お釈迦様でも草津の湯でも   








龍華紫織
 見上げるとほの暗い、けれど見たことのあるような天井。

 頭をめぐらした総士は、その視線の先に見覚えのある、とてもとても、限りなく愛しい
黒髪を見つけた。

「……かず…き……」
 少し掠れた声が出た。
「総士っ! 気がついたのか!」
 うたた寝していたような一騎は文字通り、飛び上がるように跳ね起きて、ガバッと総士の
ベッドにほんの一歩で飛びついた。
 
 その反応がかわいくて、総士は一騎をまじまじと見つめてしまう。

 じっと見上げれば、見るまに一騎の瞳が潤み出した。

「総士……」
「今は……いつだ……?」
「あれから一ヵ月くらいだよ。総士……ずっと目を醒まさなくて……もう逢えなかったら
どうしようかと思ってた」
 じんわりと盛り上がった一騎の涙が、限界を越えてほろりと零れ落ちる。
「そうか……」
「総士…………待ってたんだ、ずっと……ずっと待ってた…………」
「ああ……。逢えて……とても嬉しい」
「帰ってきてくれてありがとう。毎日ここで待ってた。総士がいつ目を醒ましても、いちばん最初に
迎えるのは俺でいたかったんだ」
「……僕は、ここに、いるよ」
「総士っ、逢いたかったよ総士っ……」
 がばりと総士に覆いかぶさった一騎は、総士の首をぎゅっと抱いて首筋に顔を埋める。
 少し硬い一騎の髪が頬をくすぐって、総士は目を閉じた。

 頬の濡れた感触がなぜかあたたかい。

 腕は動くだろうか。
 そっと力を入れれば、見慣れた腕は総士の思いどおりに動いて一騎の背中を抱いた。

 痩せたのだろうか。
 淡い色の寝巻から伸びた腕は、憶えているより肉が落ちて、指や甲もほっそりとしてしまっていた。
 
 でも、生きてる。

 生きて、ここに、存在しているのだ。

「…………逢いたかった……一騎……」

 ひとしきり泣き続けて総士に甘えた一騎は、こしこしと両手で目をこすって、赤くなった両目をにこりと細めて
破顔した。
「見て見てっ。総士が起きたら真っ先に見てもらおうと思って、いつも持ってたんだっ」
「ん?」
「これっ!」
 上着の胸ポケットから一騎が取り出した白い紙は、なにやら空欄と細かい文字が散らばった
何かの申請書のような形式だ。
いつも持ち歩いているというだけあって、折り畳んだ折り目以外にも皺になってくたびれている。
 が。

 顔を近づけて注目した総士は、いぶかしげに眉を寄せた。
「………………こんいん……届……?」
「そっ! 俺、初めて見たよ婚姻届って」

 そりゃそうだろう。

 なにせ彼らは未だ十五歳の思い切り未成年。
婚姻可能な法定年齢にさえ達していないのだから。

「…結婚?……誰が?……お前が……?」
「そー。だけど、まだ受理してくれる年齢じゃないんだって」
「……そりゃまあ、そうだ」

 そんなことも知らないのに結婚なんて考えたのかと、いささか総士は呆れる。
「だから、その日が来たらすぐに提出できるようにもらってきたんだ」
「気が早いな。まだ三年もあるぞ。用紙が傷むだろう」
「こんなの、いくらだってもらってくればいいじゃないか。書く練習だってしたほうがいいかもしれないし」

 するか? 普通。

「……そうか。おめでとう、だな。で、その……いったい誰と? あ、いや……真矢…と?」
「やだなー。なにいってるんだよ総士。俺のお嫁さんになってくれるって云ったじゃないか」
「………………………………は?」

 豆鉄砲をくらったような総士。

「俺のところに来てくれるって、云っただろ、あの時。嬉しかったなー。俺、総士にずっと嫌われてると思ってたから、
そうじゃないってわかった時にもすっごくすっごく嬉しかったけど。
俺のとこに来て、俺とずっと一緒にいてくれるんだってわかったらさ、もうシアワセでバクハツしそうってなカンジ?」
「……………………」
「だからねぇ、総士がいつ退院してもいいように家も探してるんだよ。俺の家でもいいけど、
昼も夜も父さんと一緒っていうんじゃ総士が気詰まりかもしれないし。
今はホラ、空き家になっちゃってる一軒家ってけっこうあるだろ。だからさ」

「……ぼっ、……ぼくっっっ??? 僕がなんだってーっ?」
「コンイントドケ出すまで一緒に暮らそうね、総士っ。
もう父さんとかいろんな人にも相談して、探してもらってるんだよっ!」

 くらあぁ〜っと世界がまわったのを総士は感じた。

 ベッドに横になっているのに酷い眩暈に襲われて、総士は両手で顔を覆う。

 同化されかけていたあの時に感じた強烈な酩酊感のような、それよりももっと急激に脱力していくような感じ。

 これは、なに?
 一騎はいったいなにを云っているのだ?

「いろんな人からオメデトウって云ってもらったよ!」
「いいいっ…いろんな人って誰だーっ」
「え? えーっとね、遠見にカノンに剣司だろ。クラスのみんなだろ。それから先生とか、
アルヴィスの整備の人とか、八百屋のおじさんとかたばこ屋のおばあちゃんとかにも云われたなぁ……」

 それってつまり、島民の大部分がこの話題に精通しているということではなかろうか?
 総士の額からたらたらと汗がしたたり落ちてくる。

「ぼ、僕に真壁総士になれっていうのかっ?」
「皆城一騎になってもいいよ俺。俺も父さんも名字変わるのなんか気にしないし」

 そういう問題なのか?
 まだ眩暈が治まっていないような気分の総士は、両目をてのひらで塞いでいた。
ので気づかなかった。
 総士を覗き込んでいた一騎が、ゆっくりと顔を近づけてくることを。
「…!…」
「俺たち、シアワセになろうなっ」
 ……………………キスっ?
 今の、キス?
 だったっ!
(…うそっ…)
 バチッと目をあけた総士は、至近距離にあった一騎の両目を真正面から睨み上げることになった。
 顔の両脇を一騎の両腕が囲っている。
「…か…っ…」
「総士、好きだよ」
 今度は一騎の目を覗き込んだまま口吻けを受けることになってしまった。

 一秒、二秒……五秒、六秒……。
 息が止まっている。
「……総士、息、して」
 緊張と逆上のあまり、目が潤んでくる。
 濡れた視線を上げてみれば、一騎に苦笑された。
「キスって難しいよな。息継ぎしなくちゃ。
映画みたいにはいかないなぁ。初めてだったんで緊張しちゃった。
これからふたりで一緒にうまくなろうな、総士」
 にっこり笑われて、ここで何か反論か抵抗しなければいけないだろうと思っていても、
いつもの口八丁は総士を助けてはくれなかった。
貝にでもなったようだ。

「……三年後の総士の誕生日に入籍しような。
それまでに俺、いっぱいシゴトして指輪買うよ。
それまでカッコつかないけど待っててくれるよな、総士……」
 総士の両手をてのひらに包んで、一騎は総士の左の薬指にやさしく指先で触れると、
その付け根にそっとキスを落とした。
それから、自分の心臓の上に総士の両手を当てる。

(うわあぁぁ)
 そんなキザな仕種どこで覚えたッ!

 そう叫びたかったが、総士は喘ぐばかりで
罵声もなにも出てこなかった。



 数日後、検査の無事が確認された総士は、半ば強制的に真壁家へと拉致された。
 同棲生活を送るべき新居は、そう簡単には物色できなかったのと、未成年ということで
まだまだ親の保護と監督は必要だろうと判断されたためだ。
 総士はもとより、そうそう同棲などできるわけがないと考えていたが、そのライフプランニングに
過度の期待を抱いていたらしい一騎の落胆ぶりは相当なものだった。
 そんなわけで『新居』は真壁家に間借り、という形態となる。

「西側の八畳と四畳半が総士と俺の部屋。
父さんが八畳あけてくれたんだ。前の総士の部屋みたいにとはいかなかったけど、とりあえず、平気、だろ?」
 あの戦闘で総士のいた部屋は既に跡形もなく、かつての持ち物の引っ越しなどしようがなかった。
 鄙びた古い家屋の落ちついた気配の中で、二つの部屋には真新しい畳の匂いが漂っている。

「ここで……暮らすのか」
 明るい日差しを眩しそうによけながら、総士は所在なさそうに立ち尽くした。
 見慣れない場所。
 どこで暮らしても大差ないと思っていたから、自分の持ち物には愛着など持った憶えは
なかったのだけれど。
 違和感に思い当たったのは、部屋や家具から一騎の匂いがするのを感じたからだ。
 どれもこれも、一騎のものだという存在感があるのがわかる。

 そうした物のなかで唯一見覚えのあったもは、いつも処方されていた総士の薬びんたちだけだった。
 きっと一騎が並べたのだろう。真新しいガラスケースの中に厳かに陳列されている。

「総士……」
 不意に背中から抱き締められる。
「…どうした?」
 まだ自分より背の低い一騎に抱かれて、総士は苦笑して問いかける。
 一騎の腕がずいぶんまわっているのがわかるのだ。それになにより、動けない。
 このわずか一ヵ月でそれだけ一騎が逞しくなったのか、自分が痩せたのか。
 筋肉が落ちたのはわかっていたが、一騎の腕を逞しく感じるなんて。
「……総士……消えるな。もう……どこにも行くな。お前がいなくなったら俺……今度こそ駄目かも…………」
「……か……ず………?」

 消えそうだったあの刹那、強烈ななにかが自分を取り巻いて包み込むのを総士は感じていた。
 それは一騎の意思、だったのかもしれない。
 消えかけて、その存在を喪いかけていた総士を、半ば無理やりこの世界にとどめた。
 嬉しかったのだ。
 もう諦めていた。
 一騎の声も、笑顔も、その思考も。
心地好いと思う自分すら喪うことを、受け入れようとしていた。
 その総士を拒絶し、力ずくで引き止め、そのすべてを護ろうとした一騎。
 からだの細胞のひとつひとつに、一騎の意思が存在しているように思う。
 生きて、ここで、一騎のことを想ういとしい、自分……。

「………………やっぱり姓は『夫の氏』を名乗るのがいいと思うか?」
「どっちでもいいよ。総士が一緒にいてくれるのなら夫婦別姓だってちっともかまわないよ」
「……それは、そうだ。まだ考える時間は三年もあるしな」
 背後からの腕の力が強くなる。





 そうして三年後、めでたく新居を構えた真壁一騎と皆城総士は島中の祝福を受けて婚姻届を竜宮島役場に提出した。
 十二月二十七日の朝のことだった。
 年末の忙しい時期をわざわざ選ばなくても…という意見もなきにしもあらずだったのは確かだが、
若いふたりの門出を祝福するように冬空は蒼く澄み渡って、輝く光を降り注いでいた。

「もう離さないから、総士……」
「僕はここに、いるよ……」

(2005.1.8脱稿)

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一騎の眼はあいているし、総士のカラダはそこにあります。
次は同棲生活がいいかな、結婚生活がいいかな(笑)

以上、お釈迦の1・2はファフ熱をあてまくってくれたJohnさんへ捧ぐ。ハマったその日に書いたのなんて久しぶり!


しおりさん、ありがとですーvvv
そちらにリンクしたいけど(裏になったのがあるんだよねーv 溝口×総士ってのが(爆)