啓の奴。

今まで、こんなにも純情な男というのは記億にはない。
秀はかりかりと頭を掻いた。
純情というより、馬鹿だ。




いつのまにか、秀も転寝をしていた。
ドアの開く音に目をさます。

「お前も寝てたのか…どうだ、遼は」
「…ああ…」
のそのそとソファから体を起こす。あたりはもう薄暗い。
遼も目をさましていた。ぽんやりと目を開けて宙を見ている。半分はまだ寝ているようだ。
啓の姿を認め、少しだけ笑った。

「どうだ? 気分は」
「…うん…寝たらだいぶ良くなった…」
「どれ、ちょっとアカンベしてみろ」
下目蓋をめくり、白いな、と呟いた。
「まだ貧血があるな…」
「彰吾さんが足、触ってきたんだってよ」
秀は怒りを込めて言った。
「ああ、見てたよ。だからお前も回収したんじゃないか」
「回収…」
「あのままクレッセントまで行かせたら帰ってこないんじゃないかと思って」
「お前の友達って何だい、変なのばっかりだな」
呆れ返るしかない。
「類は友を呼んだわけ? じゃあ伸はどうなるんだ」
「悪いけど」
啓はうるさそうに顔をしかめて振り返った。
「奴の分までの言い訳は思いつかなかったんだ。一応、お前に頼まれたことはしたぞ、俺は」
「…随分じゃん…俺、彰吾さんがそんな人だなんて知らなかったよ」
「俺だって知らなかった。…まあ、それっぽいとこはあったけどな」
「伸になんかあったらどうすんだよ」
灰緑色の瞳が、苛立ちに暗く光る。
「…簡単になんかされる程度の奴か? 女の子じゃあるまいし、なんで俺がそこまで奴の心配してやらにゃならん」
「……」

確かにそうだ。彼は遼とは違う。嫌なことに出くわせば、とっとと逃げて<るだろう。
「まあ、いい。今日は二人とも休んでいいよ。店は俺が出る。…ここで遊んでろ」
「え、ほんと」
思わず、弾んだ声を上げていた。啓は苦笑した。
「食事は八時頃届けさせる。二人でギターでも弾いてろ」



ドアが閉まるが早いが、遼はむっくりと体を起こし、秀
に笑いかけた。
「ねえ、悪いんだけど…この前借りたベース、部屋にあるから取ってきてくれる? あと、俺のギターも」
「いいけど…大丈夫か?」
まだ顔は青い。それでも遼は頷いた。
「…そこのレコード見てたら弾きたくてたまらなくなった」
「ああ…そっか」
レコードラックは、ベッドのすぐ側にあった。
「なんかかける?」
「それ…ツェッペリンのセカンド」
そう言っている間にも、顔色が良くなっていく気がする。
下手な薬よリも、彼には音楽の方がいいのかもしれない。
秀はレコードをかけ、啓の家からベースとギターを持ってきた。お互い、何も言わなくてもやろうとすることは同じだった。


「秀、これ、弾ける? ベースで」
「ハートブレイカー? 弾けるよ」
遼の顔が明るくほころんだ。
「うそ…じゃ、やろう」

アンプを通さなくとも、音は分かる。秀は足でリズムを取り、合図を送った。
遼は弾き始め、ベースが始まるところで秀の方を見る。
見事な不協和音に、二入は大声で笑いだした。
「なんだよ、合わねえじゃん…!」
秀は笑いながら叫んだ。
「秀、早すぎるんだよ」
「嘘つけ、お前が遅いんだ。これはなあ、嫌ってほど練習したんだぜ。
間違ってねえよ」
頬を膨らませた遼に、テープに合わせて弾いてみせる。
「な? 合ってるだろ?」
「んじゃ、もう一回」

何度も、そんなやり取りを繰り返す。
やがて、二つの音がぴったりと合った。
全身がぞくぞくするほどの喜びに、自然に笑みが沸きあがる。
見ると、遼も笑っている。
 楽器と一体になった、というより、音と一体になった感じがする。
全身の細胞が音の中に溶け込んでゆく。

曲の終わりごろになると声をかける。
「次ぎ、ホール・ロッタ・ラヴ、行くぞ」
「オーライ」
迷いのない声が返ってくる。彼もまた、同じ快感を味わっているに違いない。
次から次へと、曲が思いつかなくなると最初に戻り、そうして、指がしびれるまでそれは続いた。

やがて、遼は頼を紅潮させて叫んだ。
「ぴったり…! なんか…すっごい気持ちいい。
な、ランブル・オンは出来る?」
「ああ、じゃ、いくぜ」
これはベースがリードしていく曲で、秀はこういう曲が大好きだった。
途中で遼が間違えても、構わずに先に進む。

「ちょっ…待てってば…!」
ついに泣きが入る。秀は仕方なく手を止めた。
「おい、そっちが合わせなきゃ駄目じゃん。ベースとめてどうすんだよ。
啓が言ってたぜ、べ…スはもし他が間違ってもそのまま行けって」
「分かってるよ、今は遊びじゃん…!」
不服そうに呟き、ギターをかき鳴らした。

「なあ、お前、こんなに弾けるのになんでバンド、やらなかったの?」
突然に聞いてくる。秀はこれまでそんなことは考えたこともなかった。従って答えようもない。
「誰かとセッションしたことはないの?」
「ない。啓と一緒に弾いてただけ。…お前は誰かとやってたの?」
「うん、友達とやってた。…俺、下手だけどさ…それでも俺に合わせられた連中なんていなかったよ。初めてだよ、お前みたいの」
「ふうん…そんなもん?」

学校での情景が思い出される。そう言えば確かに休み時間など寄り集まってギターを弾いていた連中はいた。
「フォークソング歌ってる奴らいたっけな、そういや」
「お前は歌わなかったの?」
「誰と」
「友達と」
「作らなかったもん、友達なんて。誰とも口、聞かなかった」

秀にとって、友人などというものは、必要なかった。
彼らはたいてい敵か、あるいは敵ではなくとも味方でもないものだった。
級友の顔を、秀はほとんど覚えていない。学校は勉強だけをしにいくところであって、だからそれ以外のことはしなかった。休み時間にはただ本を読んでいた。

啓がよく言っていたのは、やることをやっていれぱ誰からも非難を受けずに済む、ということで、秀はそれで納得していたのだ。
それだけに成績も良く、今思えば、そのためによけい、級友の反感を買っていたのかもしれない。

「学校から帰ってもさ、やることないだろ。店には来るなって言われてたし。そしたら楽器、いじってるしかなかったもん。一日中弾いてたぜ」

たまに『カントリー』にいくか、レコードを買いにいくか。でなければ本を読むか。
そのくらいしか、やることはなかった。

遼はうつむき、肩まで伸びた髪を撫でた。
「…俺のまわり、ギターやってる奴は多かったけど、ベースは少なくてさ。一人だけかな。それも、ランブル・オンなんか最初から練習しようともしなくて。こんなの、弾けない、って。
…初めてだよ、こんなにぴったりあったの」
「おい、バンドやってた奴がいう台詞か、それ。
音の合わねえバンドってなんだよ」
遼は顔を赤く染めた。
「だから…新宿でも来たら少しは違うかなって思ったんだ」
「なるほどね。…じゃ、も一回、やるか?」
「うん」

そのまま、時間が経つのも忘れて弾き続けた。
疲れてはレコードをかけ、好きなミュージシャンや曲について語り合い、そうしているうちにまた弾きたくなる。
その繰り返しだった。 

明け方、啓が帰ってきて、初めてそんな時間だということに気付いたくらいだった。

啓は呆れたように、大きく溜息をついた。
「確かにギター弾いて遊んでろとは言ったがな。さっきまで病人だった奴が何やってるんだ、こんな時間まで」
「だってさ、すごいんだよ…!」
遼はまだ、興奮が冷めないようだ。
「ねえ、すごかったよね。啓さんもいれば良かった」
「面白かったぜ、久しぶリに。でもツェッペリンばっかりで飽きた。ELPもやりたかった」
「だってあれ、ギターパートほとんどないじゃん」
「分かった、もういい」
笑いながら啓がさえぎった。
「さあ、もう寝ろ。二人とも目が真っ赤じゃないか。
明日も仕事だぞ」
遼を急き立て、先に行かせたあと、いきなり肩を引き寄せてきた。
言葉を発する間もなく、唇をふさがれる。
「…どうしたんだよ、急に」
「お前、笑ってる」
頬を、指でつついて、
「何年ぶりだかな、お前のそんな顔見るのは」
「……」
啓は片手を上げ、お休み、と言ってドアを閉めた。


しばらく、秀はそこに佇み、頼を撫でていた。
笑うことは、よくある。
店で、他愛のないお喋りに興じながら、あるいは啓と話しているときでも。
啓は何を言っているのだろう。

秀は片付けは後回しにして、そのままベッドに潜り込んだ。
体は疲れ切っているのに、気は昂ぶっている。
全身を包む音の感覚はまだ残っていて、リズムに体が弾んでいきそうになる。
そんなことを感じていたのも、実にわずかの間のことで、秀はすぐに心地よい眠りに沈んでいった。





 あの日から、伸は店に出てこない。秀は気が気ではなかった。遼にあんなことが起こったあとだ、伸の身にも何かあったのでは、と、悪い方にばかり想像が働いてしまう。
誰も、伸から連絡を受けたものもなく、彼の家に行っても、帰った様子もない。

「大丈夫だよ、心配するこた、ないって」
自信たっぷりに言ったのは当麻だった。
唇の端を上げ、半分、蔑むように秀を見る。
「あいつは戻らないよ、多分」
それだけ言うとカウンターに向き直った。


それから二週間ほどもたった頃、夜中に突然伸が訪ねてきた。マンションの場所も教えたことはない。どうやら、あとを付けてきたものらしい。

「ごめん、夜遅く。君が帰るの、待ってた」
わずか二週間の間に、伸はずいぶん変わったように見えた。
それでも、会えたというだけでも嬉しい。
「いいから入れよ、なんで店に来なかったんだ、待ってたのに」
立て続けに言葉が飛びだす。伸はまた、ごめん、と言った。
「店のこと、すごく気になっててさ…でも、連絡できなくて…」

一つ息をついて、そして喜びを押し殺したように抑えた口調で言った。
「僕…僕ね、あそこでテスト、受けることになったんだ。
バックパンドで欠員が出るんだって。それで今まで繍習してたの」
「へえ…! すごいじゃん…!」
初めて、伸の顔が嬉しそうにほころんだ。
「うん…早く君にも報せたくて。でも、とにかく受かる自信がつくまで誰にも言いたくなくてさ」
「分かる。うん。…良かったなあ」
本当に、心から嬉しい。何かきっかけでも掴めれば、と思って紹介したのだが、それが予想以上の結果を生んだのだ。
「それでテストってのはいつ?」
「まだ先…それで…」
どこか言いにくそうに口をつぐんだ。
しぱし、黙ったまま、部屋の中を見回す。
「…君はここにずっといるの?」
視線を外したままの、伸の言葉の意味をはかりかねて首を傾げる。伸は小さく笑った。
「僕、思い切って引っ越そうと思って。…で、良かったら君も一緒にこない?」
「…どこへ」
どこへだろうと、それが無理なことは分かり切っていて、聞いてみる。
「六本木」
「…無理だよ」
「なんで?」
啓が許さない、とは言えなかった。
実際のところ、ここから出られたら、どんなにいいだろう。啓の手を、逃れることが出来たら。
ホテルを出る時にいつも置いていった食事代。それを、伸はどんな気持ちで跳めたのだろう。

いつも伸を買っているような気がして、嫌で堪らなかった。
そんな自分はいつも啓に囲われているようなものだった。


黙っていると、伸は胸ポケットから小さくたたんだメモを取りだした。
「じゃ、気が変わったらここに電話して。僕、ここにいるから。
…あと三日もしたら移る…マネージャーによろしく言っといて」
「…うん…」
ただ、それしか言えず、立ち上がる伸を見つめていた。
「頑張れよ。きっと成功するよ、お前なら」
寂しさを堪えながら、どうにか言葉を絞りだす。伸は笑って頷いた。

伸の姿がドアの向うに消えて、いくらもたたないうちにすぐにまた、ドアが開き、啓が入ってきた。
ぎくりと、体が強張る。啓の瞳には暗い色があった。

























John di ghisinsei http://yokohama.cool.ne.jp/gisinsei1129/

2007/10/14