子供の時間・3
総士、来なかったな。
予想していたことだ。
激しい戦闘があったのはつい昨日のことだ―――
そう自分を納得させようとしても、思いの外落胆している自分に驚いて、一騎は苦笑した。
なんだかんだと言いながらも期待していたらしい。
酔いつぶれてこたつで寝ている父と溝口に毛布をかけ、散乱した食器を流しへ運ぶ。
洗い物をしながら、ちらちらと横の鍋を見る。
お節というほどのものでもないが、簡単な煮物と雑煮の用意は出来ている。
総士、食事はどうしたろう。
アルヴィスの食堂かな。
その食堂の職員も今はほとんど自宅に帰っているだろう。おそらく当直のものが一人か二人で回しているのだろう。
インスタントかもしれない。
栄養が偏るよなあ。
茶碗を洗いながら、くす、と小さく笑う。
言い訳、見つけた。
何故、来てもらうことばかり考えていたのだろう。
こちらから行けばいいだけの話だ。
早速一騎はタッパーをいくつか取り出すと丁寧に洗い、そこに煮物やかまぼこなどを並べていった。
大体、あの総士が誘ったからってすぐに来るわけがないんだ。
箸を動かしながらもつい笑ってしまう。
総士が忙しくてアルヴィスから出られないならこちらから行けばいいだけの話。
どうせ自分たちが『忙しく』なる時はアルヴィスに行く時なのだ。
家に誘ったのは、少しのんびりしてもらおう、という意図もあったのだが、それが叶わないなら仕方がない。気分だけでも正月を味わってくれたらいい。
背後で人が動く気配がした。
誰かが起きたのだろう。
「お。一騎、早いな。……寝てないのか?」
溝口の声だ。
「寝そびれちゃいました」
顔を上げることもなく答える。
「何やってんだ、お前」
覗き込む溝口の前にそれとなく体を入れてつまみ食いを防ぎながら、
「総士の食事ですよ」
と答えた。
「俺、ちょっとアルヴィス行って来るんで、父さんと一緒に食べててください。
お雑煮、こっちの鍋です。温めて餅、焼いて入れてください」
「お…? おお……」
まだ酔いの残っていそうな溝口に笑いかけ、タッパーを紙袋に入れて家を飛び出す。
まだ外は暗かった。
少しだけ、初日の出を見るチャンスかな、と思いつつも一騎はそのままアルヴィスを目指して走っていた。
総士を見つけたのは、薄暗い食堂の前だった。
食事をしようとしたのだろうか。
「総士!」
驚いたように振り返った総士は、次に大きく目を見開いた。
「……一騎。どうした、こんな時間に」
「お前こそどうしたんだ、こんなとこで。
いまから食事?」
「あ……いや……」
口ごもる総士の腕を引く。
「お前の部屋に行こう。お節、っていうか、その。
煮物、持ってきたんだ」
「……煮物……」
「ああ。食べてもらおうと思って」
こんな時になんと言っていいのかも判らず、ただ言葉が出るままに任せた。
総士は困惑したようにしばし一騎の手元の紙袋を見ていた。
やがて、こく、と小さく頷いた。
「……ありがとう。じゃ、ごちそうになるよ」
それだけを言うのに、ひどく苦労しているようだった。
小さなテーブルにタッパーを次々に並べる。
箸は持ってきたけれど、器は用意していなかった。
「ごめん…このまま食べて」
いきなり思いついて行動に移したために、総士の部屋に食器があるか、などというところまで気が回らなかった。
いつも食堂で食べていれば食器など、用意してあるはずもないのに。
それでも、総士はわずかに微笑んでくれた。
「ありがとう、じゃ……このままで失礼する」
恐る恐る、といった呈で祝い箸を取り、そうして、一つ一つのタッパーを眺め、中身を確認するかのように箸をつける。
一騎は噴出してしまった。
「大丈夫だよ、普通の煮物だから。
味はちょっとは自信あるんだ。食べてみてくれ」
他にももっと言いたいことはあるのに、もともと喋ることに慣れていない。
ただ、食べてくれ、を繰り返すしかなかった。
「うん、美味しい」
箸の先につまんだ干ししいたけを珍しそうに眺め、頷く。
一騎は笑った。
「ありがと。そこにあるの、全部食べていいよ。
お雑煮も食べて欲しかったな。自信あるんだ。
あればっかりは持って来れない」
「そう…か。ここでは餅は焼けないな」
「うん。今度、うちに来いよ。溝口さんたちにばっかり食べさせてるの、もったいない」
総士が笑ったのを見て、そして美味しそうに食べているのを見て気が抜けてきた。
急に眠くなってくる。
考えてみれば大晦日の戦闘から家に帰り、すぐに正月の用意を始めたのだ。
ほとんど寝ていない。どころか、座ることさえなかった。
このふかふかのソファのせいもあるのだろう。
「悪い……ここで寝ていいかな」
一騎はすでにソファに深く沈みこんでいた。
「寝てないのか?」
総士の驚いたような声が遠くから響いてくる。
「……うん……なんか…今になって急に眠くなった」
目を閉じようとして、まだ言い忘れたことがあることに気がつく。
「今度……総士が忙しくない時……鏡開きの時でいいや……うち、こいよ」
自分で果たして正しく言えているのかどうか分からなくなってきている。
とにかく眠くて視界がぼやける。
総士がこちらを見ているのは分かった。
こちらを見て、何かを言っている。それに答えようとしている自分。
でも、自分の声が聞こえない。
答えているのだろうか。
夢うつつの中で、一騎は総士の笑い声を確かに、間近で聞いていた。
「一騎、寝たのか?」
総士は再度、呼びかけた。
一騎の目はまだうっすらとではあるが、開いている。
寝ているのか、起きているのか分からない。
「鏡開きって……なんだ?」
それだけでも聞いておきたい。
「……鏡餅……木槌で……こう、ね」
一騎の手が揺れる。
何を言いたいのだろう?
「…木槌? 鏡餅と木槌?」
「うん……木槌で割るんだ……面白いよ……」
「面白いのか」
一騎の瞳が動き、わずかに頷くのが分かった。
つい、笑みが洩れる。
「子供みたいだな」
「うん…そ…だよ」
一騎のその言い方がおかしくて、つい笑ってしまっていた。
「……お汁粉にするんだ……きなこ……」
それきりで、言葉は途絶えた。
眠ってしまった一騎に毛布をかけてやりながら、総士は首を捻った。
お汁粉と……きなこ……?
一騎は何を言おうとしたのだろう。
なんだかよく分からないが面白そうだ、と思った。
今度こそ、鏡開きとやらには一騎の家に行こう、と総士は思った。
そうすればきっと、この不思議な寝言の意味も解けそうな気がする。
「ありがとう、一騎」
眠っている一騎に声をかけ、そして、また謝りそびれたな、と唇を噛む。
こうして歩み寄ることを続けてくれる一騎に、いつしか甘えていたのだろう。
今度も、一騎の方から来てくれるまで待っていた自分がいる。
本当は行きたかったのに、そう言えなかった。
簡単なひと言がいつも言えない。
子供みたいだ、といった時にそうだよ、と答えた一騎は何を言いたかったのだろう。
もっと子供らしく振舞え、という事かもしれない。
木槌で餅を割る、という光景はいかにも子供じみて見える。それでも、それを楽しそうだと思う自分がいる。
おそらく、それでいいのだろう。
「一騎、ありがとう」
もう一度、総士は呟いた。一騎が起きたら、その時には。
今度は、もう少し素直でいられるような、そんな気がしていた。
John di ghisinsei http://yokohama.cool.ne.jp/gisinsei1129/
2009/01/21