目覚め






 
  遠くに光る海は、夕焼けに染まっている。
やがて落ちようとする太陽が、雲の切れ目から長い、金色の光を投げかける。

 史彦はゆっくりと海岸に沿って歩きながら、春らしい春を迎えるのは久しぶりだ、と思った。
それでも、海流のせいもあっていつもの春よりも、さらに暖かい。

 「おじいちゃん!」
後ろから掛かる声に振り返る。
アルヴィスの制服を着た美久が走ってくる。
「…終わったのか。どうだった、アルヴィスは」
「うん…良く分かんない。これからいろんなこと、教わるみたいね」
風になびく、長い、黒い髪を指でまとめながら首を傾げ、軽く唇を尖らせる。
 美久の後ろから、祐哉と日向が走ってきた。
「あの二人はどうだった?」
途端に、美久は顔をしかめた。
「祐哉、態度悪すぎ! 説明もろくに聞いてなかったんじゃないかな。日向は大人しかったけど…分かってないんじゃない?」
「日向にはまだ難しいかも知れんな」
そんな話をしているうちにも、二人が追いついてきた。

 美久は、じき、十四になる。
この春からアルヴィス勤務が決まり、講習を受けることになっていた。
祐哉も、近く、同じように勤務するようになるだろう。
 次女の日向(ひなた)は十二歳だったけれど、それでも、美久と同じように、この春から入ることになる。
高い適性が認められたからで、史彦としては、なんとも複雑な気分だった。
 日向自身がどう思っているのかは、分からない。
口数の少ない、総士に瓜二つと言っていい容姿を持った末娘は、アルヴィスのことを話しても、眉も動かさなかった。

 祐哉も、口数は少ないが、この年頃の男の子なら、それも無理はないかも知れない。
闊達明朗な美久から見れば、それは礼儀知らず、と映るのも、仕方がないだろう。
 「祐哉、どうだった?」
横を通り過ぎようとした祐哉を呼び止める。
祐哉は振り返ることもなく、別に、と、口の中で小さく呟くように言った。
「ほら、また! いっつもそう、ぼそぼそした調子なんだから! おじいちゃん、この子、アルヴィスで他の人に対してもこうだったんだから!
私、恥ずかしかったわよ」
「まあ…そう怒るな。そのうち、直ってくるさ。
それで? 祐哉、別に、ってお前もいずれ、あそこで働くんだぞ」
「分かってる」
砂浜を歩きながら、ぶっきらぼうに答える。
 史彦は苦笑した。

 この年頃の一騎にそっくりだ。
祐哉は、その顔かたちも一騎にそっくりだった。
雰囲気も良く似ていて、時々、タイムスリップした気分にさせられる。

 しばらく黙って歩いていた祐哉が、急に振り返った。
「ねえ、おじいちゃん、あの、ファフナー、っての」
「…ああ…見たのか?」
「うん。映像だけね。…本物、見せてもらえるのかな。俺もあれ、乗れる?」
「乗りたいのか?」
「だって…みんな、乗ってたんだろ?」
「適性、ってのがあるのよ、祐哉。先生の説明、聞いてなかったの?」
口を挟んだ美久を、祐哉は煩そうに睨み付けた。
「うるさいなあ、聞いてたよ。だからさ、乗れるかどうか、っていうの、いつ、分かるんだろう?」
「…そのうち…だ」
乗りたそうな祐哉の顔を、まっすぐ見ることが出来ず、目を反らせてしまった。


 世界は今、静寂を取り戻しつつある。
再び、かつてのように栄えようとしている。
街は作られ、人々はそれぞれ、故郷に帰る。
 それでも、竜宮島はまだ、さまよい続けている。
それは何かを暗示しているのか、ただ、日本が今はもう、ない、それだけの事情なのか。

 それでも、万一に備え、ファフナーは改良を加えつつ、未だ、この島に、ある。
そして、実際、まったく静かなわけではなかった。
 時折、どこかで戦闘があった、と言うニュースは、本当に、ごくたまにではあるが、この島にも聞こえていた。

 「あんなものは乗らないに越したことはないんだよ」
静かに、祐哉に語りかける。
祐哉は、ふん、とそっぽを向いた。
「あんた、あれ、カッコいいって思ったんでしょ」
美久が可笑しそうに声をかける。
「ねえちゃんはカッコいい、って思わなかった?」
「うーん…なんか…懐かしかった」
その言葉に、史彦は、どきり、として美久の顔を見た。
美久は、長い髪をかき上げながら祐哉の方を覗き込んで笑っていた。

「何、それ」
「祐哉は思わなかった?」
祐哉は首を傾げた。
「懐かしいって何で? ねえちゃん、知ってんの?」
「そうじゃないけど。何となく」
「変なの。俺、あんなの、動かせたらいいな」
「動かせるようになるよ」
それまで黙っていた日向が、いきなり口を挟み、祐哉も美久も、驚いたように日向を見た。
史彦もまた、後ろを歩いている日向を見る。
 彼女は、茶色の長い髪を風に吹かれるに任せ、海に沈もうとしている夕日を、眩しそうに見ている。

 本当に、総士に良く似ている。
着ている制服のせいもあるだろう。
「お兄ちゃん、あれに乗れるようになるよ」
日向は、海を眺めたまま、繰り返した。
ゆっくりと視線をめぐらせ、美久の方を見る。
「お姉ちゃんも。きっと」
「なんでそんなの、分かるの?」
日向は、軽く首をかしげ、笑った。
「何となく」
「なんだ」
祐哉はつまらなそうにポケットに手を突っ込み、軽く石を蹴った。
「祐哉。石を蹴るんじゃない。誰かに当たったらどうする」
「…誰かって…海に誰が居るのさ、いまどき」
「祐哉。口答えしないの」
史彦は苦笑した。
 
 どうも、八つ当たりをしてしまったらしい。
それを、美久に救われた気がした。

 「日向」
歩みを緩め、日向が追いつくのを待ってその肩に手をかけ、そこに散った髪を撫でた。
「日向は髪は…切らないのか? このままの方がいいか?」
日向は振り返り、じっと見つめてきた。
 この目が、時々恐ろしくなることがある。
涼やかな、大きな瞳は、何もかも見透かしていそうだ。
日向は小さく笑った。
「うん…切りたくないかな…ごめんね、おじいちゃん」
「…いや…お前が…邪魔でなければいい…」
「実際、勤務に入ったら邪魔だと思うわよ、日向。
私も切るから。一緒に切ろうよ」
「…三つ編みとかじゃ、だめ?」
「編んでる時間がもったいないわよ」

 この子達はまったく。

 小さく、息をつく。
皆、何もかも知っていそうで、怖かった。

 「今日は俺の番だよね、風呂掃除」
そう。
今のように、急に話を変える、祐哉にもまた、驚かされる。

 「早くお風呂、沸かしてね。今日は疲れたから早くお風呂、入りたい」
「でも、一番はおじいちゃんだよ」
「うん。次は私だもん。暗くなったね。急ごう?」
「ああ。日向も早く来い」
祐哉は手招きをし、日向が、砂を蹴って兄の方に駆け寄ってゆく。
喧嘩をしながらも、三人はとても仲が良い。

 史彦は三人のはしゃぎながら走る姿を目で追い、再び、海を見た。
太陽はすでに姿は見えず、残光だけがわずかに、雲を照らしていた。















John di ghisinsei http://yokohama.cool.ne.jp/gisinsei1129/

2005/08/16
子供たちの話です。
ずいぶん前から考えていた話でして…実は全体の3分の2くらいです、これは。