「もうじきクリスマスだな」
もとから口数は少なかったけれど、最近、特に喋らなくなった息子に声をかける。
うん、というような、短い声がしただけだった。一騎は振り返ることもなく、ただ卓袱台に向っている。
そこで何かをしている、というわけでもなく、ただそうして時間が過ぎるのを待っているだけのようにも思える。

 クリスマスは嫌いだ。
去年、一騎が呟いたことがあった。
理由は聞かずとも分かっていたから聞かなかった。

「そろそろ遠見先生のところに行く時間じゃないのか?」
「ん」
短い声と共に、立ち上がり、のろのろと靴を履き、杖をとって出かける後姿を見つめ、史彦は小さく息をついた。


 総士を待ち続けてどれほどたっただろう。
同化現象は薬で何とか抑えているものの、片目はほとんど見えなくなってきているらしい。
一騎は何も言わないけれど、普段の行動を見ていれば何となく分かる。
右手は動くようになったものの、右足は相変わらず不自由なままだった。

島は、今はわずかながら平穏を取り戻しているように思える。しかし、その静けさが史彦には不気味に思えてならなかった。







 アルヴィスへの道をのろのろと進みながら、一騎は暗く沈んだ空を見上げた。雪が降るのかもしれない。
 そういえば天気予報で明日は雪、って言ってたな。


あの時も、雪が降っていた。
この島全体が、雪に覆われていた。

 だから。
冬は嫌いだ。
クリスマスも嫌いだった。そのすぐ後は総士の誕生日だ。もういないものの誕生日を迎えるほど空しいものはなかった。

 冬もクリスマスも、来なければいいのに。

かし、と杖の先が石に当たる。
一騎は立ち止まり、足元の石を見つめた。
どこか斜面から転がってきたのだろう。石の片側には土の跡があり、コケがわずかに生えていた。

 こんな石ころにさえ。
一騎は息をついて歩き始める。
 石ころでさえ、命の床となっている。
では、自分は。




 煌々と明るく、人もいるのに、どこか寒々しい。
アルヴィスの中はかつてとはまるで違って見える。
三日に一度は立ち寄っているのに、来るたびに違って見えた。来るたびごとに、自分を拒絶しているような印象を受けた。

 もう、戦えないしな……。

役に立たなくなった自分の体。
戦闘はまだたまにあるというのに、友人たちは出撃していると言うのに、自分はただ、それを見ているだけだった。

 総士も一度ならず、そのように感じたことがあったのかもしれない。その目のために、ファフナーに乗れない自分を呪ったことがあったのかもしれない。

 でも、お前にはシステムがあったもんな。
ぼんやりと狭くなった視界に映る通路を眺める。
そこは、かつてジークフリードシステムに通じる通路があった場所だった。


 何かを得たように思った。そう、思いたかった。
けれども、現実には自分には何もなかった。失ったものの大きさだけが、日々、胸を締め付ける。

―――自分の居場所など、端から求めてはいなかった。
そう思いこんでいただけで、その実、痛切に居場所を求めて足掻いていたのだ。
そして、やっと得られたはずだったもの。自分のあるべき姿、いるべき場所は、いとも簡単に崩れた。
自分の、手の中で。




 いつもどおりの検査が終わると、遠見千鶴は明るく笑いかけた。
「お疲れ様、外は寒かったでしょ? 少し温まっていきなさい」
ココアでも、という声を、かぶりを振って遮った。
軽く一礼してドアに向う。
「……結果は…司令にお伝えするわ」
失望を隠しきれない、沈んだ声を背中に、一騎は部屋を出た。



 千鶴が何をしたいのかは分かっていた。
父からここしばらくの自分の様子を聞いているはずだったから。
蒼穹作戦が終わってからというもの、ほとんど口を利かない自分を、父は心配しているのだ。

 ありがとう、父さん。

どんな時でも顔に出さずとも自分を思ってくれる父には、本当に感謝していた。

 でも、喋れないんだ。

言葉を発したら、そのまま泣いて狂ってしまいそうで。





 廊下の向こうから、誰かが来るのが見えた。同時に、声をかけられる。遠見真矢だった。
「一騎君」
遠慮がちな、それでいて邪気のない澄んだ声は、自分にはいつだって無縁のものだ。
「ねえ、今度……あの、みんなで集まらない?」
「………」
今なら、喋れるかもしれない。
そう思って口を開きかけ、すぐに止めた。

 何を言おうと言うのだろう。
どんな言葉が言えるのだろう。
真矢はわずかに俯いたまま、言葉を重ねた。
「あのね…無理しなくていいの、一騎君の気持ち…分かるなんて軽々しく言えないけど……でも……」
その言葉は頭の上を行き過ぎ、消える。
一騎はかつて友人であった人のそばを離れた。
呼ばれたような気がした。でも、それも気のせいだろう。


 杖を使っているために歩くたびに視界は揺れる。だから、世界は常に揺れていて、今ではそれが当たり前になっていた。
視界も狭く、最初の頃は距離感がつかめなくて苦労したものだった。今は、それにも慣れてしまった。
これでいきなり片目が見えるようになったら逆に戸惑うだろう。
 でも、それがどうだと言うのだろう。
見えるようになったところで、今の自分には何の価値もなかった。



 アルヴィスを出た時は、すでに薄暗くなっていた。
薄闇の中に、白いものが見えた。はじめは、錯覚だと思った。

 以前、良く幻視を見た。
白いものがちらちらと見え、それはどこでも見えた。目を閉じてさえ、それは見えて、診察を受けてからやっと心因性のものだと判明した。
最近は見えなくなってけれど。

そう思って空を見上げ、それが幻視でもなんでもないことに気がついた。
 雪が舞っていた。
粉雪だった。暗い空から、緩やかに渦を巻くように地上に降り注ぐ、細かな雪。
それは白くちらちらと光っては消えた。

頬に、冷たく感じるのは雪がかかったからだろう。その冷たさが、何故か心地良くて、一騎はしばし立ち止まって空を見ていた。

 空の、どの辺りから雪は湧くんだろう。
幼い頃に思ったそんな疑問が再び脳裏を掠めてゆく。
 雪は湧いて出るものではないのに。
くす、と一騎は笑った。
こうして笑ったのは、随分久しぶりだ。頬の筋肉が動く感覚がまるで何かで引っ張られたように思える。
自分の体である、と言う感覚がない。

 暗くなった道をさらに進んで、来る途中で見つけた、拳ほどの石ころを見つけた。雪が積もっていた。
「………」
あの時の景色に似ている。
うっすらと白く雪をかぶった石は、最後の望みをかけて北極に発った時の、あの時の島の景色と良く似ている。
何かがこみ上げてきて、一騎は再び空を見上げた。

 ふと。
本当にふと、この雪が総士であるかのように思えた。
総士が戻ってきた、そんな気がした。

空を見、再び地面に目を落とし、石の上に積もった雪をそっと掬い取る。
ひと掴みもないような雪の塊は、すぐに溶けてしまった。一騎は再び、今度は他の地面の雪を丹念に集めた。

 これはきっと、雪じゃない。
誕生日を前に、総士が戻ってきたんだ。

 今の自分はきっと、子供になっているのだろうと思う。雪ウサギを作って遊んだ頃の、幼い子供に。


「総士」
空に向って、舞い散る雪に向って、一騎はここしばらく出したことのなかった声を上げた。
「そこにいるんだろう?」
うまく喋れない。うまく、言葉にならない。
無理もなかった。何ヶ月も、ほとんど言葉を発しなかったせいで、思うように言葉を口に出来ない。
舌はその働きを忘れてしまったようだ。

でも、それでも想いは届いているはずだ。
一騎はそこに総士がいる、と思った。それは、ほとんど確信ともいうべきものだった。

暗く、重い雲に向って、さらに渦を大きく激しく降り続ける雪に向って呼びかけ、叫び続けていた。
もはや寒さは感じなかった。
ただ、総士の温もりだけが、感じられた。
間違いなく、総士はそこにいるのだ。















 窓の向こうの景色はすっかり白くなり、夜だというのに明るく感じられる。
夜通し降り続けた雪は、翌日になってもその勢いはとまらず、あたり一面すっかり雪に覆われていた。



 何度も鳴る電話を、史彦は無視し続けた。おそらく、千鶴からの電話だろう。
もう、分かっていた。

昨日、一騎はついに帰ってこなかった。
みなで探し回っても、どこにもその姿は見えなかった。
ただ、杖だけが、家からそう遠くないところで見つかった。


 こうなることは分かっていた。
それがいつか、が分からなかっただけで。

 電話は鳴り続ける。
史彦は一騎が使っていた杖を、いつもそれが置いてあった玄関の横に置き、ろくろに向った。

一度は鳴り止んだ電話が、再び鳴り始めた。







 





John di ghisinsei http://yokohama.cool.ne.jp/gisinsei1129/

2006/12/16