天使と悪魔と夏休み






 
   窓の外から聞こえる蝉の鳴き声はだんだんと大きくなってゆく。
一騎はその声に焦りを覚えながら弁当を詰め、バンダナで包んだ。

「どうした、一騎。夏休みではないのか?」
麦茶を手にした総士が不思議そうに首をかしげる。
「ああ、今日は登校日なんだ。少しだけど、授業もあるんだ」
そうしは目を丸くした。
「登校日…学校に行くのか。夏休み中にも授業をするのか。それは何か、つまり、気持ちを緩めすぎないようにという、学校側の配慮だろうか」
そこまでは、一騎も知らないし、第一、今はそれどころではない。
「そんなの…知らないよ。午前中は授業でその後、アルヴィスなんだ」
「ふうん…それで弁当まで。大変だな。
授業はどのようなものを?」
「…どのような、って…あ。いっけない…宿題…!」
宿題の問題集をまだ鞄に入れてなかった。
慌てて二階に駆け上がる。

 良かった。これ、忘れたら何にもならない。

他に忘れ物がないか、何度も見直す。
久しぶりだから、何か忘れている気がする。


 父はいつものように、ろくろを回している。

「じゃ、行ってくる」
「ああ」
父の、短い返事を背中に、一騎は家を出た。



 授業といっても、ほとんど夏休み前半の宿題の提出だけのようなものだ。
そして、新たな宿題が出される。特にパイロットやアルヴィスにつめて仕事をしていた生徒は授業が大幅に遅れていたから、その分、宿題も多かった。


 一騎はあくびをかみ殺しながら、渡された古典のプリントを見ていた。
この授業が終わっても、午後はいつものようにアルヴィス勤務がある。

「一騎」
いきなり呼ばれ、一騎は振り返った。
「うん?」
そうしが窓から顔を覗かせていた。
「あ…! こら、学校には来るなって…!」
一騎は慌て、教室を見た。
すでに、遅い。

そもそも、そうしは小声で話す、ということなど、しなかった。普通の調子で呼びかけたのだ。静まり返った教室で、聞こえないはずがない。

「総士…? 総士なのか?」
カノンが声を上げた。
「や、あの、これは」
慌てていると背中をつんつん、とつつかれた。
「なんだよ」
「弁当。忘れていったぞ」
「あ」
そうしの両手には、今朝作った弁当の包みがあった。
「あ…ごめん…届けてくれたの」
そうしはふん、と鼻を鳴らし、眉を吊り上げた。
「まったくお前は注意力散漫だな。もう少し気をつけろ」
「あ…うん。ありがとう…」
「では僕はこれで帰る」
「うん、気をつけて」
はたはたと、パーカーの下で翼をはためかせながら家々の屋根の上を飛び、やがてその姿は消えた。

 そうか。宿題、取りに行って…それで台所に置きっぱなしだったんだ…。

受け取った弁当を机において腰を下ろそうとして――
呆然とこちらを見るクラスメイトの視線に気が付いた。

 問題は、これからだった。

「……」
思わず天を仰ぐ。
 ほんと、注意力散漫…。

「今のは…総士ではないのか? しかし何故…」
カノンは涙ぐみながらそうしの消えていった空を見つめている。
「一騎君…あの子は…?」
羽佐間容子の声に、ぐっとつまってしまった。
「あの…今、うちで預ってる子で…総士とそっくりだけど…違うんです…」
容子はゆっくりと首を振った。その目は、大きく見開かれたままだ。
「…それはいいの、一騎君。…あの、ここ、三階よ…?」
「………!」
忘れていた。
そうだった。

 あいつ…。飛ぶなって言っておいたのに…。

「えと…あの…その…てんし…だそうで…」
その声はそれこそ、蚊の泣くような声だった。
「天使だって?」
カノンが叫び、十字を切る。そのまま、床に膝を付き、手を組んでそうしが飛び去った方向を向いてぶつぶつと何やら英語で呟いている。

 しまった…。

カノンはアイルランドの生まれだ。この反応は当然といえば当然だったろう。

 どうしよう。
困惑し、羽佐間容子を見る。
容子は軽く咳払いをした。
「…まあ…フェストゥムなんていうのがいるくらいだし…悪魔も天使もいて不思議はないわね」
 そういう問題だろうか。
ということは口にも出せず、ただ、容子の顔を見ていた。

竜宮島の人間は、案外と適応能力が高いのかも。
何事もなかったかのように続く授業の中、一騎はぼんやりとプリントを眺めながら、そんなことを思っていた。

















John di ghisinsei http://yokohama.cool.ne.jp/gisinsei1129/

2006/07/31