彼方へ・12
CDCのメインコンピューターが一段と唸りを上げる。
「データが来ました」
西尾里奈の声は、それとなく指示を仰いでいる。
剣司は顔を上げた。
「解析しといて」
「…はい」
少し沈んだその声に、他人任せのように聞こえたかな、と、剣司は少しだけ、反省した。
しかし、実際に剣司が何かやることはない。
やるのは、コンピューターであって、剣司の仕事ではなかった。
最近、三日に一度はこうして大量のデータが流れ込んでくる。
それらを分析し、すぐに使えるものだけを除いてはほとんどが眠らせてある。
それらも、いつか、使う時があるだろう。
一騎。総士。
次々と現れては消える、モニター上の光の情報を眺め、呟く。
これらは、どこから来るものかは分からないけれど、一騎たちが送ってくるものに他ならなかった。
おかげで咲良もだいぶよくなったよ。
サンキュ。
ほとんど寝てばかりだった咲良も、今はだいぶ動けるようになって、栄治も安心した様子だった。
同化現象の治療法だけではない。
あらゆる防衛設備も、送られてくるデータをもとに改善を加えている。
そして、これから生まれてくる子供たちにとっても、それらの情報は貴重で、有益だった。
出撃は、今もたまにあるけれど、以前に比べたら確実に減りつつある。
データもいいけど。
ぱちん、と、手近にあったファイルを指先で弾く。
たまにはどこにいるのか、知らせて欲しい。
「司令…」
「なに」
「あの、やはり岩戸に日向ちゃんが…」
「…いいじゃん…父ちゃんたちと話してるんじゃないの? 乙姫ちゃん、通して。
それがないとデータも来ないんだしさ。
…俺、メシ食ってくる。あと、任せた」
「剣司」
司令補佐として傍を離れない溝口の、厳しい声が飛んだ。
「何です」
「…お前な…」
ため息交じりの声は、途中で途切れた。
「…いいや。緊急事態があったら呼ぶからよ。すぐに分かるところにいろよ」
「ええ。食堂にいますよ」
食堂に向う途中のエレベーターが動いているのを見て、剣司は微笑んだ。
日向が、地下から上がってくるのだろう。
最近、日向は頻繁に地下に行っていた。
今では、誰もとがめる者はいない。
彼女がいる時だけ、膨大なデータが送られてくる。
岩戸の中の少女と、どのような会話を交わしているのか誰にも分からなかったけれど。
少女が、日向には心を開き、そして、少女の声なき声を聞き取れるのは日向だけだ、ということは誰もが知っていた。
もっと長く。
いつも、思う。
もっと長く、一緒にいさせたかった。
そして、自分もまた、もっと長く彼らと話したかった。
子供の頃に戻って、もっともっと、長く。
剣司はしばらく廊下の壁に持たれ、天井を見つめていた。
誰もいない天井に向って、無理やり、笑顔を作ってみる。
「…俺にもガキがいるしな…一騎…。
栄治のためにも美久ちゃんのためにも…頑張るよ」
一騎が以前、総士を救出に行くためにがむしゃらだったように。
誰よりも強くあろうとした衛のように。
「強く…」
同じ言葉を、もう随分と前に口にしたことがあった。
その時のように。
剣司は、ぱん、と壁を叩き、食堂に向った。
船の影になって黒く見える水面に伸びた銀色の糸が震え、やがて、きらきらと水滴を撒き散らしながら、その糸と同じように輝く魚が上がってきた。
メバルだった。
昼間でも、船の影や堤防の暗がりには結構、いる。
史彦はそれをクーラーボックスに放り、また、餌を付けた。
水面に落ちたしずくが、いくつもの円を描き、それらは重なり、あるものは打ち消しあう。
餌はやがて、海底に沈み、見えなくなる。
史彦は今は、司令を辞し、剣司に任せていた。
もっとも、まだまだ残る仕事は多く、また、剣司一人では荷は重過ぎる。
補佐として溝口をつけてあるけれど、史彦もほとんど連日、アルヴィスに詰めていた。
それ以外の日は焼き物をしたり、釣りに出たりしている。
海を見ていると、一騎と総士のことを思い出す。
辛いことに変わりはない。
それでも、思い出していたかった。
何故、検査など、したのだろう。
検査だの調査だので、かなり長く彼らを拘束していた。
それだけが、心残りだった。
そのようなことをせず、真っ直ぐに家に連れてくればよかったものを。
一騎は、ついに、自宅によることもなく、かつて過ごしたこの島の風景を目にすることもなく、消えてしまった。
家族水入らずで過ごさせようと、子供たちだけを残し、部屋のモニターはすべて切って史彦は立ち去った。
それきり、椅子の背に、総士がかけていたストールが残されたきりで、他に何も残っていなかった。
今でも、思い出すと体が震えてくる。
それでも、忘れたくなくて、史彦は繰り返し、その時のことを思い出していた。
何故、またも人類の犠牲になるようなことを、と、我を忘れて二人に言った時―――
総士は、軽く首を振った。
「犠牲とは思ってません。勝手なだけです…。
子供たちに生きていてもらいたい、彼らの世代は平和であって欲しい…それだけですよ」
そう言って苦笑した。
「自分の子供は可愛い…だからこそ、人の子も、また可愛い。
気づかせてくれたのは子供たちだから」
総士の父親がそうであったように。また、剣司の母親のように。
そして、一騎の母のように。
子供を生かすために。
二人は、淡々と語っていた。
駆けてくる足音に振り返る。
日向が息を切らせて走ってきた。制服を着ているところを見ると、またアルヴィスに行っていたのだろう。
「おじいちゃん、釣れた?」
「ああ。少しだけな。…お友達に会ってたのか?」
「うん。あとね、お父さんともお話したの」
「…そうか…」
横に座った日向を見る。
少ししか共に過ごせなかった末娘を、一騎はずっと抱き締めていた、と、後から美久に聞いた。
もっと。
おそらくはずっと、抱き締めていたかったであろう息子の心情を思うと、胸が詰まる。
その息子のためにも。
まだ、長生きをしろというのか、一騎。
緩やかに波打つ海面を見つめて語りかける。
いい加減、疲れてきた、そう思う傍から、そのようなことは言っていられないのだ、と、自らを励ました。
どれだけ疲れても、一騎も、そして総士もここで生きていたかっただろうから。
海岸を歩いていた祐哉は、堤防の先に釣りをしている祖父を見つけて走っていった。
日向も一緒にいる。
「おじいちゃん!」
「こら、喚くな、魚が散るぞ」
「あ、ごめん…あのさ、おじいちゃん、頼みがあるんだけど」
「うん? なんだ」
「…顕微鏡、買って」
「…顕微鏡? 物置になかったか?」
祐哉はため息をついた。言われるだろう、とは思っていたのだ。
「父さんが使ってた、ってやつだろ? 出してみたよ。レンズにカビが生えてた。
それに、倍率も低くて駄目だよ、あれじゃ」
「…そうか…何を調べるんだ?」
「ん…いろいろと。いろんなもん、見たくなったんだ。母さんの話とか思い出してたら」
海面を見つめていた祖父が振り返った。
しばらく黙っていたが、やがて、小さく頷く。
「…その内に…買ってやろう。大事に使うんだぞ」
「うん、ありがとう! 日向、お前も早く戻れよ」
「分かった」
堤防にそって、ゆっくりと歩きながら、海を見る。
すぐ下に岩があり、黒っぽい魚が見えた。
波が岩を洗い、その波の下にくぼみから半身だけ出している魚の影がある。
「…海は…海と認識しない…」
総士の語っていたことを思い出そうと、小さく口の中で繰り返してみた。
「海は…それを海と認識するものの存在によって…海となり得る…」
総士は、スクリーンに映る、魚の映像を見ながら、言った。
「海が他者を認めようとしないなら…岩も魚も取り込まれる。
でも、もし、互いというものを…他者をそれと認識し…これは、海に意識、というものがあれば、の話ですが」
総士は日向を見た。
「分かる? 日向」
「うん、分かる」
安心したように微笑んで、再び、スクリーンを見た。
「海に岩があり、海藻が生え、魚がいる。
どちらを取り込んだりもせず、互いのありのままを受け入れる。
それが…共存、ということだと思います。そして、それは可能だと…信じています」
総士のその声は、凛とした響きを持って今も、耳にそのまま蘇る。
また、波が来て、運ばれてきた海藻が岩に絡みつく。祐哉は落ちていた針金でその海藻を引き摺り上げた。
顕微鏡を買ってもらったら、これも、見てみよう。
そう思って広げてみて、そこに小さなえびが付いているのを見つけ、苦笑した。
「ここ、お前のうちだったのか。ごめんな。
でも、少しだけ、分けて」
海藻の先端だけを指先でむしり、海に放る。
それは、ゆらゆらと揺れて流れ、再び、波に飲まれていった。
FINE.
John di ghisinsei http://yokohama.cool.ne.jp/gisinsei1129/
2006/04/06