彼方へ・10
「…それなら」
弓子が、躊躇いがちに口を開いた。
「…あの、じゃ、モニターで消えて見えるのは…なんでなの?」
「それは」
総士は軽く微笑んだ。
「簡単なことです。人間がものを見る時に使うものはレンズと水晶体でしかない。でも、残像も見る。
さらには、思い込み…その人がそこに連続しているものだ、という前提がある。あと、記憶で補正している部分もあります」
淡々と語る、その口調は昔の彼を思い起こさせる。
「彼らが見る世界も、おそらくはカメラと同じようなものではないでしょうか。記憶と言うものを理解できないでいるなら。
だから、理解させなければならない」
「でも、待ってよ!」
美久がいきなり叫んだ。
「ねえ、体を保っていられるんでしょう? なら、いいじゃない!」
「…美久。代謝っていうのも循環の一つなんだよ」
一騎が静かに口を開いた。
続いて、総士が静かに、
「小さな循環の一つ、それがいくつもいくつも組み合わさって、大きな循環となり、発展してゆく…」
「分かんないわよ!」
叫び、泣き出した美久の髪に、総士はそっと、手を当てた。
今度は、美久もされるままになっている。
しばし、手を止めて、じっと美久を見つめた。
「…赤ちゃんだったのにね」
小さく呟き、その腕をさすった。
「赤ちゃんが…その体の細胞が分裂を繰り返し、成長していく。一つの体の中で循環が繰り返される…。
それらひとつひとつ…例えば、お前と栄治君のように個が出会い、新しく生み出す…」
美久は栄治を見、栄治は真っ赤になって俯いた。
「…こうして…触れることが出来るというのも…個というものがあるから。
違う存在だから。
個というものを認識させること、それをやらないと戦いはずっと続くよ、美久」
何度も何度も、その髪を、腕を撫でる。
「待って…」
美久が、低く呟き、きっ、と顔を上げた。
「待ってよ。ねえ、また私たちを置いていくの?
ねえ…なんで?」
「帰って来るよ」
答えた一騎の方を振り返り、叫ぶ。
「帰って来るっていつ? ねえ、なんでお父さんたちじゃないと駄目なの?
その…循環、っていうの、教えるのになんで…!
あいつら連れてきてここで説教してやればいいじゃない!」
その言い方が可笑しかったのか、一騎は小さく笑った。
「そうだね、説教できればどんなにいいか。
でも、大丈夫だよ、遠くに行くわけではないし」
「一騎」
史彦は、どうにか声を振り絞り、息子を呼んだ。
「本当に何故…お前たちでなくてはならんのだ…」
出来れば、もう、どこにも行って欲しくなかった。
このままメディカルで過ごすことになろうとも、それでも、カプセルの中で動かないでいるよりはいい。
祈る毎日には、もう、疲れていた。
「おそらく、僕たちだけではないかと思うけど…でも、司令もご存知の通り…僕も一騎も…人よりもずっと彼らに近い存在です。
特に、僕は生まれた時からそうだった。だからこそ、です」
「もっと言えばそういう…彼らに近いもの同士で子供が生まれたのはもしかしたら俺たちが最初かもしれない。だから、だよ、父さん。
島の子供たちはみんな、もとから他の子供たちよりも彼らに近い存在だけど…でも、この三人は」
そう言って、三人の子供たちを見る。
「他の子供よりもはるかに彼らに近い。フェストゥムと同じ要素を持っていながら人間としての個を保ち続けていられる…。
あいつらにとっては不思議でならない存在だろうと思う。だから…攻撃対象にもなるんだけど」
「彼らは」
総士は美久の腕を撫でたまま、静かに言った。
「…無、だと言っている。でも…我々を発見したその時点で無、ではなくなってしまった…。
認識される存在、となってしまったんです」
スクリーンの魚を、ちらりと見、微笑んだ。
「井の中の蛙、と言う言葉がありますね…。
彼らは言ってみれば海、そのもの、です。
海は自分が海であることを認識できない。他者から海だ、と言われて初めて海たり得る」
「…我々がその海を認識したもの、ということかね」
総士は頷いた。
「彼らが自分を認識したくないなら、彼らを否応でも認識させてしまう我々個の集団は排除すべき存在です。海に飲み込んで一部としなければならない存在です」
「…だから…攻撃してくるのか…」
「多分、そうなんだと思う。だから彼らに、こういう生き方をする存在もあるんだ、ってことを分かってもらわないと。
奴らに俺たちと同じようにしろ、なんていうつもりはない、ただ、海を海とみなすものを見つけても、放っておけ、と言うことだよ」
「もしかしたら」
総士は伸び上がり、美久の両肩をそっと抱きこんだ。
「僕の体が女になったのはこの子たちを生み出すため…新しい発展のため…かもしれませんね…。
想像する以上にもっと高次元の力がどこかで働いているのかもしれない…」
美久は俯き、目を閉じていた。
John di ghisinsei http://yokohama.cool.ne.jp/gisinsei1129/
2006/04/05