ただ一人の。






 
     その紙は普通の紙とは違って折りにくく、形を整えることも難しかった。
こういう時、つくづく自分は不器用なのだな、と痛感する。

 報告書でも作成してた方が楽だな。

肩が凝ってきて、首を回しながらふと、後のテーブルで宿題をやっている一騎を見る。
目が合ってしまった。

「もう終ったのか?」
「……あ……いや」
慌てたようにノートに目を落す。総士はくす、と小さく笑い、続きに取り掛かった。


 ひな祭りのことは知らないわけではない。
季節になればあちこちで雛あられなどは良く目にしていた。
ただ、アルヴィスに詰めるようになってからは外の商店に行くことも少なく、そのようなものを目にする機会も少なくなっていった。
両親でもいればひな壇を飾ったりすることもあったのだろう、とは思う。
今では、言われなければ分からない。
今年も周りから言われなければ気付かなかったかもしれない。

「乙姫ちゃんのお雛様、あるんでしょう?」
そう言って来たのは西尾里奈だった。
一瞬答えに詰まり、あると思う、とだけ言った。

 実際、あるのだろうと思う。昔に飾られていたのを見た記憶はあるから。
ただ、それが現在どこにあるのか判らない。

自分の家がどうなったか、今は分からない。戦闘で跡形もなく消えているかもしれない。仮にあったとしても、その家の中のどこにひな壇があるものか、総士には見当もつかなかった。

 乙姫もやはり、お雛様というものを欲しがるだろうか。

 そのようなことを考えながら一騎と買い物に出た時、立ち寄った西尾商店で店先に飾られた折り紙の雛人形を見つけた。


「お雛さん、作るのかい」
西尾行美はにこにこと笑いながら、
「それならこれがいいだろう。華やかになるよ」
そういって、千代紙なるものを出してくれた。



ふう、と息をついて背中を伸ばす。
いくらか不恰好ながら形にはなりつつある。

 一騎が何度もこちらを見ているのは気配で感じ取れる。
手伝おうか、と言う声が今にも聞こえてきそうだ。
「手伝ってくれなくともいいぞ、一騎」
後ろの気配が動いた。
「お…俺、何も言ってないよ」
「言いたいんだろう?」
思わず笑みが漏れる。
見ると一騎は決まり悪そうにシャープペンの先を銜えていた。
「いや……まあ……なんかやりにくそうだし。でもお前がやりたいんだろう?
後ろから応援してるよ」
「応援なんぞしなくていいから宿題に集中しろ」
「分かってるよ」
頬を膨らませて答える。
そんな一騎のすぐ横には風呂敷に包まれた弁当箱がある。
一騎が乙姫のために、と作ってくれた散らし寿司だった。


 作業の続きにかかりながら、やはり家に戻って雛人形を探した方がいいのだろうか、と思う。

兄が安い折り紙で作った、不恰好な雛人形よりも、両親が買ってくれたものの方がいいのではないだろうか。
もし壊れていたとしても、破片くらいは。

どのような形になっていようとも、それは紛れもなく、今はもういない両親が乙姫のために用意したものなのだ。
島のコアとしての乙姫ではなく、自分たちの愛しい娘のために。

総士はしばし、指先を見つめたまま、考えに沈んでいた。

ただ一人の自分の肉親。たった一人の妹。
彼女のために自分が出来ることの少なさに、胸が痛む。


ふと、自分はどうだったのだろう、と思う。
両親にとって、自分はどのような存在だったのだろう。
乙姫は、母のあのような事故がなければ普通に生まれるはずだったのだろうと思う。
それなら自分は。

「一騎」
後ろは見ないまま、声だけ投げる。すぐに、なに、と短い返事が聞こえた。
「お前は自分の出生に疑問を持ったことはないか?」
「あるよ」
即答だった。
思わず振り返る。一騎はノートに何か書き込んでいた。
「疑問もったし、親父を恨んだこともあったよ」
「……過去形か?」
「うん」
ノートから顔を上げないまま、答える。やがて、ペンを走らせるのを止めて顔を上げた。
「恨んだけどさ、アルバム見て気持ちが変わったって言うか。うん……昔のね、俺が小さい頃の。
俺がイタズラしてるとことかそんな写真も一杯あってさ」
決まり悪そうに頬を染めた。
「…あの…布団に世界地図描いた記念写真なんかもあったりして」
総士は思わず噴出していた。
「お前だってやったんだろ、どうせ」
一騎はむくれて睨みつけてくる。総士はこみ上げる笑いを抑えて促した。
「それで?」
「…それで…その地図の写真もそうだけど、もう母さんもいなくなってた時でさ。父さんは何も言わなかったけど…あとでふっとその写真のこと思い出して思ったんだ。
きっと母さんいなくて父さんも大変だったんだろうな、って」
「……」
総士は椅子の背に肘を預けて一騎を見つめた。一騎はノートを軽くシャープペンで叩いている。
「俺、特に考えてなかったけど…あの父さんが子供育てるのって良く考えたらすごいことだな、って。
他の人は知らないよ、でもうちの父さんに関して言うなら子供育てるよりも戦闘機作ってた方が楽だったと思うんだ」
「戦闘機…」
「いや実際には作れるはずはないけどものの例えでさ」
「ああ、分かる」
一騎はノートの方に視線を落としたまま、低く呟いた。
「そんな大変なことしたのって…単に俺たち育てたら有効な兵器になる、って言うだけじゃないよな、って。それで思ったんだよ。やっぱり…父さんだからだなって」
「……ふうん……」
そのまま再びノートに向った一騎の横顔を見る。
一騎はさらにボソッと低く呟く。
「ファフナーの電池作るったって絶対採算取れないって…」
それは独り言のように小さな声だった。

一騎の告白は、良くあることで、しかし今まで特に考えたこともなかったことだった。
ごく当たり前のことだった。そのごく当たり前のことは、実はとても大変なことだったのだ。
自分もそのようにして父に育てられたのだろう。
それこそ、一騎の言うように、布団に地図を描いたこともあったのだろう。

その当たり前のことすら、乙姫には与えられなかった。


総士は軽く頭を振り、再び作業に取り掛かった。
細く折った千代紙を慎重に襟部分に重ねてゆく。
もしかしたら、こうした時間、こうした作業こそが、普通の兄として妹に出来る、唯一最大のことかもしれない。
それは余りに平凡で些細なことといえた。けれども、その平凡であることが自分たちには許されなかったのだから。


ところどころに歪みはあるものの、一応、雛人形には見える。
 自分には。


総士はその人形を小さな盆に乗せてそうっと落さないように振り返った。
「一騎。どうだ、これ。雛人形に見えるか?」
一騎は驚いたように目を見張った。
「…変か?」
「いや…すごいじゃん、総士。
きれいだよ」
「そうか? 歪んでしまったが…」
「気にならないよ。出来上がったなら乙姫ちゃんとこ、行こうよ。俺も宿題、終ったし」
「本当か?」
「ほんとに終ったよ」
ほら、と言ってノートを広げてみせる。
「それに雛人形って今日一日しか飾れないんじゃない?」
「そうなのか?」
一騎は顎に指を当てて天井を見ている。
「うん、遠見から前に聞いたんだ。雛人形って三日過ぎて飾っとくとお嫁に行けないんだ、って言ってた。だから早く行かないと飾る時間、どんどん短くなる」
「そうなのか。知らなかった」
お嫁に行く、などということは乙姫に関してなら考えられなかったけれど、それはそれだ。
夢を見て何がいけないのだろう。

総士は時計を見た。五時を回っている。
「今からだったらそれ飾ってみんなで食事できるよ、総士。急ごう」
「ああ」

一騎に促されるままに、一騎の宿題のノートもテーブルの上に放ったままで乙姫の部屋に急ぐ。
あと数時間。
数時間の女の子の祭りのために、二人は廊下を走っていた。

少しの時間でいいのだ。
乙姫にとって、この一瞬一瞬が美しく煌く思い出となるように。

ただ一人の肉親である自分に出来ることはそのくらいなのだから。


















 





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2008/03/03