太陽の島(晴夜・続き)3






  南の海に留まっているせいで、季節がまるで分からなくなってしまった。
 日にちの感覚も、狂う。
一騎は、時計の日付を見、まだ真冬のはずなんだ、と思う。
 冬は、嫌いだった。
総士がいなくなった時のことを思い出す。
彼を待ち続けた間、島は、北の方に留まっていたから、夏でも寒かった。

 もう、寒いのはいやだ。

 家の周りが、木々の緑や花で彩られているように、家の中も、今は、空気の色が、明るい。
 「ただいま」
戸を開けると同時に、甲高い声とともに、美久が走ってくる。
「ちゃーちゃん!」
まだ、誰を呼ぶのもみな、ちゃーちゃん、でひとくくりにされている。
「美久、走っちゃダメ!」
言ってる傍から、たん、と転んだ。
総士が、奥から顔を出す。かなり腹も大きくなって、走って美久を追いかける、ということが出来なくなっている。
 わっ、と泣き出した美久を抱き、
「だから走るな、って言ったろ?」
と、声をかけてあやしながら部屋に入る。
「…ごめん…昼寝してた…」
総士の声はまだぼやけていた。
「いいよ、寝てろ。眠いんだろ。
夕飯、出来上がったら起こすから」
「ああ…悪い…あ。納豆…買ってきてくれた?」
「うん、大丈夫、買ってあるよ」
総士は、ありがと、と、まだ半分寝ているような声で呟き、奥に消えた。

 そろそろ、臨月が近い。
美久が動き回るようになって、ゆっくり休めないのだろう、夕方頃になると美久の昼寝に便乗して寝てしまうことが多い。
 
 居間で、美久がひとり遊びをしている間に、急いで食事の支度をする。
二人目を身ごもってから、何故か総士は毎日のように納豆を食べる。
 西尾行美に言わせると、それは、赤ん坊が食べたがっているのだ、という。
それの真偽はともかく、美久の時も、総士の食事の好みはかなり変わったから、そんなものなのだろう。
 ご飯を炊き、味噌汁を作っていると父が帰ってきた。
ちょうど良かった。
これで、風呂の支度も出来る。
 父に、美久の面倒を見てもらうことにして、家事を片付けていった。

 美久は、もしかしたら、普通の子供よりも発育が早いのではないか、と、そんな気がする。
 まだ、一歳と二ヵ月だ。
それで、こんなに走ったりするものなのだろうか。
今、父と遊んでいる姿を見ても、何となく、本や、ファイルで読んだものとは違うような気がする。

 茶碗を出しながら、史彦に言ってみる。
「それで?」
史彦は、軽く笑った。
「早かったらどうだというんだ?」
どう、と言われても。
「いや…だから…もしかしたらさ…なんか違うとこがあるとしたらそういうとこかな、って」
「馬鹿を言うな。子供は千差万別だぞ。育児書なんかに振り回されるな」
「そうなの…」
父は、美久を膝に抱き、その黒い髪を撫でてやりながら笑った。
「育児書の通りに育つ子供がいるものか。お前まで心配性になっててどうする。…そろそろ、だろう?
お前がもっとしっかりしないとな。な、美久?」
美久を抱き上げ、高い高いをしてやっている。
甲高い笑い声は、家中に響いていった。

 思い過ごしかも、知れない。
違うところがあったらどうしよう、と思うから、余計に気になるのかも知れなかった。
 軽く頭を振って台所に向う。
考えない方がいい。
この自分だって、言われるまでは何も知らなかったのだ。そんなものなのだろう。




 女の子は、良く食べると聞いたことがある。
史彦は膝の上の美久の重みに、一騎の子供の頃を思い出していた。
 確かに、同じ頃の息子よりも重いかもしれない。

 大きくなるにつれて、ますます一騎に似てきたような気がする。もしかすると、紅音に似ているのかもしれない。
 「どれ、今度はこっちか?」
卓袱台の上の絵本を取り、広げる。
「これは何かな?」
「わんわん」
「美久、これは猫だ。にゃんにゃんだよ」
「わんわん!」
小さな指で、絵本を叩き、犬だ、と主張している。
「そっか、わんわんに見えるのか」
苦笑して、抱きなおし、ページをめくる。

 目に入れても痛くない、とは、こういうことなのかもしれない。
あまりに早すぎて、あっけに取られる間もないうちにおじいちゃんと呼ばれるようになってしまった。
 それでも、生まれてみればこんなに愛しいものか。
そして、これほどに愛しい存在を与えてくれた総士もまた、この上なく大切に思える。
 
 おそらく、その不安、苦しみは想像を絶するものがあったろうに、良く頑張ってくれたな、と思う。
隣の部屋の襖が開いていて、僅かに、寝ている総士の頭が見える。
そろそろ出産も近い。美久の事もあって、本人はだいぶ苛立ってきているらしい。
時々、一騎に当り散らしている様子が聞こえてくる。

 つい先ほど、一騎が洩らしたような不安もあるのだろう。
 もっとも、史彦の目から見ても、美久がそう、他の子供たちと違う、と思えるようなところはない。
そして、これは、ただの勘に過ぎなかったけれど、少なくとも、この島にいる以上、特に問題はないような気も、する。


 隣の部屋で、総士が起きたらしい。
膝の上の美久がぐずり始めた。
「お母さんのところに行きたいのか?」
苦笑して、美久を抱き上げ、立ち上がる。
と、襖の陰から、総士が顔を出した。
どうも、寝ていたところから這ってきたものらしい。
「…どうかしたのか?」
「あの…一騎は…」
その声が、震えている。
「待て、すぐに呼ぶ。一騎!」
一騎を呼び、敷居にうずくまっている総士の傍にかがみこんだ。
「大丈夫か?」
「…はい…あの…もしかしたら…」
振り絞るような声で、それだけを言うと、震える腕を伸ばして、史彦の腕を掴んできた。
美久を抱えたまま、その腕を支え、襖の陰から覗いてみて、はっとした。
「大丈夫だ、総士君。今、人を呼ぶからね」
台所から飛んできた一騎に、美久を渡し、小声で、西尾博士を呼ぶよう、指示した。
「え…」
「多分…生まれる…急げ、でないと危ない。破水してるぞ」
「え…っ…」
「すぐに人を集めてもらえ、ここに。それが済んだら総士君についてなさい。後は父さんがやる」
「わ…分かった」
一騎は濡れたままの手で美久を抱き上げ、電話に飛びついた。

 「大丈夫だ。前の時のことを覚えてるね?」
「……」
答えはなく、ただ、頷いている。
その手は、痙攣しながら腕を掴んできていた。

 









 






 



John di ghisinsei http://yokohama.cool.ne.jp/gisinsei1129/

2005/05/05
今日はこどもの日v 産ませてあげたいなあv