WHOLE LOTTA LOVE





 
 この頃、乙姫がなにやらいそいそと遠見の家に通っている。
それ自体は、別にどう、ということもないのだが、総士が何気なく、
どういう用事なのか、と聞いた時の笑い方が、とても怪しい。
−−− 少なくとも、総士には、そう思えた。
遠見真矢に聞いても、もちろん、答えの得られるはずもない。

 アルヴィスでそのことをふと、口にした時、剣司が、得心したように頷いた。
「なんだ、お前、知ってるのか?」
「てよか、想像だけどさ。きっとバレンタインだよ。だってもう、今日だし」
「バレンタイン? 何だ、それは」
「ほら、女の子がさ、好きな男の子にチョコを上げて告白する日!」
嬉々として答える。
「お前ももらってたじゃん、去年」
「うん?」
総士は首を傾げた。
「休み時間にさ、女子が押し寄せてきて。チョコ、もらったろ?」
「…そういえば」
そのような事もあったな、と、改めて思い出す。
 菓子には特に興味もなかったので、乙姫に全部あげてしまったのだが。

 「弓子さんにでも作り方、教わってんじゃないの、乙姫ちゃん」
「…作るものなのか?」
剣司はぽりぽりと頭を掻いた。
「…しらねえよ。作れるやつは作るんじゃねぇ? 店でも売ってるしさ。
お前も一騎にやるんだろ?」
「何故」
「……やらないのか?」
剣司は驚いたように一段、声を上げた。
「そりゃ…可哀相だぞ、おい! バレンタインに好きな女の子からもらえたら嬉しいじゃん!」
「俺は女じゃない」
「や、それは分かってっけど。…でも…誰からももらえなかったら一騎、可哀相だろう?」
「そういうものか?」
「そういうもんだよ!」
力いっぱい、握りこぶしを作る。

 どうも、男の沽券に関わるものであるらしい。
それなら、何故、自分は気付かなかったのだろう。

 総士は、自室にこもり、過去のデータを探り、バレンタインについて調べ始めた。
「…ふうん…」
かなり歴史のあるもののようだ
「祭りが起源なんだな…チョコを上げる、というのは日本だけ、か…」
過去、日本では、菓子業界にとってクリスマスなどと同じように大変な商戦が繰り広げられた、と書いてある。
 海外では、男女を問わず、互いに花束やカードなどを交換し合ったものらしい。
 
 カードを送るとして。
何か文句を書かねばいけないのだろう。
「…いろいろと大変そうだな…」

ふと、カノンの顔が思い浮かんだ。
彼女なら、もっといい案を出してくれるかもしれない。
もともと、欧米の風習なのだ。彼女は、詳しいだろう。
それに、他の女子よりも聞きやすい相手だった。


 カノンは自宅で犬と遊んでいた。
「どうした、総士。珍しいな」
「ああ…ちょっと…こう…聞きたい事があって」
「ふうん…まあ入れ」
快く迎え入れてくれる。

居間に招き、紅茶を出してくれた。
 「それで? 聞きたい事、とは?」
「バレンタインデーというものについてだ。欧米ではカードなどを送る、と聞いたが」
カノンは頷いた。
「ああ。そうだ。ここでは面白いな。チョコレートを贈ったりするのだな」
「…で…俺も…その…」
「一騎に贈りたいのか? 作り方なら教えてやるぞ」
「いや…そうじゃなくて」
一気に、顔から火が出そうになった。カノンは、ふ、と笑った。
「お前でもそういう顔をするのだな」
「…何がおかしい…」
「いや…」
笑いを納めると、
「作ってみるか? 簡単だぞ」
と言った。
「…その…カードでもいいんだろう?」
「でも、ここではチョコの数が問題らしいぞ。剣司も衛もそう言っていた。
義理とか人情チョコとかいうものもあるらしい…私には分からない」
 そうか…チョコの数、か…。
「…作った方がいいんだろうか…一騎はチョコ、好きだったかな」
「一騎の好きなものなら何もチョコにこだわらずとも、何でもいいのではないか?」
「うーん…そうだな。それで…カードと言うのは…どんな言葉を書くんだ?」
カノンはくすくすとおかしそうに笑った。
「どんなって…普通だ。クリスマスと同じようなものだ。お前はカードは出した事、ないのか?」
「ない」
断言してしまった。
「プレゼントも…したこと、ない」
「…一騎に?」
「ああ」
カノンは、大きな目を見開いて、信じられない、という顔で見ている。
「…お前たちも…分からない人種だ…」
「……」
ティーカップを持ったまま、ぽかん、としているその顔を見ながら、確かに、と自分でも驚いていた。
「思えばクリスマスも誕生日も何もしたことがない」
「…冗談だろう…信じられん……クリスマスはまぁ…お前たちは関係ないかもしれんが。
では、もしかして、一騎の好きなもの、というのがなんだかわからん、とか……?」
その顔は、まさか知らないとは言わせない、といいたげだ。
しかし。
知らないものは、知らない。
カノンは、ふぅ、と息をついて、天井を見た。
やがて、眉を寄せ、少し不機嫌な顔で紅茶を飲み干し、立ち上がった。
「来い、総士。こうなれば…そうだな…もっと簡単にクッキーでいい。
何か作っていけ。気持ちが通じればいいだろう」
横の椅子にかかっていたエプロンをぐい、と差し出す。
「いやとは言わせん。まったく…貴様らを見てると苛々する」
差し出されたエプロンを、仕方なく受け取りながら、何故、自分がここまで叱られなければならんのだ、と思う。

 「一応の儀礼と言うものだ。日本人はそういうところはきちんとしている、と聞いたが」
しゃかしゃかとボウルで粉を混ぜながらカノンは言った。
「お前たちはなんて言うのかこう…肝心なところで抜けてるな。
その分だともしかしたら好き、と言ったこともないのではないか?」
「ないな」
あっさりと答えてしまって、はっとした。カノンの動きが止ったからだ。
「…馬鹿か、貴様ら…」
「ば…馬鹿とは何だ、馬鹿とは!」
「じゃあ、他になんというのだ、日本語で。私は他に表現を知らない」
呆れたように言い放ち、ボウルの中身を空けてラップでくるんだ。
「よし、このまましばらく寝かせて…。…少し待ってろ」
言うなり、二階へ駆け上がっていった。

 一人残されて、ぼんやりと窓の外を見る。

確かに、カノンの言う通りかも、知れない。
 言わなくても、気持ちは伝わっていると思う。
でも、それでも何らかの形で、言葉で、それを表す事は怠ってはいけないのだろう。
もしかしたら、伝わっている、と思った事がまるで違う事かもしれないのだ。

 チョコでなく、クッキーでも、一騎は喜んでくれるだろうか。
  なんだ。チョコじゃないのか。
そう言って、がっかりしたら、どうしよう。

やがて、カノンがきれいな紙を手に、下りてきた。
「あったぞ」
「何だ、それは」
「ラッピングに使うものだ。まさかそのまま、ホイ、と渡すわけにもいくまい」
「…そうか…」
他に、リボンなども持ってきている。こういうものを持っているとは、意外だった。
やはり、女の子なのだな、と改めて思う。

 「カノン」
「なんだ」
「…本当に…チョコでなくてもいいのだろうか…」
「…心配になったか」
カノンはやさしく微笑んだ。
「大丈夫だ。仮に…一騎がクッキーを嫌いでも…大丈夫だ。保証しよう」
「何故…言い切れる」
「ただし、条件はあるが」
「なんだ?」
カノンは、ふっ、と笑った。
「お前が…きちんと、一騎を好きだ、と…言葉にすることだ。
日本のバレンタインは、言葉にしなくてもいいものらしいが…おそらく、一騎にはそれは通用しない…そうではないか? 少なくとも、お前が相手ではな」
しばし、沈黙して考える。
納得する他、なかった。
「…そう…かもしれないな…」


 程なく焼きあがったクッキーは、カノンの手で可愛らしい袋に入れられ、きれいに包装された。
リボンまでついたそれを、袋に入れて石段を上がる。

 これを…渡すのか…。
なんだか、とてつもなく恥ずかしい。

一騎の家の前まできて、呼びかけることもできず、立ち尽してしまった。
 どうしよう。
この時間、すでに帰っているはずだ。
 きちんと受け取ってもらえるかどうか。
やはり、多少時間がかかっても、チョコの方が良かったのではないか。
逡巡していると、いきなり目の前の戸が開いて、ぎょっとして飛び退いた。
「あ。なんだ、総士か。誰かいるなあ、と思って出てみたんだ。どうしたんだよ?」
「いや…あの…なんだ…その…」
「…総士? …とにかく入れ、そこじゃ、なんだし」
「あ…ああ…御邪魔…します…」
「まだ父さんも帰ってないし。いいから上がって。どうしたの」
「いいんだ…すぐ…帰る…まだやる事、残ってるし…」
「少しくらい、休んでいけ。…それとも何かあったの?」
不安そうに声を落とす。
総士は慌てて首を振った。
「あの、これを渡しに来た」
それだけ、言って、ずいっ、と袋を一騎の胸に押し付ける。
「え…なに、これ」
「あの…嫌いかもしれんが…」
菓子などに興味ないかもしれない。

しかし。
カノンは言っていたではないか。
彼女の言葉を思い出しながら、何とか、不自然にならないよう、頭の中で文章を組み立てにかかる。
「あの、だな。今日はその…バレンタイン、なんだ」
「あ、そう言えばそうかー」
暢気な声を上げながらも、なに、これ、といって、包みをためつすがめつしている。
一騎も、バレンタインを知らなかったのだろうか。
だとしたら、自分の努力は一体。
「お前…バレンタインを知らなかったのか?」
「いや? 知ってたよ」
そうか。
いくらか、ホッとして、胸をなでおろす。
「チョコレート…もらったのか」
「うん、いろんな人から」
「……」
その言葉に、言おうと思っていた言葉が封じられてしまった。
彼は、もらったのだ。いろんな人から。
そうだとしたら、半分以上も人に手伝ってもらったクッキーなど、喜んではくれないかもしれない。
「お、クッキーだ」
「…嫌いか?」
「え? 好きだよ? それよりどうしたんだ、総士」
ごそごそと、包みをあけ、嬉しそうに、一つ一つクッキーをつまみ出している。
「…これ…手作りだよな…」
「………………俺が………作った………」
蚊の鳴くような声になってしまった。
「え?」
「いや、あの……カノンに手伝ってもらって…半分以上…カノンが作ったかも…しれん…」
「え…」
畳の目を見つめたまま、カノンに言われたことを、頭の中で繰り返す。
自分で、言わなければ。言葉にしなければ。
「その…本当はチョコが…良かったんだが……あの…気持ちが…大事だと…」
一騎は、黙って聞いているらしい。恥ずかしさに、目元が熱くなった。
不意に、部屋の隅に置かれた、チョコの包みが目に飛び込んできた。
たくさんの、色とりどりの包み。


「お前…もうもらったんだな…」
「もらったけど。でも、これが一番嬉しいかな」
クッキーの包みを大事そうに、胸に抱える。
「何故…」
何故、他にももらったのに、と言おうとして、唐突にカノンの言葉が蘇ってきた。

彼女は言ったではないか。
仮に、一騎がクッキーを嫌いでも、大丈夫だ、と。
そのための、条件。

思い切って、一騎のそばににじり寄った。
「…総士?」
驚いたように目を丸くしている一騎の首に抱きつく。
こうしたことも恥ずかしかったけれど、面と向かって言う方がもっと恥ずかしかった。
「…一騎…」
耳元で、囁く。声が、震えていた。
「……………好きだ」
やっと、ほとんど声にもならない声でそれだけ、言った。
とたんに、かぁっと耳まで熱くなる。

「嬉しいっ!」
いきなり、抱きしめられる。もの凄い力で抱きしめられて、そのまま畳の上に倒れこんだ。
「か……一騎……っ…」
「嬉しい! すっげえ嬉しい! ありがとう!」
「…本当…か?」
「なんで疑うんだよ、今日もらった中でこれはもう、特別!」
「…クッキー…好きだったか…良かった…」
「クッキーも好きだけどね、総士。一番好きなの、総士だから。
総士の作ってくれたクッキーだったらもう、最高!」
「…良かった…」
「ありがとう! ほんっとにありがとう!」
嬉しそうに、顔をくしゃくしゃにして抱きつき、何度も口付ける。
なんだか、それだけで。
あのひと言だけで、気持ちが軽くなったような気がして、嬉しくなる。
総士もまた、夢中になって口付けた。

 夢中になっていて、反応が遅れた。
戸が開いた音がした時に、その音に気はついていたのだが、どうするべきか、という方に頭が働かなかった。
「あ…」
見上げた先に、ぽかんとした史彦の顔がある。
 心臓が跳ね上がった。
「あ」
一騎も、気がついたらしい。顔を上げて、父親を見ている。
やがて、史彦はくるり、と背中を向けた。
慌てて跳ね起きた時には、史彦の姿はそこにはもう、なかった。
「…一騎…」
凍り付いて、動けない。
一騎は、暢気に呟いた。
「大丈夫。親父、俺が総士の事、好きなの知ってるし。
そのうち、帰るよ。いや、帰ってこなくてもいいんだけど!」
嬉しそうに言う一騎を睨みつける。
 自分は。
明日から、どんな顔をしてCDCに行けば良いのだろう。
 それを考えると、限りなく憂鬱になる。
「何だよ、総士。知られるの、イヤなの? なんで?」
「…いや…そういうわけではないが…」
「じゃあ、もっと堂々としてれば」
「…なんだか…それも違う気もするぞ…」
ちらり、と一騎を睨み、立ち上がる。

 どちらにせよ、明日もまた、CDCに顔を出さねばならないのだ。
史彦は、知らん顔をするだろう。そうしたらこちらが慌てても仕方がない。
 出たとこ勝負、だな。
見られたものはもう、消すことは出来ないのだ。
一つ、溜息を落とすと、覚悟を決めて、総士は靴をはいた。
 今日一日で、酷く疲れた気がしていた。









John di ghisinsei http://yokohama.cool.ne.jp/gisinsei1129/

2005/02/14
バレンタインネタv 思いつきで2時間で書きました(笑)
だってほんとはやらないつもりだったんだもん…
タイトルはレッド・ツェッペリンの名曲♪