祈り






 
   
  背中で規則的に葉のこすれる音がする。
七夕用にもらってきた笹を担いで、一騎は石段を上がっていった。
何となく、子供の頃に戻ったような気分になる。

 けれども、子供の頃のように無邪気な願い事はもう書くことは出来そうにない。
今の一騎の願いは、総士に戻ってきて欲しい、ただそれだけ、だった。
その一つしか、なかった。


 笹を慎重に土間に引き入れ、折らないように気を付けながら壁に立てかける。
と、いきなり背中から怒鳴り声が響いた。
「一騎! またそんなものを持ってきて! お前は家を散らかす天才だな」
そうしだった。
翼を小刻みに、神経質そうに動かし、眉を寄せて睨んでくる。

「…散らかすってなんだよ、ひどいなあ。
七夕だよ、七夕。願い事を書いてぶら下げるんだ」
「…七夕?」
そうしは首を傾げ、しばし考えるように顎に指を当てていた。
「ふむ。そういえばそんな妙な行事もあったような?」
昔にも日本に来たことがあるというそうしは思い出そうとしているかのようだった。

「昔もあったって聞いてるけど。でも、もしかしてそうしが知ってるのと違うかもね」
「そうだな。少なくとも僕が見たのは家の中にこんな大きな笹を引きずり込んだりしてなかったぞ。
見ろ、さっき掃除したばかりだというのに」
落ちた葉を指して不機嫌そうに眉をひそめた。
「…ごめん。俺が後で掃除するよ。短冊吊るす間だけだよ。
すぐに外に出す」
そして、一度は締めた戸を開け、空を仰ぐ。
「雨は降らないな。これなら大丈夫そうだ」
「雨だと困るのか?」
「うん、だって…雨が降ると星が見えないし。織姫と彦星も会えないしさ」
「…織姫…? 誰だ、それは」
「え。あの、誰って……」

そうか。
もしかしたら、そうしは七夕を行事の一つとして覚えてはいても、伝説までは知らないかもしれない。


一騎は簡単に七夕を説明した。
「天の川っていうの、あるだろ? 星の川みたいに見える…。
それをはさんで織姫と彦星の星があって、年に一度だけ会えるんだよ。それが今日。
その日にみんな、願い事を書いた短冊、つるすんだ」
「ほう」
そうしは目を丸くして聞き入っていた。翼がゆっくりとはためく。

「何故、年に一度なのだ?」
「えと…良く覚えてないけど、確か…彦星が織姫に夢中になって仕事しなくなって…その罰じゃなかったかな。
罰として年に一度しか恋人に会わせない、っていう」
「そりゃあ、当然だな」
そうしは鼻を鳴らした。
「どのような仕事をしていたのか知らないが女に現を抜かして仕事をサボるなど。最低ではないか」
「いや。あの」
一騎は頭を掻いた。

 そのように言われてしまっては伝説も形無しだ。

「まあ…それだけ魅力的だったんじゃないかな、織姫が」
まだ何か言いたそうなそうしを制して、
「そうしは願い事、ない? なんか…ドーナツがお腹いっぱい食べられるように、とか」
そうしの口の周りにわずかに白い砂糖のあとが見える。
おそらく、今日もおやつはドーナツだったのだろう。

そうしはそうだな、と軽く頷き、それからまた、首を傾げた。
「どうしたの?」
「うん…」
小首を傾げたまま、はたり、と翼を動かす。

構わずに用意しておいた短冊に願い事を書こうとした時。
「一騎」
「何?」
「……分からんのだが」
「何が」
「今日は織姫と彦星が会う日なのだろう?」
「うん」
「それと願い事と、何の関係があるのだ?」
「えっ……」
虚を衝かれて、思わず仰け反る。

「織姫たちにとっては大事なデートの日だろう?
そのような日に地上の者たちの願い事など…受けてはいられないだろう」
「いや…まあ確かに」
一騎は苦笑した。

確かにそうだ。
願い事をするに至ったのには何か理由があったと思う。
ただ、それがどういう理由であったか、もう覚えていない。
そもそも、七夕と願い事がイコールであるかのように幼い頃から思い込んでいた。

 確かに、年に一度の大切なデートの日に、他人の願い事など知ったことではないだろう。

一騎は思わず笑い出していた。
「何がおかしい」
「ううん、おかしいっていうんじゃなくって。
今までそんなこと、考えたこともなかったな、と思って」
「そうなのか?」
「うん、もうただの行事だからね。七夕には短冊に願い事書いて吊るす、っていう。…確かに織姫たちにとっては迷惑かもなあ」

それでも、こういうしきたりなのだ。
一騎はそうしにそう言って、そうしにも短冊を書かせた。


七夕飾りの作り方も、もう覚えてはいなかった。
仕方なく、作れる限りの折り紙を作って飾ってみた。

「おう。華やかになったぞ」
そうしははたはたと笹の周りを飛びながら嬉しそうに言った。
「本当はもっと華やかなんだ。…いろんな形の飾りがあって」
「そうなのか…」
「テレビで昔の七夕の様子、やると思うよ。一緒に見よう」

アルヴィスではかつて日本で行われたあらゆる祭りの記録が残っている。そして、それぞれの祭りに合わせて特集番組が用意されている。

その夜はやはり七夕だった。
賑やかで、平和だった頃の日本。その頃の七夕の様子。
若者たちはそれぞれに着飾り、大きな笹飾りの下を歩く。
子供たちははしゃぎ、それを見守る大人たちも穏やかに微笑んでいる。
夜空に映える色とりどりの笹飾りは、確かに平和だった頃の日本を映し出していた。





 翌日、そうしは早くから窓の外を見ていた。
「どうしたの、ご飯は?」
「うん…見ろ、みんな笹を担いでどこかに行くぞ」
そうしの視線の先に、海岸に行く人々の姿が見える。
あるものは親子で、または子供たちだけで、それぞれ、笹を持っていた。
「ああ…海だよ。笹を流しに」
「なに? この上、海まで汚すのか?」
「…汚れないと思うよ…多分…きっと回収されると思うから。
本当は川に流すらしいけど。ここにはそんな、笹をたくさん流せるような川がないからさ」
「ふうん…せっかく作ったのにな。
来年も使うという訳には行かないのか? リサイクルだぞ」
「や…来年には枯れてるし」
思わず噴出していた。



 笹を担ぐ一騎の周りを、ちょこちょことそうしが纏わりつく。
海に着くと、一騎は笹を目の前に掲げてみた。

「願い事…叶うといいな」
そうしの言葉に驚いて振り返る。
そうしは海を見ていた。

「お前たちの風習は理解に苦しむものが多い。
年に一度しか会えないという伝説に対して願い事など、僕には正直、おかしいとさえ思えるが」
言葉を切り、なおも海を見つめている。
やがて、ゆっくりと首を廻らし、一騎を見た。
「祈りなのだろうな」
「え?」
「お前たちはあらゆるものに祈りを捧げる。
僕たちの姿を見るとたいていの者は願いを叶えろという。
…確かに、国によっては僕たちが願い事を取り次ぐものであるかのように受け取られているが…お前たちはあらゆるものがそうなのだな」
「……?」
意味が飲み込めず、笹を担いだまま、そうしを見ていた。

「ある時は神社だ。神社というよりも、正月という、その日なのだろう。正月に祈るということが大事なのだろう。
……時には石にさえ祈る。初めはなんと神頼みの多い者たちだと呆れたものだが」

苦笑してパーカーの下で翼をはためかせ、一騎の目の高さまで身体を浮かせた。

「おそらく、神頼みではないのだろうな。
それを叶えるのは自分だと知っている。自分の力でどうにもならないものの時は運だ。
…運が味方するかどうかはそれこそ、人の関知するところではない。それを知っているからこそ、祈らずにいられないのだろう」
「……そう…かな……」


「悪いことではないだろう、と思う。願いが叶うと、あの時に祈ったからだ、と喜び、時にお礼に神社や石にお供えをしたりするものもいるだろう?」
「うん…」
そういえばそうかな、と一騎は海を眺めながら思った。
「運の良さも、祈りを捧げた、何かのおかげなのだ。
だから感謝する……」

そうしは口を噤み、一騎の担ぐ笹を手に取った。
「ただの笹だ。そして、星はお前たちの願いなど知らぬ。
それでも人は願い、祈りを捧げる……。
この島の人々の欲のなさはそういうところから来るのだろうか」
苦笑したそうしに、一騎は首を傾げた。
「欲…ないかな」
「ないな」
きっぱりというとそうしは笑った。
「他の国ではこうはいかない。僕たちの姿を見るなりわれ先にと願い事を言ってくるぞ」
もちろん、全ての国ではないが、と言い添えて、そうしは笹を海に向けた。
一騎も手を添える。
二人で海に向い、笹を放った。

色とりどりの短冊をつけた笹は、音もなく葉で海面を叩き、波に揺れた。

そうしはしばらくその様子を眺めていたが、やがて一騎のシャツを引いた。
「帰るぞ、一騎。帰って七夕について調べよう」
「…え?」
そうしは憤然と反り返った。
「おかしいではないか、恋人たちの逢瀬に願い事など。
一番迷惑してるのは恋人たちだろう。
他に何か由来があるのだ。それを調べよう」
「……うん、分かったよ」
一騎は笑い、そうしと一緒に海に背を向けた。

少し歩いて振り返る。
笹は波間を漂いながら、少しずつ海岸から離れてゆく。



願い事を乗せた笹。
笹は、それらをどこに運んでくれるのだろう。
笹の向こうに広がる、青い、どこまでも続く海。
その海は総士の所にも続いているかもしれなかった。






















John di ghisinsei http://yokohama.cool.ne.jp/gisinsei1129/

2008/07/09