幸福という名の
箪笥の中、押入れの奥と漁ってゆく。目指すものはなかなか見つからない。
一騎は小さくため息を落とし、もう一度、捜索に取り掛かった。
あまり使わないものが入っている衣装ケースの中からどうにか使えそうな毛糸の帽子を引っ張り出す。
去年、何かで買ったのだが、そのような機会も少なく、この衣装ケースの中に入れてしまったのだ。
一騎はそれを横にいるそうしに被せてみた。
「うん、これならばれないかな」
「何をする」
そうしは唇を尖らせた。
「前が見えないではないか」
「うん、片目だけ…軽く斜めにして片目だけ見えるようにして…傷は見せないようにね」
「……こうか」
帽子を傾けて見せる。
「…それじゃ柄が悪そうだな…なんていうかこう…ちょっと斜めになっちゃった、みたいな…」
「難しいな」
そうしはふわふわと鏡の前に飛んでゆき、何度も直して見ている。
そうしはいつか、その役目を終えれば皆の記憶から消えるのだと言う。
それでも、やはりこの傷は見えないようにしておきたかった。
それよりも、こうすることによって、記憶から消えることなどないのだ、と、自らに言い聞かせているようにも思えて、一騎は衣装ケースをしまいながら苦笑した。
消えないと思いたいんだな、俺。
鏡の前で浮きながら何度も帽子を被りなおし、横から、斜めからと見ているそうしの姿に、笑みがこぼれる。
「さ、行こうか」
「うむ。しかしこのように着せられては羽が動かないのだが」
「…動かすなよ…」
「まったく動かせないと不自由だ」
分厚いジャンパーの下でもそもそと羽が動くのが見える。もしかしたらそうしは翼の自由を奪われたら動けないのかもしれない。
「…仕方ないな。じゃあ、前だけ開けておけばいい。それで随分違うはずだ」
ジャンパーの前を開けただけで少しはましになったらしい。
それでも、何だか足元も危ない様子で、商店まで一騎はずっとそうしの手を引いていなければならなかった。
商店街の方からは景気のいい鐘の音が聞こえる。
「おお、誰か当たったのかな」
そうしの背中がごそごそと動く。
「今日は当たりが多い日だといいな。ほら、これ」
一騎はこの時のためにためておいた福引券をそうしの手に握らせた。
そうしは力強く頷いた。
「うむ。では行ってくる」
その言い方がおかしくて、一騎は思わず笑ってしまった。
背の低いそうしは子供と思われたのだろう、店の手伝いに来ていたらしい女性がそうしのために台を用意してくれた。
「ああ、すまないな」
その女性に頷いてみせるのを見て、一騎は思わず額を抑えていた。
台に乗っても、回すのは一苦労らしいのを見て、一騎は慌てた。急いで後ろから支える。
案の定、そうしは浮いていた。
「浮くなってば」
「あ、ああ。そうだったな」
「おや、一騎のところの子かい?」
西尾行美がにこにこと笑いかける。
「え…ええ、あの、今ちょっと…」
なんと言ってごまかそうか、と考えているうちに、からん、と赤い玉が出てきた。
「お。赤いぞ」
「あー…はずれだ」
思わず、ため息が出た。
天使だから、あるいは、と思わないでもなかったのだが。こういうところまで天は妙に公平なものらしい。
「残念だったね、はい、ティッシュだ。また引きにおいで」
「うむ、ティッシュか。いいものをもらった。どうもありがとう」
「あ、ありがとね! また来る!」
そうしの言葉を遮るようにして一騎は西尾行美に笑いかけ、急いで店を離れた。
「どうしたのだ?」
「いや、あの」
どうした、と言われても。
あのような場で使う言葉ではないのだ、と言ったところで分かってもらえないだろう。
「うん、まあ…いいや。どうだった?」
「面白かったぞ」
そうしは嬉しそうに、そして大事そうに小さなティッシュを握っている。
「何よりもどきどきする」
「そうしって福引、好きだな」
旅行を当てた時の事を思い出しながら言った。
「そうだな、好きというよりも…福引というものがきっと…僕たちの考えている幸せというものに近いのだろう。だから僕たちが与えようとするものが福引の形を取るのではないかな」
「…うん…?」
一騎は目深に帽子を被ったそうしの顔を覗きこんだ。
「うむ、つまり」
そうしはティッシュを見た。
「これははずれだという。はずれというとたいていの者はがっかりする。だが、そこに至るまでの間、つまり、あの列に並び、福引をやる間の、あのわくわくした感じだな」
それを思い出したのか、そうしはわずかに浮かび上がった。
一騎は慌ててその腰を捕らえ、腕に抱き取った。体はもうそれほど小さくないにしても、まだ片腕で十分に支えられる重さだった。
「あのわくわく感を」
そうしは続けた。
「人は幸福と呼ぶのではないかな。宝くじも似たようなものだと思う」
「…そうか」
何となく、そうしの言いたいことも分かる気もする。
家の近くまで来て、一騎はそうしを下ろしてやった。
あまり外に出ることのないそうしは珍しそうに辺りを見回している。
わくわく、か…。
家の前に通じる石段の近くまで来た時に、不意に子供の頃を思い出した。
総士と二人、アイスを買って食べながら歩いていた。
二人とも無言で懸命に舐め続けていた。早くアイスの棒にたどり着きたくて。
今見れば小さなアイスも、小さかった自分たちが棒が見えるまで舐める頃には冷たくて口がしびれていた。
「…あたった。かずき、あたり、ってかいてある」
「え、いいな。ぼくははずれだ」
「でもこれでもういっぽんもらえる。そしたらはんぶんこしよう」
二人でまだ半分ほども残ったアイスを大急ぎで食べて商店に走っていった。
あの時の期待感、はずれと知った時の失望、あたった総士への羨望。
そんなこんな、ひっくるめてまざまざと思い出せる。
それは確かに、過ぎ去った幸福だった時の思い出のひとこまだった。
何も知らなかった頃の自分たち。
まだ島は平穏で、誰もが笑っていた。学校に上がる前のことだったと思う。自分たちは、本当に小さかった。
たった一本の棒に書かれた文字に一喜一憂した日々。
父にもらった福引券を手に、総士と二人、先を争って商店街に走ったこと。
そんな小さなことが嬉しかった。
いつから人は、より多くを求めるようになったのだろう。
「お前といると良く子供の頃を思い出すなあ」
石段を降りながら呟く。振り返ったそうしの顔を見て、ふと、これはそうしがそうさせているのでは、と思った。
夢を見ながら眠る時間が短いように―――
思い出に浸りながらの待つ時間はより短いかもしれない。待つ時間の長さ、ともすれば絶望に変りそうになるそれを、思い出が繋ぎ止めてくれているのかもしれない。
「僕たちは」
そうしが小さく呟いた。
「まだお前たちに…それほど大きな幸福を与えられないのだ。何せ、下級だからな。最上級の者はそれこそ、死に掛けた者を助けることも出来るが…」
ティッシュの小さな袋を見つめて呟くそうしの横顔は心なしか、寂しそうにも見える。
「むしろお前たちから与えられている。例えばこの福引がそうだ。僕たちが当たりを引くことはまずないのだ、一騎。だが…はずれでもとても楽しいものだ、と思った」
「……」
「ありがとう、一騎」
わずかに首を傾げて微笑んだそうしの頬にかかる髪は夕陽を受けて金色に輝いている。
その金色よりも。
そうしの笑顔は輝いて見えた。
John di ghisinsei http://yokohama.cool.ne.jp/gisinsei1129/
2007/01/03