Rock'n'Roll 3






 
   

経験者ということもあって、伸が店に馴染むのは早かった。
人当たりもよく、仕事も早い。広瀬も、いくら嫌味を言ったところでその都度うまくかわされてしまうので苦り切っているらしい。

「こっちにお鉢が回ってくる」
征士は苦笑交じりにいった。
「毎晩愚痴を聞かされてるよ。でも、ちゃんと淳の機嫌も損ねないようにやってるよ、彼」
「それならいいや」
秀も安心した。
もともと、仕事は出来るだろうと思っていた。問題は広瀬淳との折り合いだけだったのだ。
レジに座る、遼の方を見る。彼はいつもと変わらず、ただ木のドアを眺めている。
「淳にさ、それとなく言っといてよ。クビになることはないからって。
俺から言うとさ、ほら、あいつ、調子に乗るだろ?」
「ああ、分かった」
それだけですべて飲み込めたというように、征士は笑って頷いた。

奥の方にコーヒーを持って行った伸が戻ってきて、秀を見て笑いかけた。
「ねえ、マネージャー、来てないみたいだけど?
どうしたの?」
「ああ、ちょっとな、用があって」
視界の隅に、レジに座る遼の顔が映る。

夕方、安澄からの電話で啓は出掛けて行った。
「帰りは遅くなると思う」
そう言った啓の後ろ姿を見送っていた遼の横顔は、気のせいか寂しそうだった。

…ハントされただけにしては。

もしかしたら、遼は本気になりかけているのかもしれない。

 これまで啓と付き合いのあった男たちは、たいていが遊びと割り切っていた。そうした遊びの経験の豊富な男たちが多かった。
お互い、本気になれば泥沼になることを知っていたのだ。

しかし、遼はどうなのだろう。

――― あんなガキに手を出すから。どうなっても知らねえぞ。


苦々しい思いでレジを眺めていると腕を引かれた。
「ねえ、僕、今日は十一時で上がりなんだ。よかったら付き合わない?」
「冗談じゃねえ、仕事が残ってら」
とっさに嘘の口実が口を突いて出てくる。
啓が留守の間に、どこかへ行ったことが後で知れたら大変なことになる。
伸は不服そうに、わざとらしく溜息をついた。
「この頃、付き合い悪いよね、君」
「…ごめん…でもさ、じき月末じゃん。まだ帳簿付けが山ほど残ってんだよ。俺、さぼってたから。
今度きっと埋合わせ、するよ」


別に仕事はそれほどたまってはいないのだが、伸にああ言った手前もあって、結局山ほどのノートを持ち帰ることにした。
レコードをかけながら計算をしていると密やかにドアがノックされる。音楽に消されてしまうほどの遠慮がちな音だ。
ドアを開けると、遼がそこに立っている。彼がこの家にくるのは初めてだ。
「…入れよ」
不審に思いながらも、ドアの外に立たせておくのも気の毒で中に招きいれる。

「どうした」
「ああ、あの、これ…」
手に持っていた、ラップのかかった丼を差し出す。
「もうご飯、済んだ? これさ、作ったんだ。良かったら食べてよ」
井の中には、美味しそうなジャガイモの煮転がしが入っていた。
「へえ」
思わず、声を上げていた。
「わざわざ持ってきてくれたんだ…サンキュ。お前は? もう食ぺたの?」
「うん」
「じゃ、お茶でも飲んでけ。こっち、来い」
食事は、すでに済んでいたが、せっかく持ってきてくれたのにそれを言って、がっかりさせたくない。

「お前、器用じゃん。うまそう」
一口食べてみるとなかなか美味しい。
「うまい、うん」
遼は嬉しそうに笑った。
「啓は? まだ帰ってねえの?」
「…うん…さっき電話あって…明け方になるかもしれないから寝てていいって…」
「…ふうん」

それで心細くなったのだろうか。
遼は胸の当たりまで伸びた黒い髪を指先で撫で、何か言いたそうにこちらを伺っている。
箸の先でジャガイモを切リながら、
「何が聞きたい?」
と、促した。
「…あ…安澄さんってさ、友達なんだろ、啓さんの」
「高校の頃の後輩。大学も一緒だけど…そいつのことが聞きたかったわけ?」
頷きはしなかった。目を伏せることでそれに代えた。

「お前、何、気にしてんの。…啓はさ、雑誌の仕事もしてるじゃん。
きっとあれだろ、安澄さん、また新しいバンドでも見付けてきたんだろ。それ、啓に聞いてもらってんだよ、きっと。よくあるぜ、こんなの」
そんな、適当な返事で遼はそれなりに納得したようだ。
表情がいくらか明るくなった。そして、珍しそうに部屋の中を見回す。

「秀…ギター、弾くの?」
本棚と壁の、狭い隙間にギターとベースが並べて立て掛けてあるのを目ざとく見付けて言った。
「ああ…少しね。あのベースは啓のだよ。俺のはあいつの部屋に置いたまんまだ」
「え…あの人、ベースやるの?」
「知らなかった?」
「うん…」
本当に知らなかったらしく、呆然と、呟くように言った。
やはり、楽器を見るときは目の輝きが違う。
そっとベースギターに手を延ばす。
「…弾いてもいい?」
「うん、でも音、合わしてくれよ。もうずっといじってねえから」
「え…ベースのチューニングなんてやったことない…」
苦笑して、遼の手からベースを取り、音を合わせる。
そして、請われるままに、いくつか知っているフレーズを弾いてみせた。
何となく、懐かしい。


中学生の頃、学校も行かずに遊び回っていた自分に、啓は音楽を教えてくれた。
ソ連のスパイ容疑で世界中が騒然としていた頃で、学校ではスパイだとからかわれ、家では母が男を運れ込んでいた。
楽しいことなど、何もなかった。啓の家で、ギターを聴かせて貰っている時だけ、楽しかった。

啓の家に往み着いてしまった頃、べースを教えられた。
華やかではないが、独特の、深みのある楽器で、たちまち秀は取りつかれてしまった。
いつごろから、弾かなくなってしまったのだろう。

今でも、時折べースを手にすることはある。けれど、ほとんど忘れてしまい、好きな曲の、知っている部分だけを繰り返して弾くだけだった。

「…うまいね…」
遼が溜息とともに、目を輝かせて言った。
「そうでもねえよ、忘れちまった…これ、知ってる?
ELPのバーバ・ヤーガ。イントロだけで二ヵ月もかかったんだ」
だいぶ忘れてしまっている。何度か間違えてはやり直し、感覚が戻るのを待った。
「…やっぱり毎日やってないと駄目だな…これ、フレットが長くてさ、俺、啓みたいに指、長くないから届かねえんだ。だから短い奴、買ってもらったんだ。あいつの部屋にあったろ? 黒いの」
遼は首を振った。
「…知らない…俺、啓さんの部屋って入ったこと、ないんだ」
「え、じゃあ、あいつと寝るとき、どうすんの?」
驚いて思わず遼の顔を見つめてしまった。きょとんと開かれた瞳に、聞くんじゃなかった、と後悔の念が襲ってくる。
遼の顔が、たちまち耳まで赤くなった。
「あ…あの…お…俺の…」
「ああ、お前の部屋か。そうだよな、ごめん、変なこと、聞いちまった」
愚間もいいところだ。遼の方は見ないまま、ベースを弾き続ける。

「部屋、入るなって言われてんの?」
「…ううん…」
「じゃ、構わねえよ。見てみな、押し入れ。ギター、何本か入ってるから」
「うん…」

まだ赤い顔をしている。そのあどけない顔を眺め、啓はどんなふうにこいつと寝るんだろう、と思う。
なぜ、こんな子供を連れてくる気になったのだろう。

「あいつにギター、教わるといい。うまいよ、結構。
あ、久しぶりにギターもやってみるか」
場を取り繕うために、挨だらけになったギターを取り出す。
「これ、啓が初めて買ったギター。もらったんだ。今はほとんど使ってねえけど。ツェツペリンのさ、天国への階段ってあるだろ。…よく弾いてもらった」
音を合わせ、覚えている限りの旋律を弾いてみる。
「あいつは十二弦で弾いてくれた。…六弦でも弾けるように教えてもらったんだ」
大好きな曲だった。でも、余りいい思い出はない。

高校生の頃、不良グループから集団リンチで半殺しの目に遭わされたことがある。
腕や首筋に残る、たくさんの火傷痕はその時のものだ。
啓の怒りはすさまじく、加害者全員を退学にするまで譲らなかった。

――― これは人種差別です。中国、ソビエト大使館に訴
えますよ。向うにはまだ親族もいるんですから。

半分は嘘だった。親族はたしかにいる。しかし、亡命していった者の子供たちまで面倒は見てはくれない。
それでも、おどしとしては十分な効果はあった。

その間も、自宅療養していた秀によくギターを弾いてくれた。当時、この曲が大好きで、よくリクエストした。
物悲しいギターの響きに、鏡に映った、自分のあざだらけにされた顔が重なる。
火傷で引き攣った腕が痛くて、ベッドのすぐ脇に置かれたカセットに手を伸ばすことも出来なかった。


学校、やめる。
口癖のようにそう言った。
ここでやめたら負けだぞ。
何度も諭され、仕方なく通っていた。
そして、あの時以来、半袖は着たことがない。


思い出に浸ってしまって、遼のことを忘れていた。
「べース、弾いてみろよ、教えてやるよ、簡単なの。
スモーク・オン・ザ・ウォーターは知ってるだろ」
それは最初に覚えた曲だった。テープをかけ、それに合わせて弾いてみせてから遼に渡した。
遼は照れ笑いを浮かべ、それでも真剣な眼差しで太い弦を弾いている。
次はここ、すぐこっちに移って、と、横で教えながら、秀は中学生の頃を思い出していた。
遼の瞳は子供のように輝いている。当時の自分も、このような目をして、そして啓はそれを見ていたのだろう。


突然のノックの音に答える間もなくドアが開き、啓が入ってきた。
「ここにいたのか。遼、部屋の電気、つけっ放しだったぞ」
「えっ…あ、ごめんなさい…」
うろたえ、口籠りながら、
「あ…あの…おかず、たくさん作ったから秀にも…それで…そのまま…」
言い訳のように、小声で呟く。啓はそんな遼の脇を擦り抜け、ソファの秀の横にどっかりと腰を下ろした。
そのまま、遼の存在など気に留める様子もなく、いきなり秀のシャツをひっぱり上げ、剥き出しになった腹を抱き締めてきた。
「よせよ!」

彼の気紛れには慣れているとはいえ、こう突然では驚かない訳がない。
見ると遼は所在無げにのろのろとテーブルの上を片付けている。秀と目が合うと小さく笑って、
「じゃ、俺、帰るね」
と言った。秀は啓の腕を叩き落としてベースギターを手に立ち上がった。
「これ、持ってけ。それとありがとな、ジャガイモ。うまかったよ」
遼は笑みを浮かべて頷き、ドアを閉めた。


「だからあいつの前じゃやめろって言ったろう!」
さすがに、今日は本気で腹が立った。
再び抱きついてきた啓の前髪を掴み上げる。
「可哀想だと思わねえの? 今日だってわざわざジャガイモなんて持ってきてさあ。お前がいなくて寂しかったんだと思うよ。それで目の前でこれじゃあ…」
「いいの、あとであいつも可愛がってやるから」
耳元で囁く、その息が酒臭い。
「てめえ、飲んでるだろ。イヤなんだよ、飲むとしつこいから」
「嬉しいくせに」
「…嫌いじゃねえけど…」
首筋にかかる熱い息に、自然に体が震える。
シャツのボタンが思うように外れなかったのを、啓の指が一つ一つ外していっだ。
一つ外されるごと、気持ちは昂ぶり、乱れてゆく。

やはり、伸と寝るより、啓の方がいい。
好きか嫌いかは別として、互いに相手のことは知り尽くしていた。
それこそ、このまま死んでもいいと思える程まで、狂うことが出来る。安心して心の奥まで曝け出せる。
彼の前では、どこまでも自由だった。
今は、火傷の痕を気にする必要もない。

遼のことを可哀想だと言いながら、それが優越感に充たされたものであることはよく分かっていた。
やはり、啓は自分のもとへ戻ってくる、と。
そんな自分が、たまらなく嫌で、だから余計に快感の中に自分を沈めてしまいたかった。
他のことは忘れたかった。


啓の長い髪が汗で濡れた肩に絡み付いている。まだ大きく喘ぎながら、ぐったりともたれてきた。
「遼はまた今度だ…疲れた…」
「いいから行ってこいよ」
絡む髪を払い除ける元気もないままに言い返す。
「保険、入ってるだろ? 受取人は俺だったよね?」
「馬鹿野郎、死んでたまるか」
啓は笑いながら体を起こした。
「…マラソン、完走した気分だな…まあ、いい。明日は休むからな、俺」
「一日休んだくらいで回復すんのかよ、年寄り」
「うるさい」

テーブルの上に広げられたままのノートを見て、伸のことを思い出した。
「啓、今度さ、安澄さんが食事、行こうって言ってたろう。彰吾さんなんかも一緒に」
「ああ…言ってたな」
「あれさ、伸も連れていったらだめ?」
うつ伏せになって煙草を吸っていだ啓は、伸、と小さく呟き、眉を寄せた。
「誰だっけ…ああ、毛利伸か?」
「毛利…毛利っていうの」
初めて知った。

「うん。連れて行ってもいいけど、あいつがつまらないんじゃないのか?
お互い、知らないんだから」
「伸、ギターやてるんだ。プロになりたいんだって」
「ふうん…それで?」
唇の端で笑いながら促す。すでに秀の考えていることはすべて見透かされているようだ。
「…うん…だから…彰吾さん、顔、広いだろ。紹介しておきたいんだ。それにもしクレッセントで演奏できるようになればさ…」

啓は煙草の箱を指でくるくると回しながら、ずっと小さく笑い続けている。秀が黙り込んでしまうと振り返り、先を続けろ、と言うように顎をしゃくった。.
口元は笑っていなくとも、その目が笑っている。
「…なんで笑ってんだよ」
「お前こそなんで続きを言わないんだ?」
煙草の煙を吐き出しながら、
「あいつは何だ、お前のポーイフレンドか?」
小さく頷く。啓はくすくすと身体を揺らして笑った。
「…なるほどね、分かったよ。ただ、彰吾がなんて言うかまでは保障は出来ないからな」
「うん、分かってる」
そこまでは、求めない。ただ、渡りが付けられればいい。
伸の弾くギターが、プロとして通用するほどのものなのかどうかは、秀には分からない。
けれど、プロになれるかどうかは、実力だけではない。
チャンスをそれだけ掴めるか、そしてそれをどれだけ生かせるか、だ。

「もうひとつ、言っとく」
啓の手が、頼を軽く叩く。
「奴はこの部屋に入れるなよ。分かってるな?」
「分かってるよ、んなこと」
秀はうんざりして答えた。

ベランダ越しに、かすかにギターの音が聞こえてきた。
「…遼…まだ待ってるよ」
返事はない。啓はベッドの周りに散らばったカセットテープを見ている。
「遼のギター、聴いたこと、ある?」
「あるも何も…いやでも聴かされる。暇があれば弾いてる。
…悪<はないけど…へたくそだ」
「教えて上げたことはないの」
「ない」
まるで興昧はなさそうだ。
「なんでさ」
「それはこっちの台詞だな」
持っていたカセットのケースを放り、
「なんでそんなに気に掛けてやる必要があるんだ?」
不思議そうに問いかける。その問いに、秀はしばらく答えることが出来なかった。
「…妬いてんのかもね…」
啓の、驚いたような瞳とぶつかる。
「よく分かんない…でもそんな気がする…」
長い指が髪の中に差し入れられる。そのまま、引き寄せられるままに啓の胸に頼を押し当てる。
聞こえていた、かすかなギターの音は、啓の鼓動に変わっていった。




















John di ghisinsei http://yokohama.cool.ne.jp/gisinsei1129/

2007/10/14