一騎






 
  伝え切れないことがあった。

 時間がないことは、もとより分かっていたから、精一杯、伝えようと思っていたのに。
 それでも、時間は足りなかった。

 伝えたいことがあまりに多すぎて。
この想いを伝えるには、あまりに言葉を知らな過ぎ、そして、時間は短すぎた。
 
 できる限り、と言うには、出来るのにやらなかったことの方が多かったように思う。

 悔いて、いるのだろうか。
自分の生を。
 否、だ。
悔いてはいない。
 すべては、良いことも悪いことも、喜びも悲しみも、結果に向って必然のことだった。
一つの喜びの前に、多くの悲しみや怒りがあり、同じように一つの悲しみはその前のより多くの喜びの果てにあるものだった。
起こり得ることすべて、何一つ無駄なことはなく、不必要なことはなく、繋がり、絡み、続いてゆく。

 そう、すべては絡み、円を描き、一点に帰結する。



 海辺を、少女が歩いている。
砂浜に咲く、小さな花を摘みながら、弾む足取りで歩いてゆく。

 走れるなら、走っていって、抱き締めてやりたかった。
抱き締める、腕があるのなら。

 日向。

ほとんど抱いてやることもなく、傍を離れねばならなくて、それが、辛かった。
胸を引き裂かれるほどに、辛かった。
 総士が、自分の分も愛してくれたろう。
それでも、出来るならこの手で。

 日向はやがて、手に一杯になった花を、一人の少年の足元に置いた。
「お兄ちゃん、また来てくれたのね」
嬉しそうに、首を傾げて微笑む。
「お兄ちゃんに上げる。黄色いお花、嫌い?」
甲洋は軽く首を振り、微笑んだ。
日向は、また嬉しそうに笑った。
「良かった。嫌いだったらどうしようかと思った」
甲洋が何か言いたそうにこちらを見る。
でも、彼も、分かっているはずだ。
まだ、その時ではない、ということを。

 どこかから、祐哉の声がする。
日向を探しているらしい。
日向は首をすくめ、甲洋に笑いかけた。
「お兄ちゃんが探してる…戻んなきゃ。また遊びに来てね」
軽く手を振って、走ってゆく。
その後姿を、甲洋はじっと見送っていた。



 守ってやって欲しい、と、彼に頼むのは、心苦しかった。
自分は、彼に何も出来なかった。
逆に、助けられたのだ。
 けれども、甲洋はいつも、子供たちを助けてくれて、それが嬉しかった。

 ありがとう。
そんな一言では、とても足りない、と思うのだけれど、残念ながら、それ以上の言葉を一騎は知らなかった。

 甲洋に、そして乙姫に。
ありがとう、という以上の感謝の言葉を知っていたら。
 でも、この想いは、きっと通じているだろう、と思う。



 あの子も。
今は愛らしい、小さな少女も、やがて、誰かの手を取るのだろう。
 美久と同じように。
やがては、誰かの手を取るのだ、この自分の手ではなく。

 同じように、祐哉もやがて、誰かの手を取り、守ってゆくだろう。
そうして、想いというものは受け継がれてゆくのだろう。
でも、その誰にも負けないくらいに、彼らを愛している。


 この想いが、空を駆けて彼らの元に届くように。
そして、おそらくすぐ傍にいるであろう、総士のもとにも。

 総士。

今はまだ無理でも、いつかは、戻ろう。
二人のいるべき場所に。

 




 









John di ghisinsei http://yokohama.cool.ne.jp/gisinsei1129/

2005/09/28