子供の時間・2






 
 年末や正月など、そういったものをフェストゥムが理解してくれるものでもない。
こちらの都合に合わせてくれるわけではない。
総士は半ば苦々しい気持ちで一騎の後ろ姿を見送り、新しいデータを開いた。

画面を見ながらため息をつく。コーヒーを飲もうとして、缶がもう空なのに気がついた。
何か飲み物が欲しい。空調のせいもあるのだろう。
やたらと喉が渇く。

自動販売機の前でしばし迷う。
今はコーヒーよりも別のものが欲しい。
レモンティのボタンを押し、缶を取ろうとかがんだ弾みに視界に足が飛び込んできた。

そうっと視線を上げる。
遠見真矢だった。

「……どうしたんだ、帰ったと思ったが」
遠見真矢はもう二時間ほども前に帰ったはず、だった。
「早く帰って体調を整えておけ」
「皆城君ってそればっかりだね」
「え」
きつい眼差しと平坦な、冷たい口調に何故か後ろめたい気持ちになる。
何故なのだろう。
「この前、誕生日どうしたの。一騎くんと食事、したの?」
「食事……」
ふう、と、真矢は大きくため息をついた。
「やっぱりだ。皆城くんこのところきりきりしてたからそうなんじゃないか、って思ってた」
「……」
「昨日、一騎くんがリボン、返しに来て」
「……リボン?」
話が見えない。総士は瞬きを繰り返した。
「一騎くん、皆城くんの誕生日に使いたいから、ってうちに借りに来たんだよ。
どうしたのかは知らないけど。あれ、お姉ちゃんのワンピースのリボンなの」
やっと思い出した。
頭に奇妙な、大きなリボンを乗せた一騎の姿を。

わざわざ借りてまであのような格好をしていたのか。

遠見は頬を膨らませたまま、睨むように視線を外さない。総士の方が目をそらしてしまった。

「一騎くん……皆城くんを笑わせたい、って言ってた」
「笑う? 何のために。今は非常時だぞ」
「だから、じゃない。苛々してて体壊しそうだから、って」
幾分、顔を赤らめ、目を伏せる。
「少しでも笑ってくれたらいいんだ、って。
それでうちにわざわざ……皆城くん、そういうの何も判ろうとしないんだね」
なおも何か言いたそうに唇を震わせる。が、それきりだった。
真矢は体をひるがえして走って行ってしまった。



 総士は缶を持ったまま、遠見真矢の後ろ姿をただ見送っていた。

 判っていない。この自分が?

遠見真矢の言葉を頭の中で繰り返す。

 判っていないのは一騎の方だ。

大体、今、自分がこれほど忙しいのだって一騎の乗る機体を―――

怒鳴りたい気持ちで胸の内で繰り返してはっとした。

 一騎の乗る機体。
リボンを頭に乗せてへらへらしていた一騎はそれを充分に知っているはずだ。
おそらく、自分よりも。



言わなくてもわかってくれるはず。
そう思っていたのはいつのことだったろう。

結局のところ、それは自分の勝手な思い込みに過ぎず、一騎には何一つ通じていなかった。
だから、彼は島を出たのだ。

そして帰ってきて――― 
前よりも解り合えた、と思った。


 総士は缶を持ったまま、誰もいない廊下に立ち尽くしていた。
動けなかった。

 そう、あの時は。
あの時は、確かに互いに通じ合えただろう。
そして、それが嬉しくて、自分はそこで止まってしまわなかったか。

これから先も理解しあうためには絶え間なく歩み寄る努力を続けなくてはいけないはずなのに、いつしか自分はそれを放棄していなかったか。

忙しくて苛立っていたことは、言い訳にはならない。
島の防衛のため、皆を守るため、といえば聞こえはいいだろう。
けれど、そのために一騎は自らの命を張っているのだ。

ぼんやりと廊下を歩き、席に戻る。


初めてファフナーに乗れ、と言った時の、一騎の戸惑った顔を思い出していた。

何も知らなかったのに、それでも戦ってくれたのに。

今、全てを知って、自分の命が脅かされているのにそれでも、笑って欲しかったと、あのような格好で現れた一騎。

目の前のモニターに映るマークザインの影を見る。
それが初めて現れた時―――
どれだけ驚き、そして嬉しかったことか。


 ……一騎に……甘え過ぎていたかも知れない。


もう何も言わなくても大丈夫だと。
何もかもわかってくれているのだと。

そこで自分は歩みを止めてしまったのかもしれない。

 正月、か。

鏡餅をどこに置くかでもめている澄美と西尾行美を見るともなしに見ながら、正月は行ってみよう、と思う。
明日には一騎にも謝ろう。


そう決めるといくらか気持ちも軽くなる。
キーを叩きながらも明日、どうやって一騎を捕まえようか、と考えていた。



しかし、なかなか物事は思うようには運ばない。

皆がそれぞれ帰宅しようか、という時になって突如鳴り響いた警報にCDC内は騒然となった。

次々と指示を出す史彦の横で要澄美は鏡餅の上に乗せるはずだったみかんをコンソールの上に放ったままキーを叩く。
転がっていったみかんを気にするものはいなかった。


 接近戦となったその日の戦闘は島にも多大な被害をもたらした。
ファフナーもまた、無傷ではなく、特にマークザインは損傷が激しかった。





 戦闘後の処理に追われ、気がつけば時計は十一時を指していた。

「まだ終わらないのかね」
史彦が声をかけてきた。
「今夜は大晦日だ。良かったらうちに来ないか。
一騎も喜ぶだろう」
「ええ、でもまだこれが」
なかなかデータが受け取れない。
苛立ちながらモニターを睨みつける。
「そう急ぎでもないんだろう?」
「……」
急ぎではないが、今日、戦闘があったばかりだ。
大晦日だからどうだというのだ、と口に出そうになる。

「俺も行っていいか、真壁。一騎につまみの用意を頼んでてくれ」
溝口の言葉に、史彦は笑って頷いている。

何故か、苛立ちが増す。
ついに、一騎の家に行く、と言えなかった。
行こうと思っていたのに。
言い出す機会を失い、総士はそのまま、座り続けていた。


 すでに皆が帰った後も総士はモニターを睨んでいた。


もう日付は変わっている。
一騎の家では今頃、皆でテレビを囲んでいるのだろう。
溝口は酔ってこたつで寝ているかもしれない。

 今は非常時なんだ。
 正月どころではないのだ。

心のどこかで、何かが聞こえる。
今の自分を否定する言葉。

総士は目の前のことに集中することでその言葉から逃れようとしていた。
















 
 



 


John di ghisinsei http://yokohama.cool.ne.jp/gisinsei1129/

2009/01/19