やさしい夜に
ようやく、二人そろって休日が取れた。
一騎は疲れ果てていた。気が付けば二週間近くも休みがなかったのだ。
一日ごろごろしていたい、と思っても、なかなかそうも行かない。
この休日には、計画があった。
総士に、きちんとしたおにぎりの作り方を教えよう、と思っていたのだ。
天気が良かったので、二人で洗濯やら布団干しといった家事を片付け、一休みしてから買い物に出る。
すぐひき肉を買いたがる総士を制して、魚屋に寄り、塩鮭とタラコを買い、夕飯のおかずになるものを少し買った。
総士の顔を見ると、またハンバーグでもいいかな、と思ってしまうけれど、そこは、心を鬼にした。
「いつも同じものだと栄養が偏るから駄目だよ」
「…わかった…」
「…また今度、作ってやるから」
とは言うものの、総士が自分の好みを主張することなど、これまでもなかったのだ。
最近になって、ようやく、そういうことを言うようになったのだから、聞いてあげたい、とも思う。
でもな。やっぱり体に良くないし。
少し前に、千鶴に頼んで、簡単な検査、と称し、総士の味覚を調べてもらったことがあった。
もしかしたら、味覚障害では、と思ったのだ。
けれども、検査の結果、異常はなかった、と言う。
「総士君の場合、知らないだけなのよ」
千鶴はそういった。
「美味しいとか、そうでないとか、ちゃんと分かるし。
それぞれの味もきちんと分かってる。ただ、それが…例えばこういう組み合わせでは普通は食べないものだ、と言うことを知らないだけ。
不味いものでも、だから世間では食べないのだ、ではなくて、単に自分の好みではない、と思うだけで」
そして、深くため息をついた。
「…今からだって遅くないわ。きちんとした食生活を送れば大丈夫よ」
総士の父は、彼にどんな食事をさせていたのか。
想像すると怖いものがあったけれど、それを今から言ったところで始まらない。
これから、自分が少しずつ教えていけば良いのだ。
おにぎり作りは、ご飯を炊くところから始めた。
炊き上がったご飯を、ざるに移し、かき混ぜながらうちわではたはたと扇ぐ。
「あ…そうやって冷ますのか」
総士は目を丸くした。一騎の方がその言葉に目を見張ってしまった。
「…お前は…どうやってたの」
「え…」
口ごもり、少し赤い顔をして手の平を見る。
「…ものすごく熱かった…」
「…そのまま…熱いのに握ったのか…」
決まり悪そうに頷く。
「前に冷えたご飯だと美味しくない、って聞いて…」
「そっか…ごめんな」
なんだか、本当に申し訳なくなってくる。
熱いのに、我慢して懸命に握っていたのか。
「教えておけば良かったかもな…」
とはいえ、総士がおにぎりを作ることがあるとは、思っても見なかったのだ。
ご飯を冷ましている間に、鮭が焼けた。
それを、皿にとって軽くほぐす。
総士は、小さな声で、焼く必要があったのか、と、呟いていた。
「…うん…まあ…ね」
総士の方は見ないようにして、同じように小さく答える。
さらに、焼いたタラコ、カツオ節、梅干なども用意した。
握れるくらいまで冷ましたご飯を、手に水をつけて少し取る。
「このくらい取ったところで具を入れるんだ。で…さらにご飯、乗っけて…手の平はこんな感じで」
総士もちらちらと一騎の手を見ながら真似をして握っている。ぼろぼろと、鮭とご飯が一緒に手の平から零れ落ちる。
「あ…じゃあ、ラップ、使うといいよ、ラップに包んで握ったらいい」
「ああ…これ、使っていいのか」
「うん、それにご飯、乗せて。このくらい。で、ここに具を置いて…」
そして、三角に握る方法、塩のつけ方、と教えてゆく。
その間、総士は真剣そのものの顔だった。
出来上がったおにぎりを、皿に並べている時に総士が、ぽつんと、
「大体…分かった」
と言った。
「なんだか…俺は…お前にすごいおにぎりを食べさせてしまったようだな」
そういって、苦笑する。
どきん、として、総士の顔を見る。
「…美味しくなかったろう」
「え…いや…あの…」
どう、答えればいいというのだろう。
「言ってくれれば良かったのに。そういうところで遠慮されると逆に困る」
「………」
確かに、そうかもしれない。
「いや…遠慮…ってよか…なんつうか…」
どう言えばいいのだろう。
「でも…嬉しかったし…」
声は、どんどん小さくなる。
総士が怪訝そうにこちらを見ている。
嬉しかったのは、嘘ではなかった。
本当に、嬉しかったのだ。
「…美味しかったよ…」
「嘘をつくな」
苦笑しながらの、総士の言葉に、いきなり涙がぼろぼろと溢れた。
「嘘じゃないよ! うまかったよっ!」
どうしたと言うのだろう。
泣きながら叫んだ自分に驚いていた。
もう止めてくれ、と思ったのは、事実だ。
勘弁してくれ、とも思った。
それでも、嬉しかったし、ちゃんと食べられた。
食べなければ良かった、と思ったこともない。
「…一騎…?」
総士の声に、ますます涙が止まらなくなり、一騎はそのまま、二階に駆け上がっていた。
どうしたって言うんだ、俺の涙腺。
涙が止まらない。
総士は、すごいおにぎりを、と言った。
自分が、どんなものを作ったのか、知ったのだろう。
どんな思いだったろう。
熱いご飯を、冷ますということも知らずに、帰りが遅い自分のために懸命に握ってくれて、それでも、それがすごいものであった、と知ったときに。
でも、彼は知らなかったのだ。
教えなかった方の罪だ。
美味しくなかったろう。
どんな気持ちでそう言ったのだろう。
そんなこと、言わせたくなかった。
もともと、ずいぶん前に、会議でそろって遅くなった総士と史彦のために、一騎がおにぎりを作っておいたことがあって、その時に、総士はたいそう喜んだものだった。それを、彼は自分でやってみたのだろう。
何気なくやったことを覚えていてくれて、今度は自分のために、彼がしてくれたことだ。
それだけでも、自分には十分すぎた。
「一騎…どうしたんだ?」
総士が後ろに来ていた。
「…だって…だって…俺…」
頭が混乱していて、言葉が出てこない。
「お前が…俺のためにわざわざ作ってくれたのに…
俺…ほんとに…すごく嬉しかった」
言葉に詰まり一騎は袖でごしごしと顔を拭った。
「待っててくれた、ってだけだってすっごい嬉しかったのに…」
いつも、遅くまで起きていられない彼が、卓袱台に突っ伏して寝てしまうまで待っててくれたのだ。
目を覚ました時に浮かべた、安心したような笑顔が忘れられない。
「俺のために…熱いご飯、握ってくれたんだろ?
熱かっただろ? …ごめん…」
また、涙があふれ出た。何もかもが、自分が悪いような気になってくる。
きちんと教えておけば、あるいは、もっと早く帰れるようにしていれば、彼はそんな思いもせずにすんだのに。
この上に、うまいものを食わせろなどと、どうして言えるだろう。
いや、決して、不味いものではなかった、と思う。
島を守るために、システムを扱ってきたその手で、自分ひとりのために、熱い飯を握ってくれたのだ。
これ以上のものがこの世にあるだろうか。
「馬鹿だな」
後ろからふわりと抱きつかれ、総士の長い髪がさらさらと肩に流れ落ちた。
「ほんとに…お前って面白いな」
笑いを含んだ、それでも、優しい声だった。
「一騎…お前の気持ちはすごく嬉しいけど…でも、言ってもらわなかったら俺はいつかどこかで恥をかくだろう? だったら…お前の前でうんと恥をかいておきたい。お前なら…きっと教えてくれるから。
…一騎。お前、俺に言ったろ。うまいもん、食わせる、って。俺も同じだよ。疲れて帰って来たお前にうまいもの食って…ゆっくり休んでもらいたい」
細い指が、頬に掛かる。
優しく、宥めるように何度も頬を撫でる。
「だから…もっといろんなことを教えてくれると嬉しい。遠慮せずに、不味かったら不味い、と教えて欲しいな」
くい、と顎を引かれる。目の前に、総士の顔があった。
優しく笑っていた。
「お前らしいな、ほんとに。そんなことで大泣きするなんて」
「だって…! だってほんとに…!」
「分かったから」
総士は呆れたように笑った。
「ちょっと…びっくりしたよ、一騎。そこまで…いろんなことを考えてくれてたんだな。ありがと」
ふわり、と笑った総士の顔が見えた、と思った次の瞬間には唇が重なってきた。
軽く、本当に、軽く。
「そろそろ降りよう。夕飯の支度、しないと。それにおにぎり、どうするんだ?」
「あ……うん…」
ぐすぐすと鼻をすすり、顔を服の袖で拭いながら下に下りる。
「メロドラマは終わったかね」
史彦の声だ。
「…何だよ、メロドラマって」
「何を騒いでた。通りまで良く響いてたぞ、お前のわめき声が」
「え…」
思わず、総士と顔を見合わせる。
「昼間っから騒ぐな、みっともない」
言いながら、父はそこにあった握り飯を頬張っていた。
「おい! 父さん! 何食ってんだよ、それ、総士が作ったんだぞ!」
「ほお。うまいぞ、総士君。塩加減がなかなかいい」
「あ、そうですか、良かった」
総士は、本当に嬉しそうな笑みを浮かべた。
「冗談じゃないよ! それは俺のだよ、父さんは食うなよ!」
「いいじゃないか、もともと食べるために作ったんだし」
「父さんに食べてもらうためじゃない!」
「ずいぶんな言い草だな」
史彦はむっとしたように睨んできた。
「それは俺が食うの。父さんには俺が作ったの、上げるから。…あっ! もう二個も食ってんじゃん!」
「ああ、うまかったぞ」
「ふざけんなよっ!」
一騎は思わず、悔し涙を浮かべていた。
総士の、初めてのまともと言えるおにぎりは、よりにもよって父の胃袋に消えてしまっていた。
それでも、良かった、と思う。
史彦の、美味しかった、という言葉に笑った総士の顔は、本当に嬉しそうだったから。
真っ暗になった石段を、家の灯りを目がけて駆け上る。
そっと家に入ると、思ったとおり、卓袱台の上にはおにぎりが用意されていた。
その横で、総士は舟をこいでいる。
「あ…お帰り…」
ぼんやりとした声で、お疲れ、と付け加えた。
「お茶…そこに…」
「ああ、大丈夫」
顔を洗い、お茶を入れて腰を下ろす。
総士は眠そうに、それでも、懸命に起きていようとしているようだった。
「司令もまだ…」
「うん、まだアルヴィスに残ってる。いいから寝てろって。あとで二階に連れてってやるよ」
総士をひとりで二階に行かせるのは不安だった。
それでなくても、片目が不自由なのに、半分、寝ている今の状態では階段から落ちるかもしれない。
総士の肩を引いて膝の上に寝かせ、おにぎりにかぶりつく。
あれから、だいぶ上手になった。形も、整っている。
今日の握り飯は、上の方にふりかけが掛かっている。
少しずつ、工夫することを覚えたようだ。
今日はカツオ節か。
醤油が少しきつめなのは愛嬌と言うものだろう。
たまに、ゆで卵が丸ごと入っていたり、ハンバーグが入っていたりするのも、愛嬌だろう。
時々、あの、とんでもないおにぎりを懐かしく思うことがある。
不安に駆られながら、走って帰った時のこと、そして、あのおにぎりの味は、一生忘れないだろう。
何も教えることがなくなった時には、きっと、寂しくなるのだろう。
だからってもう一度、食べたい、ってものでも…ないかな。
くす、とひとりで笑って、膝で心地良さそうに寝ている総士の肩をそっと撫でた。
-------------------------------------------------(C)John di GHISINSEI
2005/03/23
拍手のおにぎりネタの、締めくくりとでも申しましょうか(笑)
今、載ってるのを下ろしてから、と思ったけど、自分が我慢できませんでした(爆
これは、おにぎりネタを下さったシオさま、そして、3746のキリ番を踏んでくださった
お二人に捧げますvvv
例によって、タイトルはi poohの曲から。