※注意;魔将さんたちが名前を変えて出ております。
ラジュラ→岩村啓 
朱天→安澄将人
アヌビス→広瀬淳
ナアザ→奥平彰吾












Rock'n'Roll 1






 
   青い空から一羽、また一羽と鳩が舞い降りてくる。
やがてそれは芝の上に座った秀の体を多い尽くすほどの数になった。
肩にとまった鳩の爪が生地を通して肌に食い込む。
「いてえよ」
秀は呟き、袋からパン屑を出して放り投げた。
鮮やかな緑の芝の中、星のように散らばったパン屑を目掛けて、鳩たちはあっちへ行き、こっちへ行きしている。
その緑と青の入り交じった輝く羽や、くるりとした可愛らしい瞳を見ているのは退屈しない。

都会の真ん中にいることも忘れて、秀はいつものように新宿御苑でのひとときを楽しんでいた。

ここから歩いて数分の所に、伯父が経営している音楽喫茶がある。
この春に高校を卒業してから、そこで働いている。
伯父は、どこか他で働かせたかったようだ。が、秀にはその気はなかった。
特に、理由はない。単に面倒だったのかもしれない。

袋の中のパン屑がなくなった。秀は鳩に向かって袋を振ってせた。
「もうないよ、またな」
新宿御苑の、きっちりと整備された緑を一歩離れると、とたんに色とりどりの看板が乱立した街並に入る。
看板の他は、空まで灰色の世界だ。
この街は、これから始まる。あたりが薄暗くなり始めた頃から、ここは活気づくのだ。
秀が入ったのは、『カントリー』という音桑喫茶だった。
旧父が経営している『タイトロープ』と似たような所で、今はこんな店が新宿だけでなく、都内のあちこちに無数にある。
 
細長い店の、手前の方に円形に作られたカウンターの中では、伸が洗い物をしていた。
「おはよう」
秀を見て、にっこりと人懐っこい笑顔を見せる。
「おはよう。コーヒーね」
カウンターに小銭を投げ出す。
開店時間の遅いこの店に、今はまだ客はいなかった。

同じ音楽喫茶でも、ここは伯父の店とは雰囲気がずいぶん違う。客層も年令が高く、かかる音楽も、いくらか傾向が違っていた。
店の中は全体がログハウスをイメージした造りになっていて、無造作に置かれた丸太の椅子や、木のこぶが残る厚いテーブルなどが何とも言えない、いい味を出していた。

伸は一年ほど前からここで働いている。その前は、新宿駅近くで賂上でギターを弾いて歌っていた。
出逢ってから三年ほどはたつ。けれど、伸のことはその名字も、知らない。
知っているのは彼がミュージシヤンをめざしているということと、彼の体だけだった。
両刀だという彼は、初めてホテルに誘った時にも何の迷いも見せなかった。

伸はいつも、秀の茶色の髪を羨ましがっていた。今も、カウンター越しに髪に触ろうとする。
秀は軽くその手を払った。
「僕、染めようかな、髪」
「俺は黒く染めようと思ってる」
低く呟き、伸をにらむ。秀は、自分の茶色の髪が大嫌いだった。伸は小さく息をつき、コーヒーを差し出した。
「ねえ、マネージャーのとこ、新しい男の子が来たみた
いだね」
「うん、なんで知ってんの」
「この前一緒に歩いてんの、見たんだ。びっくりしたよ、
あんな子供、連れて…いくつさ?」
「十八。遼ってんだ。今はレジ、やらしてる」
伸は拭いていた皿を持ったまま、十八、と呟いた。
「…とてもそうは見えなかったけど?」
「ほんとだよ。俺と同じ。…まあ、嘘ついてりゃ、それまでだけど」
「そうだよね…」

五時を過ぎたあたりから、ぼつぼつと客が入り始める。
秀は空になったカップを伸に渡した。
「そろそろ行かなきゃ。また来るな」
「うん、待ってる」
にっこりと笑った伸に手を振って、秀は伯父の店へと向かった。




 新宿御苑に沿って走る大通りの脇に、その店はある。
小さな看板には『タイトロープ』としか書かれておらず、はた目には何の店か、見当もつかない。狭い階段を下りた突き当たリに、入り口がある。
武骨な造りの木のドアには、重そうな鉄の錠前が下がり、それは開拓時代のアメリカのバーを思わせた。
しかし、その向こうからかすかに聴こえてくるのは紛れもなく現代のロック音楽だった。

 ドアを開けると同時に、激しいロックのビートに弾き飛ばされそうになる。
ドアの前にあるレジには遼が座っていた。
秀を見て、体を乗り出してくる。
「コーヒー豆、注文した? マネージャーが頼むの、忘れたって」
大音響に負けない大声で怒鳴ってくる。喧しい店内では怒鳴りあわなければ互いの声が聞こえない。
「注文したよ、今朝のうちに」
遼はにっこりと笑い、腰を降ろした。そして、またいつものように仏頂面で木のドアを眺める。


 彼は二週間ほど前にここに来たばかりだ。歌舞伎町で、叔父と知り合ったらしい。以来、彼の愛人として住み込み、この店で働いている。

 まだあどけない、中学生といっても通じそうな感じの少年で、初めて彼の姿を見た時には、それは驚いたものだ。
見た目の幼さだけではない。

 ギター二本を大事そうに抱え、他には着替えの入った小さなカバンしか持っておらず、垢染みたシャツに擦り切れたジーパン姿で、てっきりどこかの公園から流しの子でも拾ってきたかと思ってしまったのだ。

 芋の子でも、洗えばきれいになるものだ。
この店のオーナーの愛人であることが知られてさえいなければ、きっと彼を目当てに通う女の子も増えただろう。
 残念ながら、この店のオーナーである秀の伯父の趣昧は皆に知られている。そして、遼と同じように、秀もまた彼の愛入であるということも、周知の事実だった。


 秀はカウンターで、いつもそこにいるはずの伯父の姿を探した。
その視線に気付いたのだろう。アルバイトの伊達征士が奥の事務所を指で示した。
事務所のガラスに人影がある。電話中なのだろう。
秀は木の椅子に腰を降ろし、煙草の煙で自く霞む店の奥を眺めた。

 カウンターからレジまでの間にボックス席が三つほどある。レジを挟んでその向こう側は、広い空間に長椅子がいくつも並び、客は好きなように座ることが出来る。
他の客の邪魔にならなけれぱ、寝転んでいても構わない。
自分の家では聞けないほどの音量で、好きな曲を全身で聴くことが出来る。
客は、学生が中心だった、平日の昼間でも、講義のない大学生などで賑わっている。

 ガラスで仕切られた一角で、白いエプロンをした男がレコードを掛け替えているのが見えた。
開店当時からいる従業員で、広瀬淳という。遼とは、あまり折り合いがよくない。彼が入ったおかげで、自分がクビになるのでは、と恐れている。
よく言えば快活な、悪く言えば喧しい男だが、秀はその明るい性格が嫌いではなかった。
 半年前に入った征士は、どういうきっかけがあったのかは知らないが、この広瀬の家に転がり込んでいる。
広瀬とは対照的に寡黙な男で、淳に怒鳴られても、店内でもめ事が起こっても自分の仕事のペースを崩すことはない。
いつも白いワイシャツに黒いズボンという、制服のような姿でいる。実際、高校時代の制服であるらしい。
 一応、アルバイトでも被服費は支給される。それでも変わることはない。古かったシャツが新しいものに変わっただけのことだった。



伯父は、まだ事務所から出てこない。秀は溜息をついて
小さなガラスに映る伯父の影を見つめた。

 伯父というのは、秀の父親の、一番下の弟だった。
父と同じく、茶色の髪に灰緑色の瞳を持っている。
 日本人ではない。父は中国人、母はロシア入だった。戦後、しばらくしてから亡命してきたらしい。
岩村啓というその名前は通称に過ぎず、ホァン・シャオキと言う中国名を持っているが、ほとんど使うことはなかった。

 秀が幼い頃に他界した父は六人兄弟の長男だった。末っ子の啓まで、十二の年令の開きがある。だから、伯父とはいってもまだ若い。


 祖父のことは、秀はあまり覚えていないが、日本語がほとんど話せなかった祖母のことはぼんやりと覚えている。
祖母から引き継いだ薄い茶色の髪と灰緑色の瞳のおかげで、学生時代、どれだけ嫌な思いをしたか分からない。
祖父母を憎むより、ソ運が日本に戦争を仕掛ける日を心待ちにしていた。
ソ連機が領空侵犯をした、というニュースを耳にするたび、早くミサイルでも打ち込めばいいと思ったものだ。

 早くに父が死んで、ひとりで苦労したせいか、母は秀に冷たかった。中学に入った頃から母は男を連れ込むようになり、それが嫌で秀は伯父の家の転り込んだのだ。

「義姉さんは体が弱いんだから仕方ないさ」
啓はそう言っては母をかばう。
「女の細腕でここまで育てただけでもすごいよ」
しかし、家出や万引きで捕まったとき、迎えにくるのはいつも啓で、母ではなかった。 



ようやく、啓が事務所から出てきた。いつもきちんと手入れのなされている長い巻き毛は、今は乱れて両肩に散っている。苛立った時の癖で、電話で話しながら指でかきまぜていたのだろう。

「長い電話だったね」
啓は胸までかかる長い髪をかきあげながら、
「遼を呼んでこい」
とだけ言った。
「お前、マユミって女の子、知ってるか」
「ああ、知ってる」
秀も遼も、同時に答えた。彼女は常連の一人だ。
毎日のように顔を見せる。
「昨日は」
「来てたよ」
遼が答えた。
「モリちゃんっているじゃない。あの子と一緒に」
相変わらず啓は不機嫌そうに煙草をふかしている。
「昨夜、マユミって子が帰らなかったらしい。そのモリ、って子からの電話だった」
「ああ、だって羽柴と一緒だったもん」
遼は当たり前のように答えた。啓の顔がますます不機嫌そうに歪められる
「じゃ、一緒にアパートか」
「…かもね」
重いドアが開き、遼はレジに戻った。そして、持ってきた伝票を淳に渡す。
「コーヒーひとつ。十五番ね。…羽柴だったら今日も来ると思うけど?」
「もし来たら呼んでくれ」
それだけいうと啓は事務所に入り、遼もレジに戻っていった。


 羽柴当麻というのは、この店では有名な女たらしだった。
彼と一緒にいた女の子はたいてい、その晩は帰らない。その度、その子の親や友人からこうした電話が入る。
啓が注意したのも一度や二度ではない。成入女性ならともかく、マユミはまだ高校生だった。

「俺は注意したんだ」
聞き取れないほどの低い声に、カウンターを振り返る。
征士がコーヒーを入れながら視線を投げてきだ。
「…注意したって…マユミに?」
こくん、と頷く。
「無駄だね、何言っても。マユミの方が惚れてるんだから。
…ほら、噂をすれば」
征士の視線の先に、当麻のとぼけた顔があった。
「コーヒーね」
「マネージャーが呼んでるよ」
投げ出された硬貨をレジにしまいながら、遼は表情も変えずに言った。
当麻はすぐに察したらしい、冷笑を浮かべ、
「またかよ」
と呟いて肩をすくめ、事務所に入っていった。
そこには少しも悪びれた様子はない。

 やがて、三十分もした頃、当麻が事務所から出てきた。
秀と目が合うと、いつもの懐っこい笑顔を浮かべる。
「マネージャーがね、今度こんなことやったら出入り禁止だって」
「ふうん」
「少し取り成してくれよ」
「やんなきゃいいじゃん」
「分かってるよ、もうやらないって」
こんな台詞はもう、聞き飽きている。別に当麻の弁護をしてやる必要もない。秀はまだ何か言い続ける当麻は無混して、カウンターにもたれ、音楽に耳を傾けていた。



 それ以来、マユミは姿を現さなかった。モリも、来ない。
彼女たちと仲の良かったロディという女の子の話では、当麻のことで二人は喧嘩をしたらしい。
ロディというのはもちろん、あだ名にすぎない。子供かと思えるほど小柄な子だったが、それでも大学生だという。

「モリちゃん、当麻くんに惚れてたんだよ。ずいぶん前からすごい貢いでてさあ。それが横からさらわれちゃったじゃない。あたしなんかさあ、大変だったよ、二人から八つ当りされて」
長い髪をいじりながら淳に愚痴っている。
「それはご愁傷さまだね。…ま、でも今度こんなことやったら出入り禁止だってマネージャーから言われてるし…当分、大人しいんじゃない?」
「へええ…でも、そしたら彼、干上がっちやうんじゃないの? 貢いでくれる女の子がいなくなったらさ」
ロディはそう言って明るい声で笑った。
「その方が世の中のためさ」
淳の言葉に、横にいた征士がくすくすと笑った。





 大通りから外れた道を十分ほど歩き、狭い路地を入る。
そこに、古いアパートがある。その二階に、伸の住まいがある。

 四帖半と、三帖の台所。ベランダはなく、窓を開けれぱ目の前に隣家の灰色の壁が追っている。
家財道具らしいものも、特にない。小さな衣類ケースがいくつかと、段ホール箱。そして、ギター。

 秀が訪ねていった時は小さな扇風機の風に当たりながら雑誌を読んでいた。
「どうしたの、こんな時間に」
「いや、今日は休みなんだろ? どっか遊び、いかねえ?」
「行く、ちょっと待ってて、すぐ着替える」
伸は嬉しそうに雑誌を放り出した。
こういう時の行き先は決まっている。どこかで食事をして、それからホテルヘ行く。
安給料で、日々の食事もままならない伸にとって、それは願ってもないチャンスなのだ。
秀は敷きっ放しの布団に寝そべって雑誌を広げ、伸が着替えるのを待っていた。干しても陽の当たらないこの部屋の布団は、いつもどこかカビ臭い。


秀は駅前に新しく出来たイタリアン.レストランに誘った。
前に、啓と来たことがある。なかなかボリュームがあって美味しい。

「ね、タイトロープって給料、いいの?」
サラダをつつきながら聞いてくる。秀は首を傾げた。
給料に関しては、実の所、詳しく聞いたことがない。
「普通だと思うけどね。なんで」
「いや、みんなあそこ行くと生活、良くなるって評判だからさ。…征士が前にいたとこ、知ってる?」
「知らん…中野の方だってのは聞いたことあるけど」
「うん、カントリーと似たようなとこ。僕、前、中野に住んでたからさあ、一応征士とは顔見知りだったろ?
でね、こっちの店に来たらレコードも買えるってすごく喜んでたから」
「被服費ってのが出るだけ。マネージャーがうるさいから。
征士は服、買わないじゃん。だらしない服装じゃなきゃ、いいんだからさ、安物でも」
「だから征士はいつも着たきり雀なんだ…その分、費用、浮かしてんだ。
いいなあ…」
楽器や、オーディオの類に大金をかけて、その分食費を削っている伸は羨ましそうに呟いた。


二人が行く先はたいてい決まっていた。普通のビジネスホテルで、バイキング形式の朝食が安く食べられる。

ベッドの縁に腰をおろした伸の眉が不審気にひそめられる。
「前から聞こうと思ってたんだけどさ。…いつも服、脱がないね君は。なんで?」
「ああ…いや、別に」
いつかは聞かれるだろうと思っていたことだ。秀は無視してそのまま伸の搬を脱がせにかかった。
「暑くないの?」
「平気」
「脱ぎなよ」
襟元に掛かった手を、思わず払い除けていた。
「あ、ごめん…」
あわてて、怯えだように引っ込められた伸の手をつかむ。
伸はとって付けたような笑みを浮かべた。
「…苦しくないの?」
「全然」
その答えは、半分以上は嘘だった。
 確かに、窮屈だ。しかし、それ以上に裸を見られる方がよほど嫌だ。おかげで、楽しいはずのこうした時間が心から楽しめたことがない。
「別に脱がなくたって出来るじゃん」
「そうだけどね」
伸はくすくす笑って耳に口付けてきた。



 西日が当たって明るく輝いていた窓も、今は赤く染まっている。
秀は体を起こし、ふせったままの伸の身体を揺すった。
「俺はもう行<けど…朝メシ、食って行くだろ?」
「…ん…」
かすかに返事が聞こえる。秀は薄い毛布で伸の体を包み、抱き締めた。細いからだが、腕の中でしなる。

「メシ代、置いてくからな。ちゃんと食えよ」
「…ん…分かった…」
わずかに口元が動くだけで、相変わらず目は閉じられたままだ。きっと、眠くて仕方がないのだろう。
秀は財布から紙幣を抜き取リ、テーブルに置いた。
一番、嫌な瞬間だ。わずかな食事代だけで彼を買っている気分にさせられる。

俺だって同じじゃないか。

自らに言い聞かせ、伸を起こさないよう、そっと部屋を後にした。


ぼんやりと店へ向かう道をたどり、このままどこかへ行ってしまおうか、と思う。母の所でもいい。また、あちこちにいる伯母たちの所でも歓迎してくれるはずだ。
いつも、ここから逃げることを考えている。
けれど、縞局はいつも、啓の所へ帰っている。
俺だって同じだ。
先刻、自らに吐いた言葉が再び頭の中をめぐる。

店に入るなり、秀は真っすぐ事務所へ向かった。

















John di ghisinsei http://yokohama.cool.ne.jp/gisinsei1129/

2007/10/14