彼方へ・8






 
     メディカルでは、遠見弓子がモニターに張り付いていた。

「あ、司令」
「弓子君…大丈夫かね。寝てないのではないかね」
弓子の目の下には、はっきりそれと分かるほど黒く隈が出来ていた。
弓子は軽く首を振り、モニターに向き直った。
「大丈夫です」
「しかし、君一人では大変だろう」
先日来、弓子は一人でここに籠もっている。
「いえ、これは誰にも手伝ってもらいたくない…。
…それより、司令。美久ちゃんには連絡は取れますか?」
その口調には、軽い焦りが滲んでいる。
史彦は、いや、と呟いた。
「まだ家に閉じこもっている」
「…そうですか…あの、気持ちは分かるんですが。
出来るだけ…出来るだけ早く一騎君たちに会わせてあげてください。でないと…」
キーに指を乗せたまま、俯き、目を閉じる。
「…でないと?」
史彦は促した。
「もしかしたら…」
目を開け、目の前のモニターを見る。
「もしかしたら、もう会えなくなるかもしれないんです。彼らの体が…分解を…」
「…え?」
史彦は耳を疑った。
「すみません、言葉が正確でなくて」
弓子は慌てたように言うと、気持ちを落ち着かせるためか、いくつか大きく息を吐いた。

「彼らの体は分解され、還元される、それを繰り返しています。いえ、そう見える、というだけなんですが」

「それが何を意味しているのか私には分からない…。
でも、もしかしたらこのまま消えてしまう可能性もあるんですよ」
最後は、泣き声に近かった。
「ですから…子供たちを一刻も早く会わせてあげてください…」
「分かった…すぐに…連絡を取ろう…」
「私も」
再び、キーを叩きながら言い添えた。
「後で伺います」



メディカルを出て、電話をするべく、歩き出す。
足元がふらついているような気がした。

 これから先も。
まだ、足りない、というのか。

 家にかけた電話に出たのは、栄治だった。
今も、付いていてくれるのだと思うと、どこか複雑な思いがある。
「美久を…連れてきてくれるか、栄治君」
詳しいことは、言わないつもりだった。
「嫌がっても何でも…連れてきてくれ」

 受話器を置き、しばし、史彦はその場に留まっていた。
 思えば、質問ばかり浴びせていたように思う。
司令官としての立場を忘れまいとする余り、父親として、人間としての立場を忘れてはいなかっただろうか。
 これで、もしもまた二人がいなくなったら。

 史彦は受話器から手を離し、その場を後にした。
 







 スクリーンでは、前と変らず、大きな魚がゆったりとひれをふるわせ、泳ぎ続けている。
行きつ戻りつする灰色の大きな魚の向こうに、走ってくる子供たちの姿を見た。

今すぐにも走り出したい衝動に駆られて、総士は体を震わせた。
それは、傍らにいる一騎にも伝わったのだろう、背中をさすり、耳元で囁く。
「日向が来るね…祐哉も」
総士は頷いた。
「…コアを…目覚めさせた…」
「うん」
俯いたままでいると、一騎が額を寄せてきた。
「…子供たちに…会わないの…?」
静かなその問いかけに、胸が潰されそうになる。
「………」
そっと一騎を見る。一騎は静かに微笑んでいた。
静かに、そして、寂しそうに。

一騎の方こそ、もしかしたら会わないつもりでいるのだろうか。
「会ったら何もかも忘れそうだな」
一騎は泣き笑いの顔で呟き、肩に顔を伏せてきた。
 同じ思いでいる。
会えば、もうどこにも行きたくなくなるだろう。
腕を、強く掴まれて、総士もまた、一騎の背中を強く掴んでいた。

 二人だけで良い、と思っていた。
けれども、二人で想う、これは、なんと言えばいいのだろう。
互いの存在がありさえすれば、と思っていたのに。
 子供たちは、未来だ。
大きな流れは、今、自分たちから子供たちへと受け継がれようとしている。

 史彦の気配に、総士は顔を上げた。
ドアが静かに開かれ、史彦が入ってくる。
その顔は、緊張に強張っていた。
軽く、こほ、と咳をする。
「あの、一騎。先ほどから…悪いと思ったんだが…その、モニターでこの部屋の様子を見ていた」
「うん?」
史彦はしばらく床を見つめている。
言葉を探しているようだった。
 総士には、彼が何を言いたいのか、分かっていた。
「…姿が…消えましたか?」
史彦は驚いたように顔を上げた。
「知っていたのかね」
「はい」
「…今…解析を急いでいる」
「だから父さん、言ったろう」
一騎が苦しそうに言葉を紡ぐ。
「この体は…情報の集合体だ、って。
体の中の説明をするのは難しいけど…俺の中の…その、フェストゥムの部分…それが今、情報収集に躍起になってる…」
わけが分からない、というように、史彦は大きく首を振った。

また床に視線を落とし、今度は、別のことを呟いた。
「コアが…」
「目覚めましたね」
総士は軽く笑いかけた。
「今までほとんど動きはなかったのに」
「…詳しい理由は分かりませんが、おそらく…日向を通しただけでは余りに情報も少なく…ミールが成長できなかったから、でしょう…」
「日向…やはり…日向、なのか…」
史彦は、がっくりと椅子に腰を落とした。
 その寂しげな横顔に、胸が詰まる。
彼は、今までも、そして、これから先も、なんと多くのものを失うことだろう。

 総士は一騎を促し、一騎は頷いて父の横に腰を下ろした。
「…あの…大丈夫だよ…日向もいなくなるとか、そういうんじゃないんだし…」
「日向はまだほとんど、知りません」
総士は言い添えた。
「乙姫を通してしか、何も分からない。
乙姫も僕も、無と存在の循環を教えたけれど…それからまだ先がある…」

ふと、言葉を切り、ドアを見る。

「開けてっ!」
祐哉の喚き声に、一騎は苦笑し、総士を見た。
顔が強張ってくるのを感じて、総士は思わず頬に手を当てた。
 今、どんな顔をしているのだろう。
子供たちは、どれほどに大きくなったことだろう。
その成長はずっと見ていたけれど。

「開けてくんないの? ぶち破るぞ!」
泣き喚く声に、史彦はため息をついて立ち上がった。

ドアを開けるなり、何か言いかけた史彦の横をすり抜けて祐哉が駆け込んできた。

「とう…」
言いかけた言葉が、切れる。
それも一瞬だった。
「こないだのあれはなんだよ! 俺、すげえ痛かったんだぞ! 死ぬかと思ったんだぞ! ほんとに…ほんとに死ぬかと…」
頬を紅潮させ、声を嗄らして喚き散らす祐哉は、かつての一騎によく似ていた。
身長は一騎よりも高くなっている。体格もいい。
 いい男になった、と、総士は思った。
一騎は頷き、軽く微笑みかけた。
「ああ…悪かった。よく耐えてくれた。ありがとう」
「馬鹿やろうっ!」
喚く祐哉の頬を、ぼろぼろと涙が零れ落ちる。
「俺を死なす気だったんかよっ…!」
「祐哉!」
史彦が祐哉の肩を掴み、引き離そうとするのを、一騎は押し留めた。
「大丈夫だよ。…祐哉、ごめん。でも、よく頑張ってくれたな」
「大丈夫って何が大丈夫なんだよっ! …馬鹿やろうっ!」
喚き続ける祐哉の後ろに、日向が控えめに立っている。
総士はそろそろと体を起こし、歩み寄った。
「あのね、お母さんの…妹、って言う人に会ったの」
歳の割りに口下手で、引っ込み思案な末娘は、それだけを言うのにかなりの努力を必要としたようだった。
総士は軽く頷き、日向の肩をそっと抱き寄せた。
とたんに、想いが溢れ出る。
 その成長を見ていることは出来ても、触れられなかった。
触れること、それを、どんなに欲したことだろう。

 ほとんど、傍にいてやれなかった。
倒れた時に、最後に耳に残ったのは、美久が泣きながら史彦を呼ぶ声、日向の火がついたように泣く声、そして、体を揺すり、呼びかける祐哉の声―――
それらすべてが鮮やかに蘇る。

 たくさん、言いたいことはあったのに。

 謝りたかった。
言えるなら、もうどこへも行かないと、そう言いたかった。

 溢れんばかりの想いは、けれど何一つ言葉にはならず、ただ二人を抱き締めていた。































John di ghisinsei http://yokohama.cool.ne.jp/gisinsei1129/

2006/04/03