太陽の島(晴夜・続き)4
西尾行美の行動は早かった。
どのような連絡手段をとったものか、あっという間に、女たちが集まってきた。
真っ先に、この前、美久を取り上げた助産婦が駆けつけ、彼女が支度をしている間に次々と他の女たちも駆けつけてくる。
一騎を総士の傍に残し、史彦は、美久をおぶって庭に出た。
中からの喧騒に、美久は怯えているのか、なかなか泣き止まない。
「美久、もう泣くな。お母さん、今、大変なんだぞ。
困らすな」
あやしても、泣き止まない。
中の様子も気になる。
うろうろと子供をおぶって庭を歩き回っていると、羽佐間容子とともに駆けつけたカノンが顔を覗かせた。
「司令。真壁司令。その子…ご飯は食べました?」
「あ…」
言われて、初めて気が付いた。
食事の前だったのだ。
腹を減らしているのかもしれない。
「そうか。ご飯がまだだったな。美久、すまんな」
「キッチンにうどんがありましたから。それが美久ちゃんのではないですか?」
「どれ」
すぐ隣の部屋では、一騎の、総士を励ます声と、女たちの声が行き交っている。
その声を気にしながら、台所に入る。
そこには、短く切ったうどんを煮たものがあった。
おそらく、美久のものだろう。
「ああ…これだな」
「じゃあ、私が。司令は少しお休みになってください。
まだ時間、かかりそうだ…」
そう言って、気遣わしげに隣室に視線を投げる。
史彦は、美久を下ろし、隣を覗いてみようかどうしようか、迷った挙句、止めた。
今は、一騎に任せるべきだろう。
自分は、美久の面倒を見ていなければならなかった。
前の時と同じように、一騎に抱きつきながらも、美久の泣き声が気になって、眠ることが出来なかった。
ご飯はどうしたろう。お腹を空かせて、それで泣いているのではないだろうか。
ここでこんな騒ぎになって、きっと、怖いのもあるのだろう。
一騎は、絶えず吹き出る汗を拭いてくれていた。
「かずき…美久…」
「ああ…大丈夫だ。父さんが見てる」
「…そうか…」
いくらか安心はしたものの、それでも、眠ることは出来なかった。
「総士、少し寝ないと。体が参っちまうぞ」
「分かってる…」
再び、陣痛が襲ってくるのが分かって、一騎に抱きついた腕に、力を込めた。
痛みに、気が遠くなりそうだ。
それでも、かすかに聞こえる、隣室の美久の声に、意識を引き止められる。
お風呂も入れてあげないと。
暑いのに。あせもが出来る。
そんな心配ばかりが、次から次へと沸いてきて、痛みが引いて、少しまどろんでも、すぐに目が覚める。
その度に、一騎は、眠れ、と言った。
「カノンも来てくれてる。みんな、見てくれてるから寝ろ。大丈夫だ」
「…ああ…」
本当に眠っておかないと、体力が持たないだろう。
美久、泣くな。
総士を抱き締めたまま、一騎は祈るような思いで、美久に語りかけた。
お母さんが疲れきっちゃうよ。だから、泣くな。
頼むから泣くな。
少しうとうとし始めた総士の腰を撫でてやりながら、神経を隣室に向けてみる。
今は、食事を始めたらしい。
史彦と、カノンの話し声がして、美久の、舌足らずなお喋りも聞こえる。
あのまま、寝てくれればいいけれど。
この家を包む、容易ではない雰囲気を、美久は察しているのだろう。
だから、いつもより、泣いているのだろう。
陣痛が始まるたびに、総士の腰を撫で、その体を抱き締めながら、ついに、夜明けを迎えた。
一騎は、総士を抱き締めたまま、自分もいつしか転寝をしていたらしい。
倒れそうになって壁にぶつかり、同時に、すさまじい力で肩を締め付けられて、一度に眠気が吹っ飛んだ。
集まった女性たちはあちらこちらと忙しなく動き回っている。
ひとりが、一騎の背中に回された総士の手を握っていた。
「力を入れて! 頑張って!」
「息を止めて、あと少し!」
さらに、ひとりが声をかける。
「総士…あと少しだから…!」
「美久は…? …泣いてる…」
どこかから、また、美久の泣き声がした。
「大丈夫、美久も待ってるんだよ、総士」
再び、音がするほど肩を締め付けられて、一騎もまた、歯を食いしばってその痛みに耐えていた。
史彦も、まったく眠れぬままに朝を迎えた。
眠いのに、気が昂ぶって眠れそうにない。
美久はいつになくぐずっている。
おそらく、もうじき生まれてくる弟か妹を待っているのだろう。
カノンが、やはり眠れなかったのだろう、真っ赤な目をして朝食を持ってきてくれた。
「寝てないのかね」
「眠れません」
苦笑して、答える。
「母さんも眠れなかったようだ…今、みんなの食事を作っている」
「そうか…すまんな」
「いえ…さあ、美久ちゃんをこちらへ。
私が食べさせます」
「ありがとう」
机を卓袱台代わりにして、簡単な食事を取り、その間に溝口に連絡を入れた。
やはり、遠見千鶴には来て貰わねばならない。
特に、今回は、前よりも時間がかかっているように思う。
総士の体力が心配だった。
「司令、何かやっておくことは」
「ありがとう」
少し考え、
「すまんが…その…」
総士のいる部屋の方を見る。
「あちらの様子を…見てきてくれるか」
カノンは少し微笑み、頷いた。
カノンがその部屋に行き着く前に、聞こえてきた泣き声に、史彦ははっとした。
ぎゃあ、と言う声と、女性たちのざわめく声。
カノンが、頬を紅潮させて戻ってきた。
「おめでとうございます、男の子ですよ!」
言うなり、美久を抱き上げる。
「美久ちゃん、お姉ちゃんになったよ。もう、泣いてたらダメだ。しっかり弟を見ないとな」
とっさには、信じられなかった。
「…男の子…」
「ええ、小さいですが、健康そのもの。早く行ってください、美久ちゃんは私が見ている」
「ああ…ありがとう」
言いながら、足はすでに動いていた。
危なく、部屋に飛び込むところだった。
何とか、直前で留まり、一騎を呼ぶ。
一騎は、またも、半泣きの状態で、子供を抱いていた。
黒い髪は、まだ真っ赤な血で絡まっている。
これから産湯を使うのだろう、女性たちが慌しく動き回っている。
一騎は、嬉しそうに顔をくしゃくしゃにしていた。
「男の子だよ…立派なの、付いてた」
思わず、噴出していた。
「いい男だよ、父さん。きっと将来、もてもてだ」
「そうか…おめでとう。総士君も…お疲れさま」
総士は、ぐったりと疲れた顔はしていたけれど、それでも、嬉しそうに微笑んだ。
「あの…美久は」
「朝ごはんもちゃんと食べて今はカノンと遊んでいるよ。心配しなくていい。眠りなさい…疲れたろう。
本当に…ありがとう」
その時の微笑みは、おそらく、今まで見た中で、一番美しく、一番嬉しそうなものだったろう。
「少し小さめですけど」
立ち働いていた女性の一人が、にこにこと声をかけてきた。
「でも、大丈夫ですよ。予定より、ちょっと早かったみたい。せっかちさんなのね。でも、ちゃんとほら、成熟してるのよ。鼻の頭、ぶつぶつがあるでしょ。
これはもう大丈夫、って言うことなの」
「あ…美久の時にもあった…」
女性は、でしょ、と、にっこり笑った。
「さあ、お父さん、その子、お風呂に入れますから。
貸してくださいね」
「はい」
女性に子供を手渡す一騎を見て、ずいぶん、余裕が出来たような気がした。
「一騎。二人目で慣れたか」
「まさか。これでも体が震えてる…美久がいるからと思って…我慢してるんだよ」
そう言った声は、確かに、僅かに震えていた。
総士は、眠いのだろう。
話しながらも、少しずつ、目が閉じられてゆく。
やがて、一騎に手を握られたまま、眠ってしまった。
一騎も疲れ切っているだろう。
史彦は、自分だけでも少しでも寝ておこう、と思った。
今のうちしかない。
そうしておかないと、美久を見る人がいなくなってしまう。
静かに部屋を離れ、自室に向う。
カノンは、庭で美久を遊ばせている。
その様子を眺め、頬を撫でる風に、日が昇り始めた山々を見る。
子供たちは、新しい可能性となるだろう、と思う。
総士が、間を置かずに子供を生んだ、と言うのは、決して偶然ではない。
この島に、新たに生まれた可能性だろう。
美久が生まれた時に、乙姫の声を聞いた、と、総士が言っていた。
だとしたら、今、乙姫の転生した者が成長した時。
その時こそ、今の、この答えが出るのだろう。
美久の笑う声が、かつて聞いた乙姫の声と重なる。
もう、何度となく、風に向って語りかけた。
今度もまた、語りかけながら、史彦は柱にもたれ、僅かな眠りに付くことにした。
かつて、紅音が向こうの連中に変化をもたらしたように。
乙姫の存在が、この島に変化をもたらしたように。
新たに生まれた命もまた、何らかの変化をもたらすだろう。
そのためにこそ、彼らは存在するのかも、知れなかった。
John di ghisinsei http://yokohama.cool.ne.jp/gisinsei1129/
2005/05/06
あっさり生ませるつもりでしたが…あっさり過ぎた…(滝汗;)