夢魔・1
激しい息遣いがコックピット内に響き、自身の耳に反響する。呼吸の速さに耐えられないのだろう、肋骨がぎしぎしと痛む。
恐ろしく強大な敵だった。
振り上げたルガーランスは難なく弾かれ、バランスを失ってよろめく。
体勢を立て直そうと踏み出した足元に、鋭い触手が唸る音を立てて飛んでくる。
危ういところで飛び退き、半分岩山に体をもたせる形で何とか体勢を保つ。
危なかった―――。
激しい呼吸に喉がひゅうひゅうと鳴っている。
あの槍のように鋭く形を変えた触手でやられたらひとたまりもないだろう。
すでに敵は高々と金色の輝く触手を掲げている。
その先に動かない緑色の機体があった。
他のみんなは。
確認したくとも瞳を動かす暇すら与えられない。
額を伝った汗が目じりから首へと流れてゆくのが判った。
先ほどまでいたところに突き立っていた触手は弾力を取り戻し再び唸りをあげて迫る。
「うわああああっ!」
知らず、叫び声を上げていた。声を上げることで恐怖を忘れようとした。
岩山にもたせた姿勢から反動をつけて飛び上がり、うねっている触手にルガーランスを突き立てる。
確かに手ごたえはあった。
しかし、そちらを見る間はない。
唸る音とともに新たな触手が顔の横をかすめる。
その先端の煌き、鋭い切っ先に映る太陽まで見えたように思った。
みんな―――。
間一髪、かわしていた。
その刹那、浜辺にオレンジ色の機体が横たわっていたように思う。
視界を過ぎっただけの、動かない、鈍く光るオレンジ色。
みんなの仇を―――。
でも、本当に皆、やられてしまったのだろうか。
叫び出したい思いで自問していた。
もしかしたら機体がそこにあるだけで、皆、無事に逃げたのかもしれない。
ごう、という音と、風のうねりが耳元で起こる。
あれでやられたら完全にアウトだ。
脱出する間があるとは、到底思えなかった。
耳元にまだ風のうねりが残っているというのに。
すぐ後ろにもう一体の敵の姿が見えた。
全身の毛穴がきゅっと音を立てて締まるのが判る。
鳥肌ってやつか。
今、自分の顔はきっと、頬から額まで総毛立ち、ぶつぶつと鳥肌が浮いていることだろう。
そんなことを冷静に考えられる自分がおかしくもある。
このようなときだというのに。
そのように考えるのも、本当に一瞬のことだった。
後ろからの攻撃を身をよじることで何とかかわす。
体を捻りざま、左手に持ったルガーランスを相手の顔に突き立てた。
その時。
眼前に煌いたものがあった。
息を呑むほどに美しい、虹色を帯びた金色。
跳ね返そうとした。
が、後方の敵に突き立てたルガーランスは抜けず、右手の方も、もしかしたら絡め取られてしまっているのか、動かすことが出来なかった。
間に合わない――― !
あの美しい金色に輝く槍が突き立ったらどうなるのだろう。一瞬で自分は命を絶たれるだろう。
迫る切っ先を見つめ、思う。
全ての音が消え、視界は闇に覆われた。
音は聞こえない。何も見えない。
死、とはこういうことだったのか、と思う。
まるでテレビの電源を落としたかのように。
ぷつんと全ての感覚が絶たれ、闇と静寂だけがある。
死ぬ前に思い出が蘇るなんて嘘じゃないか。
走馬灯のように、なんて嘘だ。
目を動かす。
動くことに驚く。
そっと手、と思われる辺りを動かそうと試みる。
布らしきものに触れた。
これはパジャマだ、と脳が教える。
パジャマを着て、ベッドに寝ている。今までのことは夢だ、と脳に教えられる。
大きく息を吐いてみる。自分の息遣いが聞こえた。
やがて、目が慣れてくる。暗闇であるには違いないが、ぼんやりと見えるものは確かに、アルヴィスの中の自分の部屋だ。
あの戦闘は。
フェストゥムの、優雅とも思えるほどの触手の残酷な動きはまざまざと脳裏に蘇る。
そうっと手を伸ばす。枕もとのスイッチを入れた。
とたんに灯る部屋の明かりに思わず目を閉じ、しばらく慣れるのを待った。
待つ間も考えていた。
自分は総士だ。でも、戦っていたのは確かに一騎だ。
一騎は――― あの戦闘で?
いや、あれは。
あれは。
今、こうして自分はここにいる。
だから、あれは夢なのだ、と無理やり自分に言い聞かせる。無理やりでないと夢だと思えなかった。
確かに夢だ。昨日は戦闘なんかなかった。
昨日は確か―――
訓練だけがあったはずだ。そして今日は会議がある。
そのようなことを考えながらなおも総士は横たわっていた。
体が自分のものだという感覚がなかなかわいてこない。
だから、しばらく体を起こせずにいた。
何とか体を起こして、時計を見る。五時半を指している。
二時間しか寝てないんだ……。
総士は小さく息をついた。
嫌な夢を見た、と思った。あまりにリアルだった。
もう寝る気は起きない。
このまま顔でも洗おう、と洗面所に行く。
洗面所で鏡を見られない自分に驚く。
鏡を見るのが怖かった。
鏡に映るのは一騎で、その後ろに敵がいるような。
夢の中の一場面がそのまま再現されそうな気がして。
総士は鏡を避けて、ほとんど洗面所に顔を埋めるようにして歯を磨いていた。
しかも、顔は斜めにして、だ。
排水口が怖かった。そこからあの煌びやかな槍のように尖った触手が伸びてくるような気がする。
首の後ろからざわざわと恐怖が這い登ってくる。
大急ぎで顔を洗うと飛び退くようにして洗面台から離れ、タオルでごしごしと顔を擦った。
あれは本当に夢だったのか?
タオルを顔に押し当てたまま、その場に屈みこんでいた。足が震えて、立てなかった。
腹から胸に何かがこみ上げてくる。同時に、こみ上げる不快感。タオルを抑えた指が震えていた。
フラッシュバックに症状が似ている。
這い蹲るようにして洗面台にすがり、薬のビンに手を伸ばす。転がり落ちたビンを開けようとしても、手が震えてなかなか開けられなかった。
筋肉は意思に反して収縮運動を繰り返し、指は意図しないところで跳ねておかしな動きを見せる。
薬は確か、一度に二つまでは飲めるはずだ。
あれは、夢だ。
繰り返し、言い聞かせる。
今日の予定を思い出そうとした。今日は普通に一騎たちとも会えるはずだ。
そうすれば夢だということがわかる。
そう、今日の会議に出れば。
会議に持って行くはずのレポートを見れば。
しかし、もし戦闘があって一騎たちが―――
恐怖に内臓が締め上げられるような気がした。
もしかしたら。
もしかしたら。
レポートを見るのが怖い。
総士は震える指で一度は出したファイルを元に戻した。
ファイルに何と書いてあるのか、見るのが怖かった。
あの戦闘でもしかしたらファフナーは全滅したのでは、という思いがちらついて、恐怖に狂いそうだった。
叫びたい。
叫んでしまえばあるいは。
もし、今日会議に出て、その席に一騎がいなかったら。
一騎たちがいなくて、その後をどうするか、ということが議題になっているかもしれないのだ。
総士は文書で会議を欠席する旨、CDC宛に送ると机に向かった。
机に向かって過ごすことにした。
ベッドには行きたくない。
すとんと電源を落としたような画面。
一切の音が聞こえない世界。
何も考えず、自らの失敗を悔やむことも、思い出を懐かしむことも出来ない世界。
誰かを思うことも出来ない世界。
あんな世界は見たくないと思った。
John di ghisinsei http://ghisinsei.sakura.ne.jp/
2009/04/01