CADENZA・2
狭い部屋には、古い、小さなパソコンの上げる、やたらに大きなうなりだけが響いている。
それを操作する一騎の指先は、先ほどから震えが止まらない。
総士ってば、これ、中身、見てないな。
そうとしか、考えられない。それでなければ、ここまでものすごい映像が満載されたデータをくれるはずもない、と思った。
それは、昔のゲイ、と呼ばれた人たちが残したものだ。
一騎はその数多いデータの中から何とか痛みの少ない方法を探ろう、と懸命になっていた。
総士、痛そうだったもんなぁ…。
タオルをかませなかったら、きっと、悲鳴を上げていただろう。
…それにしても、すごい量だ…。
中には女同士のものもあって、一騎は頬が熱くなるのを感じて思わず、頬に手を当てた。
さっきから、下腹部に血液が集中しているような気がする。
片手で、知らずに股間を押さえていた。
女同士でも、ちゃんとやり方はあるんだなあ。
映像つきで、細かく説明がなされているそれを見ていて、洟が出てきて、慌ててティッシュをとり、ちん、と洟をかんだ。
鼻血が出たわけではないらしい。
興奮して鼻血を出す、というのは経験がなかったので、少々期待したのだったが。
映像の中の女性は、なかなかに美しい。
このように美しい人が、男性ではなく、女性にしか興味が持てない、というのも、もったいない気がする。
けれども、それも、男性の側の勝手な言い分なのだろう。
じっくりと読んでしまってから、あわてて、ファイルを戻した。
今はこれは関係ないぞ、探してるのはこれじゃないんだ。
自分に言い聞かせ、またも、画面に顔を寄せて次々とファイルを繰ってゆく。
やがて、ようやくそれらしいものがあった。
その中に書かれた薬品やら、怪しげな、わけの分からないものの中に、よく知った文字を見つけた。
「おお!」
思わず、声を上げて慌てて口を塞ぐ。
鼓動が大きくなり、その音が聞こえそうなほどだった。
ワセリンでいいんじゃん! 持ってるじゃん!
小躍りしそうになって、がたがたと机の引き出しを探る。
確か、前に千鶴にもらったものがあるはずだ。
たいしたこともない傷だったし、第一にその薬が効くとも思えなくて、ほとんど使うこともなかったのだが。
小さなビンが、引き出しの奥に転がっていた。
「こ…これを…」
塗ればいいのか。と想像して、また、かあっと熱くなる。
なんだか、そのビンがとても神聖なものにさえ思えて、両手でそっと包むように取り出した。
そっかあ…。これならもともと傷薬なんだし。
一挙両得、ってやつかも。
思わず、片手でガッツポーズをしていた。
再び、画面に向き直る。
これでひとつ、クリア。あとはー…あまり痛くないやり方…。
小さなビンを、そっと机の端に置いて、再びファイルを繰り始める。
口とかでもいいんだよな。…太もも?
東洋や、古代ギリシアで普通になされたものらしい。
でも、総士って…太股、細かったよな。…どうやるんだ?
頭の中は総士の太股からの連想で、あらゆる記憶がよみがえり
――― また、一騎は洟をかんだ。
オルガスムに達するのは三回に一回、かあ。
少ないんだなあ。…でも、それじゃ困るんだけど。
毎回でないと。
「…ふうん…」
でも、それはあくまでも統計の上だし、と、自らを慰める。
この前も、総士は実はあまり感じてなかったのだろうか。
そんなこともないだろう、と思う。
女は演技ができる、かあ。感じた振りして、男をだますのかな。相手を喜ばせたくて、かなー…。
なんとなく、意気消沈して読んでいると、がたがたと玄関の戸が開く音がした。
父が出かけたらしい。
今夜は、父は帰ってこない。総士と連絡が取れれば、家にまた連れて来たいのだけれど、いい口実が見つからない。
また食事、とか言ったら警戒されるかもしれない。
…警戒、ってなんで?
自問する。
そんなに自信ないのか、俺。
この前、確かに、彼は嬉しい、そう言ってくれたではないか。
相当に痛かったろうに、それでも、受け入れてくれたではないか。
もっと自信を持て、自分。
自らを叱咤して、画面に没頭する。
そんな思いをしてまでも。
昔も、今も、人の心は変わらないものらしい。
今、自分が見ているファイルは、百年以上前から受け継がれたものだ。
さらに古くは、紀元前にも遡れる、という。
そんなに昔から、人は互いを求めることを忘れなかった。
ファイルは、日本国内の事情のみならず、海外のものも多く報告されていて、日本ではほとんど黙認されていたものも、外国では宗教等の理由で、時には罰せられた、という。
迫害を受けた時代も長かったらしい。そんな中でも受け継がれてきた、愛し合う方法。
何でだろう。
ふと、思う。
本来、結合するようにできていない体の構造を、ほとんど無理やり、と言ってもよいような方法で、人は相手と一体になることを望み、それを、後世に伝えようとしている。
愛し合う…なのかな…。
どうして、このような方法をとってまで、人は愛し合おうとしたのだろう。
近くにいて、寄り添って、見つめ合って。
それだけではどうしても伝えきれない、切なくて焼けるような想いがあったのだろう。
憎しみも、悲しみも。そして、同時に、愛し合うことを忘れなかった人、というものを、一騎は、改めて知った気がした。
何千年という、気が遠くなるほどに、長い間。
人は、争いの歴史の中でも、どれほどに迫害を受けようとも、愛し合うことを、忘れなかったのだ。
決して少なくない、ゲイと呼ばれた人たちの記録は、なかなかに重いものがある。
ある人たちは結婚という形を取り、戦災孤児や、当時蔓延した病気で両親を失った子供たちを養子に迎え、家庭を作っていた。
親に捨てられた、先天的な病を持った子供を引き取った例も数限りなく報告されている。
それは、当時は欺瞞と見られただろう。
けれども、彼らの発言の記録を見れば、そのようなものではないことが分かる。
彼らは、ごく普通に暮らしているだけだった。
一般の家庭のように家事を分担し、育児も分担し、ごく自然に地域に溶け込んでゆくさまが見て取れる。
その後の子供たちの行く先を見れば、彼らの家庭がいかに愛情に満ちたものだったか、が分かろうと言うものだ。
子供たちはみな、一様に自然に、「両親」を愛し、家族を愛していた。
そうした過程がやがて、世界を動かしたのだろう。
傍らの小瓶を見る。
このようなものを使ってでも、真に快感を得られるのが三回に一回であっても。
それは、問題ではなかったのだろう。
果たして、自分はそこまで彼を、総士を、愛して、いるのだろうか。
自分が今、抱いている感情がそれだ、と言い切るだけの自信は、まだ持てないでいる。
でも、長いこと、求めてやまなかった。
それだけは、真実だ。
周りから社会から。迫害を受け、差別され、それでも、貫いていけるだろうか。
このファイルに入っているのは、そうしたものに耐え抜き、そういった自分たちの想いを、次の世代に受け継がせるべく、残したものだ。
物思いにふけっていて、すっかり時間がたつのを忘れていた。気が付けば、もう辺りは薄暗い。
そろそろ食事の支度をしなければ、と、ぼんやりと考えていた時。
いきなり、部屋の戸が開いた。
「一騎!」
「あれ? 総士…どしたの」
総士は憮然として睨み付けてきた。
「どうした、じゃないだろう。いくら呼んでもまったく返事がなくて。何やってたんだ」
「何って…この前、もらったやつ見てた。ごめん、夢中になってて気づかなくて……それより、お前こそどうした」
総士はため息をついて畳に胡坐をかいて座った。
「…司令が…ここで食事をしろ、と…お前がそろそろご飯、作ってるだろうから、って。…悪いから断ったんだが…」
少し、顔が赤い。
「お前はもう終わりなの?」
総士は頷いた。
「部屋に戻ろうとしたら…」
「親父に引き止められた、ってわけか」
気が利くなあ、親父。
どうしても、頬が緩む。
「で? 何を見てたって?」
総士が机の上を覗き込んできた。
「ああ…ほら、お前に探してもらったろ。あのファイル」
「…一騎。お前、これ、パスワードかけたか?」
「え?」
総士の顔色が変わった。
「誰かに見られてないか?」
「さあ。見てないと思うけどな。父さん、人のもの見るほど物好きじゃないし…」
もっとも、あの父親のことだから分からなかったけれど。
「いや、あの」
総士は言葉を濁し、
「ちょっとどけ」
と言って一騎を椅子から叩き落した。
「何すんの?」
「履歴を見るんだ。…昨日、お前は出で…司令は休み…だったよな?」
「ああ…うん」
「昨日…これ、開かれてる…お前、昨日見たか?」
「いや」
「……」
「父さんが見た、ってこと?」
総士は力なく頷いた。
「それしか考えられんだろう…パス、かけておくんだった…油断した」
がっくりと肩を落とし、両手で顔を覆う。
「…司令の様子がおかしい、と思ったんだ…大体、司令からここへ来い、なんて…今まで言われたこともないし。
…なんか笑ってるみたいだったし…」
「いいじゃん、だったら親父公認、だろ?」
父が認めてくれる、というなら、これ以上はないだろう。
総士は、くるっと振り向いて睨み付けてきた。
「お前のその脳天気さが羨ましいよ」
「そう? だってさ。素晴らしいことだよ、総士。
このファイル、見てみろよ」
今、見たばかりの感動を分け与えたくて、ファイルを見せようと身を乗り出し、机の上の小さなビンに気が付いた。
「あ! そうだ、あのさ、これ、使うんだって!」
「は?」
「いや、だからあれの時! これ、使えばスムーズに行くらしいよ? 総士、そんなに痛い思いしなくてすむよ」
「何の話だ、何の!」
顔を赤らめて怒鳴る総士が、たまらなく可愛らしい。
「何の、ってことはないだろう? 俺、言ったじゃん。
お前が痛くないようにしたいから、って。
…なあ。それとも、もう嫌なの?」
なんとなく、言葉にしているうちに自信が持てなくなってきた。
あの時限り、と思ったかもしれないのだ、総士は。
だから我慢してくれたのかも知れない。
総士は何か言おうとしたのか、少し口を開き、すぐに閉じた。
まだ赤い顔をしたまま、俯いてしまう。
その肩を、つかもうとして、やめた。
そんなことをしたら、無理やり言わせるようになってしまうだろう。
それだけは、避けたかった。
「…あの…さ…もし、いやだったらそう言って…
俺、無理強いはしたくないし…」
椅子から叩き落されたそのままの場所から、うつむいたままの総士を見上げる。
そっと手を伸ばし、答えない総士の頬を撫でる。
「ねえ…あの…キス…してもいい?」
僅かに、総士が顔を上げた。
目元まで赤い。潤んだ瞳が、誘っているようにも見えて、一騎は返事を待たず、伸び上がって軽く口付けた。
軽い、唇を触れ合わせるだけの、口付けだった。
「総士」
伸び上がったまま、小声で囁く。
「…もし嫌だったら…何もしないよ。だから今夜は食事くらいはしてってくれよ。
俺、がんばってお前の好きなもん、作るから。な?」
総士は、目を伏せたまま、答えない。
急ぐのはよそう、と思った。
もし、本当に父があのファイルを見たのだったら。
でも、その反面、見て欲しい、とも思った。
決して、間違ってはいないのだ、と。
連綿と続いてきた歴史の中で、生殖と結びつかず、それ故に純粋たり得た人々の記録は、決して恥ずべきものではないのだ。
自分たちの関係が、そこまで、記録を残してくれた多くの人たちに誇れるようなものか、まだ、分からない。
だから、もう少し時間をかけてもいい。
もう一度だけ、軽く、口付け、立ち上がった。
「ご飯、作る。…あのさ、本当に何もしないから。
だから…飯だけでも食ってってな?」
総士の方は見ないようにして、急いで下に降りる。
これ以上、近くにいたら何をするか、分からないから。
その分の有り余った全精力を、一騎はその晩の食事にかけることにした。
もちろん、すべて総士のためで、明日の朝早く帰るであろう、父の分など、端から作る気も、なかった。
John di ghisinsei http://yokohama.cool.ne.jp/gisinsei1129/
2005/02/21
前に出した、「CADENZA」で、総士に殴られたきりの一騎が可哀想だから
フォローを、とあすかちゃんに言われてたんですよ。
そのつもりで書いたんだけど、ちっともフォローにならなかった(苦笑)
ごめんよ、一騎;
ちなみに…参考文献は結構古いものなんですよね(笑)
アメリカでの事例が多いです。
ちなみに、所要時間は約3時間(笑)