迎え火






 
   広場の方からかすかに風に乗って太鼓の音が聞こえる。
そうしは羽を小さく羽ばたかせ、何度となく窓の外を見た。


「一騎、まだか」
「だから…じっとしてろって」
一騎は動き回るそうしの肩を押さえ、甚平の襟を合わせた。



 夏祭りのようなものはそうしは好きだろうな、と思ったが、これは予想以上だった。

出店と聞くと興味津々に、
「なにが売ってるのだ?」
「福引のようなものか? 温泉旅行はあるのか?」
と、それはうるさい。
仕方なく、祭りに連れて行くことにした。
説明するよりも連れて行って見せた方が早いだろう。

そこで困ったのが浴衣だった。
出来ればあまり背中の翼を目立たせたくない。
考えた末に、甚平を着せることにした。


「これは涼しいな!」
そうしは嬉しそうに袖を引いてひょい、と浮かぶ。
「うむ、翼も動かせるぞ」
「でも飛んだらダメだよ、歩くんだぞ」
「…分かっている」
ふい、と不貞腐れて横を向く。
短い甚平の裾から出た足は浮いていた。
「浮くのもダメ。今日は島中の人が来るんだから…できればあまり顔も見られたくないんだ」
「大丈夫だと言っているだろう。そのうち忘れるようになっている」
「……わかんないじゃんか」
そうしの口からその存在はいつか忘れられるのだ、ということを聞くのはどこか切ないものがあった。


そうしはそのような一騎の想いなど、まったく意に介していないようだった。
「ワタアメ、というのがあるのだな。これはまず外せない。
次にリンゴ飴だ」
呟きながら指折り数えている。
「他にヨーヨーというものがあるのだろう?」
「うん、おもちゃだよ。他にもいろんなのがある。行って見た方が楽しいよ。父さんはもう行ってる」
「史彦も楽しみにしてたのだな」
嬉しそうに階段を飛んでゆくその姿に眩暈がした。
「…そうし…! 飛ぶなって!」





 提灯の淡い光、その中に浮かぶ、大勢の人々。
逝ってしまった人々の魂を迎える祭り。

 溝口は今年も射的の店を出していた。
「そうし、やってみる?」
「うむ? これを当てるのか」
おもちゃの銃を取り、一騎の方を見る。
「…何をどこに当てるんだ?」
「あの…これを引いて…そうするとここから弾が出るから…それで向こうにある中の好きな景品を当てるんだ」
「…む?」
そうしはおもちゃの銃をあちこちいじっている。
どうも、射的の何たるか、がまったく分かっていなかったようだ。
一騎はまず自分が撃って見せ、それからそうしに代わった。

「なるほど、これを引くのだな」
狙いを定める。
ぽん、と軽い音がして、そうしの方が後ろに飛んでいった。
「そうし!」
「おい、大丈夫か?」
溝口も驚いたように店を飛び出してくる。
「どうした、坊や。なんでお前さんが飛ぶんだ」
「まったく下手くそだなあ」
一騎はわざと大声で言いながら、そうしには黙ってるように、と合図をした。
そうしの身体は普通の人間よりもずっと軽いのだ。
そのことを忘れていた。
反動でそうしの方が飛んでしまったのだろう。もちろん、弾は当たらない。店の天井になっている幔幕に当たっただけだった。

「まさか坊やの方が飛んでいくなんてなあ」
溝口は笑いながらリンゴ飴を出した。
「はい、残念賞。坊やを飛ばしちゃったお詫びもこめて二つな」
「おお! いいのか?」
そうしの顔がぱっと輝いた。
「リンゴ飴を食べたかったのだ。ご主人、すまないな。ありがとう」
「いや、そんなに喜ばれても」
溝口は複雑な顔をした。
残念賞で飛び上がらんばかりに喜ぶ子供も少ないのだろう。
その上、ご主人などと呼ばれてしまったのだ。
一騎は溝口への挨拶もそこそこにそうしを促し、店をあとにした。


「あのね、そうし。ああいう時はおじさん、でいいんだよ」
「そうなのか。でもあの店の主人なのだろう?」
「うん、まあ…そうだけどね」
「それにしてもすごいな」
そうしは両手にリンゴ飴を持ち、広場を見渡した。
「店がいっぱいだ。しかもみんな楽しそうだ」
「うん、年に一度だしね」
「楽しそうに迎えるのだな」
「え?」
そうしは振り返った。
「この祭りは死者の魂を迎えるのだろう? お前がそう言っていたではないか」
「あ…うん」
そうしはにこり、と笑った。
「楽しそうに迎えるのだな。帰ってきた魂もさぞ喜ぶだろう」
「…そう…かな…」


賑やかな祭囃子。子供たちの笑い声。子供を呼ぶ、大人たちの声。
色とりどりのヨーヨー、風船、風車に大きな綿飴。
金魚を入れた小さな袋を提げた子供たちが走ってゆく。
手にイカ焼きやリンゴ飴を持った女の子たちが笑いながら通り過ぎる。華やかな浴衣、下駄の音。

ここに、前にはいた者たち。

 急に祭りが遠ざかる。
ここに、いたのだ。
総士も衛も咲良も。
 何故、自分は今、ここにいるのだろう。


「一騎」
はっとして振り返る。そうしがリンゴ飴を手にこちらを見ていた。
「あ…ごめん…」
そうしはゆっくりとかぶりを振った。
「一騎、自分を責めるな。迎えるものがいなければ帰って来るものは迷う。そうなのだろう?」
「………」
しばしの沈黙の後、一騎は頷いた。

帰って来る魂が迷わないように、魂を慰めるために、そのために賑やかに祭り、踊るのだという。

そうしを見る。その手のリンゴ飴を見て、一騎は微笑んだ。
「ごめん、そうし。…まだ綿飴も買ってないよね」
想いを振り切るように、
「そうだ、ヨーヨー釣り、やろう」
そうしの手を取って歩いた。

 迎えるものがいなければ。
そうだ。自分は今、総士を待って、彼を迎えるためにここにいるのだ。
 また、胸が痛む。
翔子のことを思い出していた。
 帰る場所を守っているから。

翔子が守ってくれたから、帰って来ることが出来た。
今度は自分が皆の魂の帰る場所を守っていかなくてはいけない。



 「そういえば…カノンは」
そうしの呟きに、そういえば見なかったな、と思う。
剣司や真矢には途中で会ったが、カノンには会わなかった。

「そうだね…宗教が違うから…かな…?」
しかし、前は確かに来ていたし、と、カノンのために綿飴をひとつ買って家まで行ってみた。

カノンは浴衣姿で出てきた。
「あれ。これからお祭りいくとこだったの?」
「いや」
カノンは小さく首を振った。
「漫画を読んでいた」
「漫画…」
カノンのあとについて中に入る。
縁側に漫画が広げておいてあった。
ゴウバインだった。
「…カノン…これ…」
カノンは切ったスイカを出し、そうしに持たせた。
「おじさんに無理を言って借りてきた。
盆踊りもいいが…私の盆踊りは衛に教わった、あのゴウバインの踊りだ」
可笑しそうに、寂しそうに微笑む。


足元によってきた犬の鼻先を、カノンの指先が軽く撫でる。
「甲洋の飼っていた犬と、翔子という人の飼っていた猫。
この二匹と一緒にここでゴウバインを読んでいた方が…なんだか彼らと一緒にいられる気がして」
そして、首をすくめて笑った。
「恥ずかしいな…このようなことをいうのは。
…本当は行こうと思っていたのだ。しかしどうしても足が広場に行かなかった」
「…そっか…」
何となく分かる気もした。

「お前だけのお盆だな」
スイカの種を吹き出しつつ、そうしは言った。
「え?」
「お前なりの迎え方なのだろう、カノン。間違ったことでも恥ずかしいことでもないと思うぞ」
一騎も頷いた。
「…きっと衛…喜んでくれるよ。きっとここに帰って来てる」
「そう…だな。そうだといいんだが」
そして、そうしを見て微笑む。
「祭りは楽しめたのか? リンゴ飴は美味しかったか?」
そうしは勢いよく頷いた。
「楽しかったぞ。綿飴というものが出来る過程はすごいな。
驚いた。わずかあれだけの砂糖をこんなにも大きく膨らませるのだ、すごいぞ」
まるで今そこにあるかのように身振りを交えて説明する。

「たったこれだけの砂糖だ。それだけをもらっても嬉しくもなんともないだろう。しかし、それがこーんな大きな、ふわふわの菓子になるのだ。面白いし、楽しい。砂糖を舐めていてもあのような気分にはなれないぞ」
その説明のしかたに、一騎はつい笑い出していた。
「ぼろもうけ、とは言わないんだな」
「一騎」
カノンに睨まれて首をすくめる。


そうしとカノンとの他愛のないお喋りの中に、遠くに聞こえる祭囃子の中にゆっくりと夜は更けてゆく。


膝の横に眠る猫を撫でながら、すぐそこに翔子がいるような気がした。
いなくなった人たち。
祭囃子に迎えられてこの島に帰ってきた全ての魂たちが。










  











John di ghisinsei http://yokohama.cool.ne.jp/gisinsei1129/

2008/07/13