青い空と雲と






 
  それは、青い空には似つかわしくない色をしていた。

不釣合いだわ。

 美久は思った。
青い空には、白い雲がいい。太陽の光とも違うこの金色は、似合わない。

 心の中は、驚くほど、凪いでいる。
穏やかで、心地良くさえ、思う。
それでも、全身の神経は恐ろしいほどに過敏になっている。

 やがて、その金色のものはよじれ、消えた。
研ぎ澄まされた神経が、辺りをうかがう。


「ねえちゃん」
頭の中に、祐哉の声が響く。
「分かってる」
美久がそう答えるのと同時に、栄治が同じ言葉を返していた。
 美久は静かに、浜辺の白い、祐哉の機体を見つめた。
一瞬、揺らめいたように見えたそれは、次の瞬間、走り出した。
それを見て、一拍置いてから、美久は空に飛んだ。
少し遅れて、栄治も、美久に重なるように跳躍する。

 祐哉の持っていた剣の先から光が走る。
それを待っていたかのように栄治は援護射撃をしながら、横に逸れてゆく。

真下に、それ、の姿が見えた。

美久は躊躇わず、剣をかざし、まっすぐ降下した。
祐哉と栄治の両方から攻撃を受けていたそれが、美久の方に顔らしきものを向ける。
美久の投げた剣は、過たず、それを頭から串刺しにしていた。




 「さすがと言うべきかな」
溝口が唸った。
「姉弟ってだけか? あの呼吸の見事さは。
ほとんど会話なし、で分かるのか?」
「はあ…大体」
祐哉は、例の調子でぼそぼそと口の中で答えている。
「分からない方が嘘だと思います」
美久は躊躇いがちに、そう答えた。
 本当は、もっと強く言いたかった。
あれで分からなければ嘘だ。
あの程度のことくらい、誰にでも出来る。

溝口はくす、と笑った。
「相変わらずだな、美久ちゃん。…まあ、確かにな。
ただ、毎回、見事なタイミングだな、と思ってね。
少しのずれもない…」
「だって…」
また、ぼそり、と祐哉が呟いた。
「姉ちゃんの考えてることとか…栄治の考えてることとか…分かるもん…」
「栄治もか?」
「はあ…まあ」
こちらも、また、ぼそりと答える。

溝口は顎をさすり、ふうん、と言った。
何か、言いたそうだな、と思った。
多分、血筋とか何とか、そんなことだろう。

 美久も、ファフナーに乗るようになり、もうすでに何度か、訓練を受けた。
今日のような実戦のシミュレーションも何度となく、受けている。
 
訓練の時、美久も祐哉も、ほとんど会話は交わさなかった。
いくつかの短い言葉を、それも二、三やり取りするだけだった。
それだけで、十分だった。
栄治もまた、同じだ。

 あのおしゃべりな栄治も、言葉少なだった。
それでも、彼が何を考えているか、分かる。
分かると言うよりも、感じ取れる、と言った方がいいかも知れない。
そして、それが間違っていたことはまったくと言っていいほど、なかった。




 映像の中の、白い機体は美しかった。
かつて、父が乗っていたものを改良したというそれは、今は祐哉が乗っている。
 改良に改良を重ねたもので、まだ実戦では試されたことはない。
もしかしたら、やがて、違う機体に乗ることになるのかもしれない。
 
 そうなったら嫌だな。

何となく、美久はそう思った。 
 父が乗っていたものが、訓練機で終わるのは、嫌だ。
そうかといって実際に戦いを望んでいるわけでは、もちろん、ない。

 あれも、眠らせた方がいいのだ。

多分、両親はそう望んでいるだろう。
訓練で、ぼろぼろにされる前に、眠ってもらいたかった。



 休憩室では日向が待っていた。
きちんと、両手を膝に乗せて椅子にかしこまって座っているさまは、まるで人形のようだ。

「あ。おねえちゃん」
嬉しそうに、にっこりと微笑む。
「ごめんね、遅くなって。退屈だったでしょ」
「ううん。あのね、みんなと訓練の映像、見てたの。
お兄ちゃん、かっこよかったね。お姉ちゃんもだけど」
「だけど?」
可笑しくなって笑い出す。
日向は、真面目な顔で頷いた。
「あのね、お姉ちゃん、あれ、危ないよ? もう少し前で…えっと、剣みたいなの。あれ、離さないと」
「え……」
少し驚いて問い返す。
日向がこのようなことを言うのは、初めてだ。
「こうやって…刺したでしょ? もっと早く…えっと…体の方ね、離しておかないと絡みつかれちゃうよ?」
「…日向…」
「あれって、そういうのでしょ?」
「…おじいちゃんに聞いたの?」
「ううん」
日向は首を振った。
「お友だちがそう言ってたの」
「そうなんだ…日向のお友だち…そういうの、よく知ってるのね」
「うん」
得意そうに笑う。
思わず、釣られて微笑み、日向の、少し伸びてきた髪を撫でる。


 と、足音がして、美久は振り返った。
「けんにいちゃん」
嬉しくなって、思わず立ち上がっていた。
 本当なら、おじさん、と呼ぶべきなのだろう。
けれども、小さいころからけんにいちゃん、と呼んでいたので、すっかり、そのままの呼び方で通してしまっていた。

「栄ちゃんと会いました?」
「いや、まだだよ。…美久ちゃん、すごいね。
溝口さんがほめてたよ」
「……そうですか…」
「あまり嬉しそうじゃないね」
「…嬉しくないです…」
俯き、呟く。
髪を撫でられて、顔を上げると、剣司は優しく微笑んでいた。
「なんで嬉しくないの」
静かな問いかけに、美久は、しばし、考えた。
「…多分…本当は私、乗りたくないからじゃないかな…。よく分からないけど…。でも、乗らなきゃ、いけないんでしょう?」
剣司は、黙って言葉の続きを待っているようだった。

 「お父さんも、乗りたくなかったって…そう聞いてたからかな…でも…」
ふと、妹を見る。
日向は、邪魔をしては悪いと思ったものか、いつの間にかそばを離れ、自動販売機の中に並ぶジュースをきょろきょろと見ている。

 もし、この妹に何かあったら。
そんな時には、ためらわず、それが何であっても、美久は乗るだろう。
 きっと、父も同じ思いだったのではないだろうか。

 「もし…何かあって…それが自分にしか出来ないなら仕方ないんでしょうね…」
自動販売機の前で首を傾げている妹を見ながら、言った。
「でも…やっぱり…できたら乗りたくないな…」
剣司は優しく笑った。
「…お父さんもお母さんも…それを聞いてきっと安心するんじゃないかな」
「…そうですか?」
「うん。きっとね。…日向ちゃんは喉が渇いたのかな?
何か買ってあげる。美久ちゃんも。何がいい?」
「あ、おじさん、俺も!」
いきなり、後ろから聞こえた声に、驚いて振り返る。
祐哉が走ってきていた。栄治もいる。
「父ちゃん、俺も! 俺、りんごジュースがいい!」
「俺は洋ナシ!」
駆け込んできた祐哉の頭を、すぱん、と叩いた。
「誰があんたの好みなんか聞いてるっての。すっごい地獄耳ね、こんな時ばっかり!」
「ってえなあ! まったく姉ちゃん、少し野蛮だぞ」
「喧嘩するな、そこ。二人にも買ってやるよ。りんごと洋ナシだな? 日向ちゃんと美久ちゃんも好きなの、買っていいぞ」
「あ…私ね…これ…」
高い段にあるジュースを、背伸びして小さな指で叩く。
可愛い指だ、と思った。
たまらなく、愛しい。

転がり落ちるジュースの缶を、祐哉と栄治が騒ぎながら取り合っている。
その向こうに、祖父が立っていることに、美久は初めて気が付いた。

 いつからあそこにいたのだろう。
いつからかは分からないけれど、きっと、話も聞いていたのだろう。
 祖父は、優しい笑みを浮かべ、やがて、去っていった。

 














John di ghisinsei http://yokohama.cool.ne.jp/gisinsei1129/

2005/09/09