僕を探して(前編)






 
  
  海の見える公園には、今の時間、人はいなかった。
美久と祐哉は、草むらで草をつんで遊んでいる。
総士は、ただぼんやりと二人の様子を眺めていた。
 後ろの道路では、先ほどから中年女性が二人、話しこんでいる。
 井戸端会議だろう。

 その話題が、自分のことのように思えて、そちらを振り返ることが出来ず、ただ、海の方ばかりを見ていた。

 何をしに、ここに戻ってきたのだろう。
時折、そんな、無力感に囚われる。
 子供たちの背中を見る。
ここに、一騎の子供の母親としてだけ、存在するために、最初からそのように、組まれていたのだろうか。

 もし、子供たちがいなくても、それでも一騎は自分を必要としてくれたのだろうか。

 「総士!」
後ろからの呼び声に、びくりとして、振り返る。
剣司だった。
「あ…仕事帰りか…」
剣司は、アルヴィスの制服を着ていた。
「うん、また夕方、行くけどね。お前、何やってんだ?
大丈夫なのか?」
言いながら、辺りを見回す。
子供と三人だけで外に出たのは、おそらく、今日が初めてだ。

 「一騎が心配するぞ」
「…うん…ちょっと…一人になりたくて」
「どうかしたのか?」
「いや…」
ふと、剣司の制服に目を落とす。
その制服が、羨ましかった。
男として戻ったのなら、また一騎とともに仕事が出来ただろう。
 システムのことは今でもあまり思い出せないけれど、それでも、あの中にいた時の、一体感のようなものは、何となく覚えていた。

「総士?」
剣司の声に、我に返る。
これ以上、剣司をここに引き止めるわけには行かない。
きっと、子供の世話をしに家に戻るのだろうから。
「何でもないんだ。ありがとう」
 時折襲われる、この寂しさは、なんだろう。
 「栄ちゃんが待ってるんだろう? 早く帰れ」
笑いながら、言ったつもり、だった。
それは、剣司の目にはどのようなものに映ったのだろう。
剣司の目が険しくなった。
「ふざけんなよ。お前を一人で残してきました、なんて言えるか? 家まで送るよ。もう奴も家に帰ってるだろう」
「いや…大丈夫だ」
「大丈夫って言う顔じゃないだろ? いいから帰ろう」
否やをいう間もなかった。
剣司は、美久の手を引き、祐哉を抱き上げた。
「さ、もう帰ろう。お父さんも家で待ってるぞ」
「けんにいちゃん、みくもだっこ」
「お? 甘ったれさんだな。いいよ、おいで」
にこにこと微笑みかけ、両手に子供を抱き、そして、睨みつけてきた。
「…あいつに心配、かけるな。な?」
促され、歩き始める。

「何があったか知らないけどさ。一騎と話せよ。
話せなくても…だからって一人で出るな」
子供たちに気を遣ったものか、小声で言ってくる。

 剣司のことは、割と良く覚えていたように思う。
顔を見て、すぐに名前を思い出せた。
 かつて、叱責したことも、思い出した。
いわば、部下のような存在だった彼が、今は一騎と同じように自分より大人になってしまっていた。
それでもなお、かつてのクラスメートとして接してくれるのが嬉しくもあり、どこか、寂しくもある。

 


 今、自分は、何故、ここにいるのだろう?




 家の前で、一騎と鉢合わせた。
ちょうど、海の方から走ってきたところだった。
「一騎!」
口を開きかけた一騎に、剣司が強い口調で呼びかけた。
「一騎…公園で会ったから連れてきた。…叱ったりするなよ」
「…剣司…」
「分かったな?」
言うなり、二人の子供を、一騎に手渡し、じゃ、と軽く手を上げて走り去った。

 「……」
何故、あのように庇われなければならないのだろう。
もとより、叱られることなど、してはいないだろう。
 確かに、いつもは必ず近所の人や、友人に付き添われて出かけていたのだけれど。
 
 剣司の後姿を見ていた一騎の視線が、こちらに向けられた。
「…入ろう。すぐ、メシにするから」
「あ…ああ…」
答えながらも、体が冷えてくる。

 怒っている。

一騎の瞳を見れば、それくらいは、分かる。
「あの…悪かった…」
小声で、その背中に呟くように言った。
答えは、ない。


 いつもと同じように、一騎は食事の支度をしている。
居間で、子供たちを遊ばせながら、総士は時折、その後姿を窺った。
 美久は、何かを感じ取っているのだろう。
いつものように騒ぐこともなく、時々顔を覗き込みながらも、黙って絵を描いている。
いつもなら、もっと賑やかに話をしているはずなのに。
黙って、子供たちを見ていることしか、出来なかった。
体が、動かない。
 目に見えない、張り詰めた空気に、体をもがんじがらめにされているようだ。

 本当に、ここで、何をやっているのだろう、自分は。




 乱暴に野菜を切り、鍋に放り込む。
一騎は、さっきからずっと、鍋をぶちまけたい衝動と戦っていた。
鍋でなくとも、茶碗でもいい。
 とにかく、猛烈に腹が立っていた。

 確かに、いつも警備が付いていたら気詰まりだろう。
それは、分かる。
でも、まだいつ何が起こるか、分からないのだ。
 しかも、あんな子供まで連れて。
子供たちに何かあったら、どうするつもりだったのだろう。

 後ろで、美久の声がする。美久の話に、適当な相槌しか返さない総士にも腹が立つ。
 きちんと相手、してやればいいじゃないか。
懸命に話しかけている美久が、可哀想だ。
美久は、必死に総士の気を引き立たせようとしているのに。

 「こら、駄目!」
総士の声がした。
「いつも言ってるでしょ、そこは書いちゃ駄目だって! まったくもう…!」
ヒステリックに叫び、ばたばたと雑巾を持って走る。
「畳の上は落ちないから駄目なの!」
思わず、鍋の蓋を流しに叩きつけていた。
がん、とすさまじい音が狭い室内に響いた。
「…子供に当たるんじゃねえよ!」
腹の底から怒鳴ってしまっていた。

 怒るな、と、自分に言い聞かせても、もう、押さえが利かない。
居間に行くと、懸命にクレヨンで線を引かれた畳をこすっている総士の姿と、べそをかいている美久の姿が目に入った。
「いいじゃないか、それくらい! 子供のやることなんだから!」
「これは落ちないんだよ」
「だからいいって言ってるだろう!」
雑巾を持ったまま、凍りついたような総士と、今にも泣きそうな美久を見る。
大股で歩み寄り、とっさに美久を押し飛ばした。
「美久、あっち、行ってろ」
「一騎、何を…!」
「お前はこっち来い、総士」
腕を掴もうとして、振り払われ、かっとして思わず、手を上げた時、いきなり、その腕がつかまれた。
「一騎!」
史彦がいた。
「止めろ、一騎。子供の前だ」
とたんに、美久は火がついたように泣き出した。

 

 こんな思いをしてまで。
何故、自分はここにいなければならないのだろう。
 美久の小さな着替えを膝に乗せて、それを見つめているうちに、涙が出てきた。
 食事の間も、一騎は、ついにこちらを見ることはなかった。黙って祐哉に食事をさせていた。
 膝に、祐哉の小さな手が掛かる。
「…じき、お風呂だからね…待ってて…」
かけた声が、震えた。

 史彦が振り返った。
「何かあったのか?」
「いえ…あの…僕が一人で出かけたから…」
「それで怒ってるのか、一騎は」
「……ええ…すみません…」
「君が謝ることはないよ。…どれ、祐君、こっち、おいで」
総士の膝に上ろうとした祐哉を抱き上げ、肩に抱え上げる。
祐哉は、きゃっと嬉しそうな声を上げた。
「君にはわずらわしいかも知れんが…分かってやってくれ。あいつは怖いんだ」
「…怖い?」
「私も同じだがな」
「え…」
何が怖いのだろう。
 風呂場から、一騎が呼ぶ声がした。
史彦が祐哉を抱き、風呂に連れてゆく。
代わって、美久をバスタオルで包んで戻ってきた。

「あの…怖いって…何がですか」
「君をまた失うんじゃないか、とね。それだけだよ」
そう言って、史彦は静かに微笑んだ。
「美久。浴衣に着替えなさい。
祐君がお風呂から出たら溝口のおじちゃんのとこ、行こう。ザリガニ、見せてくれるよ」
「え」
美久の顔が明るく輝いた。
「ザリガニ?」
「そうだ。おじちゃんのとこにいるんだ。見に行こう」
「うん!」
総士は困惑して史彦を見た。

 今、子供たちを連れて行かれたら困る。
そんなことを思った。
 子供たちがいるから、一騎がまだ怒らずにいるのに。
しかし、史彦は二人だけにしようという腹積もりらしい。
 けれども、子供たちがいなくなったら、会話の糸口さえ、掴めなくなる。
しかも、史彦が二人を連れてゆくのだ。
何かあっても、止めてくれる人もいなくなってしまう。






 
 



 







John di ghisinsei http://yokohama.cool.ne.jp/gisinsei1129/

2005/06/21
…短く終わると思ったら…そうでもなかったですね;