彼方へ・4






 
  窓のない室内に取り付けられたスクリーンでは、大きな魚がゆったりと泳いでいる。
水槽の端まで行くと、また、戻る。時おり水面に顔を出してまるで空気を吸うように大きな口をぱくり、と開ける。
 本物の魚の映像を届けているその画面では、時に餌を与える人物の手が映ることがある。
 水面に影が映り、虫を持った指先が見えた。
魚は、勢い良く水面に向って泳いでゆき、虫に飛びついた。

総士は、ベッドに半身を起こしてその様子を見つめていた。
もっとも、目はスクリーンを見ていても、心は、ここにはない。
画面の水槽の向こうに、子供たちの姿を探していた。


まだようやく起き上がることが許されたばかりだった。
検査に次ぐ検査は、以前、北極からここに戻った時を思い出させた。
それでも、今回はまだ気が楽だった。
 むしろ、どうでも、良かった。

 面会は剣司と史彦のみ、許可されていた。
一騎と会えたのは、ほんの三日ほど前のことに過ぎない。
それも、本当に顔を合わせただけ、と言って良かった。

 目覚めてから、すでにひと月が過ぎようとしていた。




 まだ、子供たちには会ってはいない。
それでも、様子は分かっている。
美久があれからだいぶ寝込んでしまったことも、祐哉がここに来たがって大騒ぎをして史彦を困らせていることも。


 「総士、いいか?」
ノックと共に、剣司の声がする。
「あ…ああ」
静かに、扉が開く。
剣司の後ろに、一騎もいた。

剣司が抱えていた包みをベッドに置いた。
「これ。日向ちゃんからだよ。
千羽鶴だって」
「…ありがとう…」
色とりどりの、小さな折鶴に、涙が出る。
どんな思いで、これを折っていたのだろう。

俯いて鶴を撫でていると、ふわり、と髪に手が掛かった。
一騎の手の平がゆっくりと髪を撫でてゆく。
「…お前らしくない失敗だったな、総士…」
「ああ…本当に…こういう時に…女だったんだ、と思い知るな…」
一騎の手が、止まった。
「…すまなかったと思ってる…分かってたのに…」
「総士…」
手を握ってくる一騎の指先を、そっと外した。
「分かってた。あの子も…自分と同じだったのに…。
両親がいない、それで自分を支えてたんだ、美久は。
…駄目だな…こういう時に…女の面が出る…」
頬を伝わった涙が、口に入る。それは、苦かった。
「自分がそうだった。父親がいなかったから…だからこそ、自分を支えていられた。乙姫と…島のために」
父親がいたら、甘えてしまっていたかもしれない。
あそこまで自らに厳しくなれなかったかもしれない。

そんな自分と同じようにして自らを律していた美久の前に、いきなりいないはずの両親が現れたら、混乱するだけでしか、ないのだ。
それを、分かっていながら気が急いてしまっていた。




「でも、みんな、会いたがってるんじゃねえの?」
それまで黙って背中を向けていた剣司が、やはり背中を向けたまま、口を挟んだ。
「なんで…会ってやらねえの、総士。会って話せば…分かると思うよ…」
「……何故…今更…」
 育ててやれなかったのに、途中で母親としての役目を放棄してしまったのに、今更どんな顔をして会えというのだろう。
しかも、あの戦闘では美久を窮地に追い込んでしまったというのに。

 小さな折鶴を一つずつ手で繰りながら、スクリーンに目を移す。
 本当は、今すぐにでも飛んで行きたいのに。
一騎の手の平が、また髪を撫でる。
その体温を心地良く感じながらも、寂しさに泣きたくなる。
 総士は目を閉じ、唇を噛んだ。
今は。
そう、他に、すべきことはたくさん、あるのだ。
子供たちのことにばかり気を取られていては、いけないのだ。


「あ、司令が」
剣司が小声で言い、振り返った。
「一騎、お前、司令とどこまで話した?」
「…いや…まだほとんど話してない…祐哉の様子を聞いたぐらいで」
一騎もまた、この数日でようやく本来の調子を取り戻したばかりなのだ。







 史彦は、弓子から渡された報告書を繰り返し、読んで頭に叩き込もうとしていた。

 「祐哉君は北極での戦闘と思われる光景も見ています」
弓子は報告書を渡す時に、困惑を隠そうともせずに言った。
「他にも、総士君や一騎君しか知らないはずのことを知っていました。あの、蒼穹作戦での出来事や、それから…」
言い淀み、思い切ったように、
「あの、一騎君のお母さんが現れた時のことも」
「……それはどのような形で?」
「彼自身も良く分かっていないようです。
ただ、映画を見ているようだった、と」
「…そうですか…」

 祐哉に聞いてみても、同じ答えしか返ってこなかった。
それが、なにを意味するのか、史彦には分からない。
分かりようもない。



 病室を訪ねた史彦は、どう切り出そうか、と、言葉を探した。
 本当は、そんなことよりも、息子を抱き締めてやりたかったのに。
無言のまま、息子を眺めるしか、出来なかった。
居心地の悪い時間が流れる。
 やがて、一騎の方から笑いかけてきた。
「…ありがとう、父さん…あの…子供たちのこと…」
「いや…」
続いて、総士も、俯いたまま、深く頭を下げる。
頭を下げたまま動かず、肩を震わせる総士に、かける言葉も見つからず、ただ、その肩を両手で押さえていた。
「美久のことはもう気にするな…その内、落ち着くだろう…そうしたら会ってやりなさい」
「…はい…」
掠れた声に、またも、居場所を失いそうになる。

 彼らは、今、親としてここにいる。
それは、自分も親であればこそ、分かるものだった。
何よりも子供が大事なのは、いつの世でも変わることはない。
子供たちを危険な目に遭わせなくてはならない自分の立場を放棄したくなるのは今に始まったことではなかった。


「一騎」
史彦は報告書に目を落とすことで、己の役目を取り戻そうと試みた。
「これを…読んでみてくれるか」
「…うん」
一騎は、片手で総士の頭を抱え込んだまま、もう一方の手で報告書を取った。
そして、さっと目を走らせる。
「ああ…あの時の…祐哉はこんなふうに感じたのか…そうかもしれないな…」
他人事のように、淡々と呟く。
「私には分からん…一騎、それを…説明できるか?
つまり…あの時、何が起こったのか」
「…ああ…うん。俺が…彼らの意思を取り込んだ、それだけだよ」
「……」
今、ご飯を食べたところだよ、と言っているのと変わりのない調子で言われて、史彦は言葉を失った。
剣司もまた、ぽかんとして一騎を見ている。

「…それは…つまり…?」
やっと、言葉を出す。
けれども、それは質問でもなんでもなく、ただの呟きに過ぎなかった。
「つまり…って。俺も…理論だてて話すの、得意じゃないんだけど」
ちら、と総士を見る。
「父さん、前に言ってたよね。母さんが…フェストゥムの正体は土だって言ってたって」
「…ああ」
「その土、ってのはすごくありふれた存在で…だからなんて言うか」
言葉を詰まらせ、天井を振り仰ぐ。
「えっと…彼らが…とりあえず、形を取ってみた、その時に土を使っただけ、なんだと…思う」
目を伏せ、抱き込んだ総士の髪に顔を寄せて、一騎は、寂しそうに微笑んだ。

「…父さん…今の俺たちの体も…これはもしかしたらとりあえず、のものかもしれないんだよ…」
























John di ghisinsei http://yokohama.cool.ne.jp/gisinsei1129/

2006/03/30