消えない雪
それを見つけたのは、戦闘が終って帰還する途中のことだった。
島の中央、ひとり山の麓あたりにこんもりと、綿を乗せたような一角を見つけ、一騎は機体を近づけた。
『一騎?』
総士の声に答えるのも忘れて、一騎は飛び込んできた光景に見入ってしまっていた。
『一騎、どうした』
「あ、ああ、ごめん。すぐ戻る」
慌てて方向を変える。
その頃には頭の中は翌日の計画で一杯になっていた。
「一騎、何かあったのか? 随分と楽しそうだったが」
ファフナーから降りた一騎に総士が問いかけてきた。
「なんだか気味が悪いぞ。精神状態がいきなり変わった」
「あ、分かる?」
総士は訝しげに眉を寄せ、次いで苦笑した。
「いいことでもあったのか」
「まあね。総士、明日、空いてたよね」
「あ? ……ああ、今日の報告書を仕上げてしまえば。
何もなければ明日は」
「…何もなければ、か」
今日のようにスクランブルがあればそうも行かないのだろう。
「じゃあ、明日、乙姫ちゃんと一緒に出かけようよ。
今のうちに約束。何かあったらキャンセルでいいから」
総士はしばらく無言で一騎の顔を見つめていたが、やがて頷いた。
「分かった。乙姫にもそのように言っておく」
警戒が解かれたのは夕方になってからで、それまで買い物には出られなかった。
暗くなった道を、商店街へと走る。
途中、いつか梅の枝をくれた老人に出会った。
「こんにちは」
にっこりと笑いかける老人に、一騎も微笑み返し、頭を下げた。
「この前はありがとうございました」
今夜は徹夜になるかなあ。
それでもなんとしても実現させたい。
何もなければ。
何かあれば、その予定はすぐに掻き消える。
そうしているうちに季節は過ぎてゆくだろう。そうして機会は失われてゆくだろう。
鍋の様子を見ながらニンジンに包丁を入れる。
慎重に、真っ直ぐ縦に切れ目を入れ、少し転がしてまた同じように切れ目を入れてゆく。
随分前にやったきりだからなあ。上手く行くかな。
最後にこれを作ったのは運動会の時だった。
何となく遠見真矢の弁当を見て真似してみただけだったが、乙姫が殊の外喜んでくれたのが嬉しかった。
明日には、何があるか分からない。
今、こうしていることも明日には無駄になるかもしれない。
それでも明日に期待する。
ふと、苦笑する。
もしも明日、何かあって、父がこれを見たらどう思うだろう。
浮かんだ笑みはそのまま強張ってゆく。
明日がどうなるかなんて、誰にも分からないのだ。
こうしてニンジンを切っている今も時間は流れ続け、留まることはない。そうしていつしか、『明日』になるのだろう。
「いったいあとどのくらい歩くんだ?」
総士は風になびく髪をうるさそうに払いながら荒い息を吐いていた。
「うん、もう少し」
一騎は弁当箱の包みを抱え、先に立って歩いていた。
乙姫は大丈夫だろうか。
振り返ってみて、あちこち楽しそうに見ながら歩く乙姫に安堵する。
「乙姫ちゃん、ごめんな。あと少しだから」
「うん、大丈夫」
乙姫はむしろ楽しそうに辺りを見回しながら歩いている。体のことを考えると無理はさせられない。
「もうじきだよ」
そのそばまで行かれなくてもいい。
見えるところまで。
やがて乙姫が小さく声を上げた。
「一騎、これ? 見せたかったものって」
「待て、乙姫」
総士の声も聞こえなかったように乙姫は走り出していた。
その前を、風に吹かれた小さな白い花びらが粉雪のように舞っていく。
戦いの後、ファフナーの中から見た、白やピンクの綿のようなかたまり。
それはそこに咲く梅の一群だった。
真っ赤な花の横に真っ白な花が咲き、青い空を背景に交差した枝は、空の蒼さをなお引き立たせる。
「きれい」
乙姫は歓声を上げて、木の下に走った。
その足元に、走った勢いで巻き上げられた花びらが纏いつく。
白や淡いピンクの花びらが舞う中で走る少女。
その方が、ずっときれいだ。
花だけ見ているよりも数倍美しく感じる。
弁当のおかず一つひとつにも乙姫は喜んでくれる。
その様子を見ていて、本当に作ってよかった、と思う。
総士は呆れたような声を上げた。
「また力作だな…大丈夫だったか、一騎」
「うん」
乙姫のための日に、このくらいはやりたかった。
「お花のニンジン!」
花形に切ったニンジンを見て、乙姫は歓声を上げた。
「嬉しい、これ大好き」
無邪気に笑い、本当においしそうに食べるその様子に、やはり作ってよかった、と思う。
「すごく美味しい。お花の下でお花食べるなんて不思議」
頭上の梅の花を見、手元のニンジンを見て笑う。
「まだもう一つ見せたいものがあるんだ。これ、食べ終わったら行こう」
「どこだ?」
もしかしたら疲れているのかもしれない総士に、一騎は笑いかけた。
「大丈夫、すぐ近くだよ」
食事を終えて、一騎は梅の花を切ってくれた老人の家に向った。
老人は箒を片手に庭先に立っていた。
「こんにちは」
「ああ、こんにちは」
「あの、こないだ話した友達です。この梅を見せたくて」
老人はすぐに、ああ、と笑った。
乙姫はぴょん、と一歩、前に跳ねるように進み出て頭を下げた。
「あの梅、どうもありがとう。とってもきれいだった」
「そりゃあ良かった」
老人は嬉しそうににこにこと笑い、庭に招き入れた。
「どうぞ、好きなだけ見てっていいよ」
そうして自分はまた箒を手に掃除の続きにかかる。
一騎は庭をあちこちと見た。そして目当てのものを見つけた。
「あ、これだ、乙姫ちゃん、この木」
それは紅白の梅が一本の木に咲いている梅だった。
「へええ…」
花を見上げ、声を上げる。
「面白いね、一騎」
「うん、きれいだろ」
言ってから、はっとした。
「…乙姫ちゃん…もしかしてあの場所のことも…ここのことも。…知ってた…よね」
島そのものと言ってもいい乙姫が、知らないはずはない、と今さら気がついた。
乙姫はにこにこと笑っている。
やがて、小さく頷いた。
「うん、場所はね。でもみんなとこうして見ることが出来てすごく嬉しかった。だって知ってるのとそれを見るのって違うよ、一騎」
「……そう…かな」
「うん。総士や一騎と一緒に見ることなんて出来ないと思ってたから。ありがとう、一騎」
さらに笑いかける。
「見つけてくれて…ありがとう、一騎」
John di ghisinsei http://yokohama.cool.ne.jp/gisinsei1129/
2008/10/03
季節外れですみません。前にUPしそびれたものです。