クリスマスの夜






 
   偽装鏡面の内側は、外よりは幾分、温かいはずだったけれど、ここ数日、急に寒くなってきている。
カレンダーにあわせて島を移動させたのでは、と思うほどだった。
 もしかしたら、偽装鏡面は解除しているのかも、知れない。
 サンタが来られないと、子供たちがかわいそうだから。
いつだったか、アルヴィスでクリスマスの話が出たときに、そのようなことを、誰かが言っていた。
 その後は、総士はアルヴィスに行っていなかったから、どうなったのか、よく知らない。
史彦からも、何も聞いていない。



 一騎の家のクリスマスツリーは、腰の高さほどの、小さなものだった。
三年くらいも飾ることもなかったというそれは、ほこりだらけの箱に入って、物置の片隅にあった。

 小さなツリーに、小さな飾りを付けていきながら、ふと、一騎の横顔を見て、総士は思わず微笑んだ。
胡坐を掻いたまま、星飾りや、モールを付けているその顔は、まるで子供のようだ。


 「これは司令が買ってくれたのか?」
「うん、俺が小さい頃にね。…なんか、すごく嬉しかったなあ。クリスマスなんて意味、知らないよな、ガキだから。でも、こんなのがあって、ケーキも買ってきてくれて、特別な日なんだなあ、って…」
そう言って、恥ずかしそうに笑う。

 総士は、ふと、この家で、小さなツリーを飾る史彦と小さかった一騎を想像してみた。
一騎は、きっと、はしゃいでいたことだろう。
あの史彦も、それを見て、きっと微笑んでいたことだろう。
 そうして、きっと、買ってきたケーキを食べていたのだろう。
幾人かで集まってパーティをやるようになったのは、あれは、何歳の頃だったろう。
 
 もう忘れてしまったな。

クリスマスなど、どうでもいい、と思い始めた頃から、当時の記憶は薄れてきている。
それが、少し寂しい。

 イミテーションのもみの木に、飾りをつけ、雪の代わりの綿を乗せると、それでも少しは気分が出てくる。

「それっぽくなったじゃん」
一騎は、満足そうに頷いた。
「後は豆電球、つければ完成だ」
嬉しそうに言って、小さな箱から豆電球を取り出し、巻きつけた。

「…遠見のとこみたく、立派じゃないけど」
一騎が、ぼそっと呟いた。
「でも、これでも子供の頃はすごく嬉しかったんだよ」
「……そう…だろうな…」
ツリーを見つめる、一騎の顔は、少し寂しそうにも見える。
「…すごく、嬉しくてさ。でも、よその家のはもっとでかいだろ。
なんでうちのだけ、こんなに小さいのかな、って」
「……」
そういえば、昔、自分の家にあったツリーも、それなりに大きかったことを、総士はやっと思い出した。

一騎は、顔を赤くして小声で呟いた。
「うちの、小さすぎて…なんかね…ちょっと恥ずかしかったの、覚えてるな…」
「…でも…きれいじゃないか」
史彦は、それでも、一騎が喜ぶ顔を想像しながら買ったのだろう、と思う。
ほこりだらけになっていたあの箱が、まだ真新しかった頃、それを抱えて家路を急ぐ史彦がいたのだ。
 今は小さく見えるこのツリーも、小さかった一騎には、とても大きく見えたことだろう。

 しばらく黙ってツリーを見ていた一騎は、小さくため息をつくと、
「さ。片付けて…食事のしたく、しないと。
父さん、じき、帰るだろうし。
あ、そうだ、かずきにご飯、やらなきゃ」
「あ。忘れていたな…しかし、静かだな、かずき」
いつもなら、とうに食事の催促にうるさいはずのかずきが、やけに静かだ。
見ると、猫のかずきは窓の外を見つめて動かない。
少し開けられたカーテンの隙間から、白い景色が見えた。
「…一騎…雪だ…」
「え」

 朝から降っていた雨が、いつの間にか雪に変わっていた。
猫のかずきは、空からちらちらと降ってくる白いものに興味を引かれて、食事の催促も忘れていたらしい。
「わ。積もってる…」
庭の草木も、石も、うっすらと雪を被って白くなっていた。

「総士…偽装鏡面の中ってあったかい、とか言ってなかった?」
「…そのはずだが…解除したかな?」
軽く首を傾げる。
 確か、南極近くまで来ていたとは思ったが。
雪が降るほどの寒さでもなかったはずだ。

「ホワイトクリスマスなんて…出来すぎじゃん…」
一騎の呟きに、ふと、思い当たることがあった。

 もしかしたら。
 …乙姫が?

彼女なら、可能だろう、とは思うけれど。


子猫は、しきりにこちらを見て細い声を上げる。
「おい、外に出たいらしいぞ」
「えー…」
しばらく猫を見ていた一騎は、そっと窓を開けた。
猫は、にゃん、と一声上げて、それでも、すぐには飛び出さず、慎重にその雪の匂いをかいでいる。
一騎はその猫の背中を押した。
「大丈夫だよ、出てみろ」
楽しそうに、一騎も外に出る。
「総士、雪合戦、やらない?」
「…雪合戦…」
「ああ。だって今度はいつ、こんなに積もるかわかんないし」
外に出た一騎は、早速、笹の葉の上に積もった雪を集め、猫にぶつけている。
かずきは、体に掛かった雪に驚きながらも、不思議そうに見ている。
舐めるとすぐに消えてしまうそれの正体が、猫には不思議なのだろう。

 

 外に出るや否や、首筋に冷たい衝撃が来た。
「わっ…! 一騎…!」
「お前も投げろよ」
一騎の、子供のような笑顔に、首に当たった雪玉の冷たさに―――
一瞬、忘れていた、子供の頃の記憶が鮮やかに蘇った。

 あれは、何歳だったろう。
皆で、雪を投げて遊んだ、あの時。
 
 総士は、手近な雪を掴んで投げた。
けれども、それは一騎に当たる前に散ってしまった。
「相変わらず下手だなあ、お前!」
そう、いつも自分はこんなふうに下手で、そして、一騎は上手かった。
狙いも正確だった。

「今度は外さないからな」
そう言って、再び握った雪も、またも、一騎のところまで届かない。
一騎は、笑って、駆け寄ってきた。
「お前、もっとこう…ぎゅ、って握れよ」
目の前で、雪を掴んで見せる。
総士は、そんな一騎の手を、呆然と見つめた。

 そう、確か、あの時も。
いつだったか、小さかった頃。
 いつも、逃げ回る自分の代わりに、雪玉を作っては投げた一騎の、その素早さに、驚いたものだった。

「一騎、すごい…」
思わず声に出して呟いて、そして、それと同じ台詞を、あの時に言ったことも、思い出した。
 一騎は声を上げて笑った。
「出来るだろ? 地面のはやめてくれよ、石が混じってるかも知んないから」
「それくらい、ハンデを付けろ」
「やだよ!」
総士は、いつしか、寒さも忘れて、一騎に雪を投げ、猫を追いかけていた。


 やはり、クリスマスは特別なのかもしれない。
日本において、すでに宗教とは関係のない、ただのイベントとして定着したそれは、子供にとって特別な日、なのだろう。


 

 夜中になって、総士は、ふと、目を覚ました。
隣に寝ているはずの一騎が、こちらを窺っているらしい。
 と、やがて、一騎が起き上がる気配がした。

 こんな夜中に、どうしたと言うのだろう。

 一騎は、静かに布団を抜け、立ち上がる。
しばらく、紙のこすれる音が続き、一騎がそっと足を忍ばせて歩く様子が分かって、総士は体を起こした。
 暗闇に慣れた目に、一騎が何かを抱えて戸を開けようとしている様子が見える。

「…やはりそうか」
一騎の体が、大きく震え、何か、紙が落ちた。
 人間が驚くところというのは、こんなふうに見えるのか、と、少し可笑しくなった。
 ゆっくりと、一騎が振り返る。
「総士…起きてたの…」
小声で言う。
胸に、大きな、リボンの掛かった箱を抱えていた。
おそらく、それを、ツリーのところに置いてくるつもりだったのだろう。
紙は、何日か前に書いた、サンタへの手紙だった。

 しばらく立ち尽くしていた一騎は、やがて、暖房を入れ、明かりをつけた。
「あの…」
抱えていた包みを、隠しようもないのに、背中に隠して、赤い顔をしている。
 こういう時、どう言ったらいいのだろう。
「…サンタはお前だったんだな、一騎」
「あ…あの…」
おどおどと、目を泳がせていた一騎は、やがて、背中に持っていた包みを差し出した。
それを受け取り、リボンを外す。
箱から出てきたのは、手紙に書いたものとは違ったけれど―――
コートではなく、ニットのジャケットだったけれど。

 一騎は、相変わらず顔を赤くしたまま、呟くように言った。
「あの、ごめん、あんま高いの、買えなくて…それで…」
でも、ざっくりと編まれたそれは、とても暖かそうだ。
その時になって、総士は、自分は何も一騎に用意していなかったことを思い出した。
 
 「あ…一騎…すまん…その…」
「なに?」
「いや、プレゼントを…自分で用意する、というのを…思いつかなくて…」
 この歳になって、サンタを信じていたわけではないけれど、それでも、否定する根拠もなく、したがって、自分がプレゼントを用意することなど、まったく思いつかなかった。

一騎は、大きく首を振った。
「とんでもないよ、だって…お前、来てくれただけでなんかもう、盆と正月とクリスマスと誕生日と…あと…とにかく、みんな一度に来たみたいに嬉しいのに!」
どもりながら、早口にまくし立てる。
「この上、お前からなんかもらったりしたら…俺、どうしていいのか、分かんなくなっちゃう」
だから、と、一騎は、相変わらず赤い顔のままで続けた。
「…あの…それ、着てくれたら…それで…」
「ああ。着てみる」
パジャマの上から、そのセーターを着てみた。
暖かく、着心地も良い。
「あの…どんな…?」
おどおどと聞いてくる一騎の顔に、思わず笑ってしまっていた。
「ああ。あったかいぞ。ありがとう」

やはり、クリスマスは、特別なのだ。
総士は、思わず、一騎の胸に頭を預けていた。
「…総士?」
「……いや…サンタは…本当にいたんだな、と思って」

 北方の国からトナカイのそりに乗って来るのではなく。
サンタクロースは、自分の、すぐ目の前にいたのだ。

 子供の頃を思い出させ、そして、今、暖かいセーターをくれる、自分だけの、サンタクロース。

 まだかしこまったままの、一騎の背中に、そっと腕を回し、そのまま、パジャマの背中を掴んだ。
 自分だけのサンタクロースの背中を、総士は抱き締めていた。





  
 
 



 







John di ghisinsei http://yokohama.cool.ne.jp/gisinsei1129/

2005/12/20
「クリスマスに向けて」の続き。
実は前の話は「Procyon」さま復活記念でした。
が、UPした時はまだ公表していいものかどうかわからなかったので。
改めて、六原様、復活おめでとうv の小説(笑)