彼方へ・6






 
   重い沈黙が降りる。
一騎は軽く笑った。
「そんな顔するなよ、父さん。
人間も同じなんだから。土じゃなくて…肉体、ってだけで」
「一騎…お前は…今、私が考えたことを…」
「読んだわけじゃないよ、表情とかで分かるだけで、超能力者じゃないもん」
 どうも、皆を不安がらせてしまったらしい。
一騎は努めて笑顔を作った。
総士もまた、同じように感じていたのだろう。
膝に乗せた千羽鶴をふわり、と持ち上げ、寄越す。
持っていろ、ということか。
一騎は苦笑して、日向が懸命に作っていたという千羽鶴を抱えた。

「少しだけ…僕に見せられるものをお見せします」
まだ、体が慣れないのだろう、肩を借りる、といって、一騎の肩にしがみつきながらどうにか、ベッドの脇に立った。
すっ、と手を、スクリーンにかざす。
大きな魚の映像は、乱れ、消えた。
代わって映ったのは、暗い大地だった。
 上の方は、いくらか明るくなっている。
地平線なのか、軽く湾曲した部分は僅かに明るく、渦を巻いた暗い雲が判別できる。
光は、厚い雲の表面で反射し、あるものは屈折し、地面にまだらな光を散らしている。

「これが」
総士は、言った。
「彼らの故郷、もしくは拠点…僕にも、よく分かりません。もともとここにいたものたちが同化されてしまった結果、こうなったものか…」
「…これは…どうなってるんだ?」
剣司が身を乗り出した。
「雲に覆われた惑星だよ、剣司。切れ目から僅かに地面が見える…何もない…」
雲の切れ目と思しきところからは、荒涼とした大地が見えるだけだった。
「この星は地球から数万光年は離れた、どこかの銀河だと思う…太陽はどうも連星なのか、そのせいで影が地球とは異なって見える。
もとはもっと太陽に近かったのかも知れない。
でも、今は遠くて、その上に雲に覆われているから光はほとんど地上には…少なくとも、生物が生存できる環境にはないだろう」

 画面が流れ、消える。
そこには再び、大きな魚がゆったりと泳いでいた。
 総士は手を下ろし、息を吐いた。
今の作業は、かなり負担になるものだったのだろう。
「…あそこで…彼らは生きてる。あの何もないように見える、あそこは、情報が渦を巻いている。
そこで…生きている、と言う言葉が適切なら…彼らはあそこで生きているんです」
「……ふむ…」
史彦は唸った。
「あれを」
さらに、総士は続けた。
「彼らは、宇宙での、進化の結果だと見ている…」
「進化…」
一騎は、モルドヴァで日野洋治から史彦が受け取ったはずのデータのことを思い出した。
「父さん…日野のおじさんは…その、母さんだった人から言われたんじゃなかった?
…同化は進化させるためだ、って」
「………」
史彦は眉を寄せ、そして、重々しく口を開いた。
「…あれが…進化だというのかね…何もない、地面だけの…」
肩にもたれていた総士が、頷いたのが分かった。
「はい。少なくとも、彼らはそう呼んでいる。
進化をどう捉えるか、という問題でしょう。
情報をやり取りすることが一瞬で出来る、通信機器に頼ることなく。それがもっともっと進めば、人は実体である必要すら、なくなる。
…もしかしたら…彼らの言う、進化の極致にあるものは、我々にとっての退化、かもしれない。
そして、一騎のお母さんは…甲洋も、情報の他に、記憶という、個特有の情報を持っていた。だから…形を保ち得た」
史彦の方を見て、総士は軽く首を傾げて微笑んだ。
「…土の塊をこねて…例えばそれに花瓶、という個を持たせるように。それは外部から与えられたものですが、同じように、記憶も、外部との接触によって作られる。僕たちの場合は、思い出、として個に帰結するが、彼らはそれを同化し、情報の一つとして処理し、共有しようとしている…」
そこまで話すと、疲れたのだろう、大きく息をついて、がっくりと凭れてきた。
「…総士…寝てろ…」
総士は頷きながらも、なおも、史彦と剣司を見、言葉を続けた。
「情報を共有するだけの世界には…剣司…喜びはない…代わりに、苦しみも…痛みもない…。
消える恐怖もない。もちろん、憎しみも何も…でも、次の世代に託す希望もない…」








 日向は、アルヴィスの中を走っていた。
本当は、両親のいるメディカルへ、兄と一緒に行くはずだった。
「日向、どこ行くんだ、だめだよ!」
制止する兄の手を引き、いつものお友達に導かれるまま、地下への階段を駆け下りていた。
 恐怖はない。
友人に言われた気がしたのだ。
 会ってくれ、と。
「日向、そっちは…」
「いいから一緒に来て、お兄ちゃん」
「……」
祐哉は、ふう、とため息をついて天井を仰いだ。
「分かったよ、どうせ一人でも行くんだろうから…付いてってやるよ…」
手を引かれているだけだった祐哉がすぐ横に来た。
「こっちでいいのか?」
「うん、ここ、真っ直ぐ」
そして、兄を見た。
大きな箱を抱えている。父に見せる、と言って、戦艦大和の模型をケースごと、箱に入れて持ってきたのだ。

「お兄ちゃん、ありがと」
「うん?」
「一緒に来てくれてありがと」
「お前が手を引っ張ったんだろう?」
不貞腐れたように言う兄に笑いかける。
 叱られると判っていても、付いてきてくれたのだ。日向には、それだけで嬉しかった。

友人は、さらに奥へと手招きしている。
日向は、時おり友人を見、道が間違っていないかを確かめながら先へと進んだ。







 父も、剣司もいなくなった病室は静かだった。

「話し過ぎたんじゃないのか、総士…疲れたんだろう」
白い頬に手を当てて、撫でる。
目の傷に指先が触れた時 ――― 一騎は、そっとそれを撫で、口付けた。
総士の指が躊躇いがちに髪に絡んでくる。
「疲れてはいない…ただ…話したことに自信がなくて」
「お前らしくない…」
「うまく表現できなかったんだ」
それは、一騎にも判る気がする。
あの何もない空間で見たものを、そのままに再現するのは、途方もないことに思われた。
さらに、今の総士は、かつての、指揮官だった頃の彼とは違う。
一人の母親でもあって、子供たちの存在が大きく心を波立たせているのだろう。

一騎は、眠そうな総士の髪をかき上げ、その頬を両手で挟んで口付けた。
 これが。
人間たる証しなのだ、と思う。
確かに、自分たちは人間とは違うものになったのかもしれない。
それでも、子供たちの心配をし、互いを気遣い、確かめたいと思うのは、間違いなく、まだ自分たちが人であることの証しなのだろう。
 手が、胸に触れた時、手の甲を思い切りつねられた。
「馬鹿者。ここをどこだと思っているんだ」
「あ…あの、胸、まだあるかな、って思って」
とたんに、鼻先を弾かれて痛みに涙が滲んだ。
「俺の方が起きたの、後だったし…」
総士は軽く笑った。
「それは自分の勝手だろう。…一応…少しは待ってたんだ」
思わず、総士の手を握り締める。
 
 目覚めていなくとも、総士が起きて部屋を出たのも、待てない、という言葉を残したのも、分かっていた。
それでも、空のカプセルを見た時に、また失ったのか、と、一瞬、総毛立ったものだった。
「そういう冷たいところは…変らないのな、総士…」
呟きは、静かな部屋に沈み、消えてゆく。
総士の寝息が聞こえた。
それを、心地良く聞きながら、一騎は、地下を行く子供たちの足音を、頭の隅で追っていた。

























John di ghisinsei http://yokohama.cool.ne.jp/gisinsei1129/

2006/03/31