一騎の料理教室






 
    台所に入った一騎は思わず立ち止まった。
総士が何やらファイルを見ながら散らかしている真っ最中だった。

 総士の通っている料理教室も今はまだ夏休みだった。
夏休みの間こそ、と思った一騎も、すぐに思い返した。
 ものの腐りやすい夏こそ怖い。
遠見弓子はそう判断したのだろう。それでなくとも真矢の手になる『創作料理』なるもので何度となく寝込んでいる。

 弓子先生も体張ってるんだよなあ…。
何となく、気の毒にも思えてくる。
 が、それだからといって山のように宿題を出さなくても、と思ったものだった。
痩せたのは夏ばてのせいだけ、と思いたい。


「まだ夏休みの宿題があるの?」
「いや」
総士は首を振った。
「今日から始まったぞ。今、帰ってきたところだ」
「あ…そうなんだ」
そういえば、今日は朝早く家を出たから総士の行動は把握していなかった。

「…で、それは何やってんの?」
「うむ……今度は魚料理だ。マスの味噌漬け」
「……マスって? ここにマスなんかいるの?」
思わず問い返す。

 竜宮島は海の魚には不自由はしないが、マスは渓流の魚だ。島にある小さな川では小魚は獲れるが、マスのような魚がいるとは考えにくかった。

「ひとり山の方に溝口さんが釣堀を作ったんだ。マスだけでなく、鮎などもいるとか」
「……なるほど」
それなら分かる気がした。
いかにも、溝口ならやりそうだ。酒を片手に、もう一方の手に串刺しの魚の塩焼きで上機嫌の溝口、という図は容易く想像できる。

「それで皆でそれぞれに魚の料理を、ということになって」
総士がいうのを一騎は遮った。
「え、ならなんで塩焼きとかにしなかったの。その方が簡単なのに」
「簡単すぎる」
総士はひとこと、憮然として返してきた。
「それに、真っ先に遠見が塩焼きにすると」
「………」
真矢に先を越されただけのことか。
一騎は軽く息を吐いた。

「…他のみんなは?」
「……照り焼きとかそのようなものもいたな…剣司だったか…」
「……ふうん…」
あまり追求しない方が良さそうだ、と一騎は判断した。
要するに、思いついたものはすべて先を越されてしまったのだろう。

 「まあ…味噌漬けもそれほど難しくはないけど。
何がわかんないの」
「ああ。味噌と酒とみりんの配分だ。
ファイルを見てみたんだが…なんともあやふやだ。第一、魚の大きさが特定されていない」
「いや、あの」
一騎はどう説明したものか、と一瞬額を抑えた。

「えっと…味噌はどこ」
「ああ、これを用意してみた。ダシ入りとそうでないものとどちらがいいのか分からない」
「えっと…普通のでいいよ。それと…入れ物」
テーブルに置かれている、タッパーを手に取る。
ある程度の大きさは必要だ。しかし、深い必要はない。
そのタッパーは深さは五センチほどだ。ちょうど良いだろう。

 「これに味噌を入れて」
「どのくらいだ?」
「えっと…お玉で二杯くらいでいいかな。そのあと酒とみりんと…」
「量は?」
計量スプーンを手にしている総士を前に、一騎は再び額を抑えた。
「うんと…あの…俺も計ったこと、ないんだ…味噌がこう…とろとろっていうか…とろとろ、の一歩手前くらいかな。そんな感じに。酒の方はみりんよりも少し多め…」
なんと言われるか分かっているから、自然と声も小さくなってくる。
「それはまったく適当、ということか?」
案の定、総士の剣を帯びた声が返って来た。
「適当、ってわけじゃないんだ、総士、これは経験値ってものだよ、つまり。何度かやってみて分かるんだ。こんな感じ、って。
うまく説明できないけど、説明できないからいい加減ってことにはならないだろ?」
一騎は必死に抗弁していた。

 正直なところ、味噌漬けなど今までに数えるほどしかやったことがない。経験値などと言えるほどでもないけれど、それでも味噌漬けに限らず共通したものはある。

 「……ふむ」
長い沈黙の後、総士はやっと頷いた。
「なるほど、経験値か。それは確かかもしれないな。ここはお前を信じよう」
言いながら味噌に酒、みりんと足しながら軽く混ぜてゆく。
「このような具合でどうだ?」
「あ、うん、それくらい」
「それで…何日くらい漬ければ良いのだ?」
「え、二日も漬ければ十分だよ。余り漬けすぎると辛くなる」
「そうか、ぎりぎりだったな、ちょうど良かった」
「何が? 試食?」
「いや、そうではない。お前の誕生日に間に合えばと思っていた」
「……え?」
 
誕生日?
一拍置いてから、ようやく自分の誕生日を思い出し――― そして改めて繰り返した。

「誕生日?」
「ああ、誕生日には手料理が最高だと前に言ってただろう?」
「…………」

 確かに、言ったような…気もする。
「他にサトイモの煮転がしを添えようと思う。お前の好物だろう? それに魚には合うと思うのだが」
にこやかに言う総士に、一騎は必死に頷いて見せた。
自分の頬に触れて、表情を確認しながら。

 笑ってるよな、俺。
 少しでも引きつったらまずいぞ、俺。

「ありがとう、そうか、俺の誕生日かあ。忘れてた。
お前の手料理なら最高だな」
確かににこやかに言えた。
言えた、が。

 ふう、と自分でも気付かないうちにため息が漏れた。
壁にかかったカレンダーを見て、日にちを確認する風を装いながらも、頭では総士の手料理の光景が浮かんでいた。

 
 マスの味噌漬けに…サトイモ…確かに好きだけど。
こう……なんつかこう、地味、って言うか……なんか。
でも総士の手料理だし。
第一、見た目が華やかだからって手が掛かるってもんでもないし。地味でもサトイモとか難しいし…

 サトイモは総士のもっとも苦手とするものだった。
何故か、焦がすか生煮えかのどちらかになることが多い。

 その苦手なヤツを作ってくれるって言うんだから…。
いや、総士の手料理に文句があるわけじゃなくって。


 悶々としていると、背後から総士の声がした。
「え? なに?」
「出かけてくる、といったんだ」
「…どこへ?」
「ひとり山だ、決まってるだろう。マスを釣りに行かねば」
「えっ!」
愕然とした。


 これから釣りに行くのか!

今までマスは姿も見えなかったが、冷蔵庫にでも入っているのだろうと気にもしていなかった自分が恨めしい。総士を相手にこの展開を予想できなくてどうするというのだ。

「待って総士、俺も行く!」
一騎は慌てて釣竿を手に、総士のあとを追いかけた。

誕生日は、まだまだ遠い気がした。


















John di ghisinsei http://yokohama.cool.ne.jp/gisinsei1129/

2007/09/19
拍手に入れた短編の「料理教室に通う総士」の設定を持ってきてしまいました〜(笑)
本当は拍手に入れる予定でしたが、気が変ったので…