天使からのお年玉
「クリスマスの次は正月、か」
煮物を作っている一騎の横でそうしが羽根をはたはたさせながら呟いた。
「忙しないことだな」
「まあね」
一騎は苦笑した。
「年の暮れってのは忙しいもんだよ」
「そうか?」
そうしは小首を傾げた。
「どれか行事を減らせばいいのに、と思うこともあるな。例えば一部の国ではクリスマスが賑やかな代わりに正月はあっさりしたものだ」
それは、確かに一騎も良く思うことではあった。
「でも、これが昔からの日本のやり方だって言うし」
データによれば確かに、昔の日本は今、この竜宮島以上に忙しない。
「市場とかあったらしいよ」
ファイルで見せてもらった昔の日本の光景を思い出しながら煮物のたけのこに串を刺す。
程よく煮えている。
「市場と言うと…?」
「うん、魚とか雑貨とか安く売ってるんだ」
「テントなど張ってあったのか?」
「いや、そういうのじゃなくって商店のうんと賑やかなやつ。そこに何万人も集まったりしてぎゅうぎゅうだったって」
「ふうん」
そうしははた、と翼を揺らした。
「ここではそのようなことはないな」
「そんなに人口、ないし」
一騎は笑い、火を止めた。
煮物を皿にあけ、用意してあった少しばかりのおせちを並べる。
雑煮もいいにおいをさせている。
やがて、カノンや剣司、真矢がてんでに集まってきた。
「開けましておめでとう、一騎くん!」
真矢は可愛らしい小花模様の振袖を着ていた。
「どうしたのだ、真矢は。その格好はなんだ、苦しくないか?」
そうしは目を見張り翼をばたつかせた。
「着物だよ、そうし。日本の民族衣装」
「ああ…あ、そうだったのか。びっくりしたぞ」
「あれ、そうし君、昔の日本には来た事ってなかったの?」
「あったが。もっと簡単な衣服を着ていた」
「……」
まさか毛皮を巻きつけて、とか言い出さないよな。
ふと不安になって一騎は少し慌てた。
「とにかく上がりなよ、もう用意できてる」
「おめでとう、一騎」
剣司がこれは打って変わってごく普通の格好でやってきた。違うところといえばごろごろに着膨れているところだろう。
続けて入ってきたカノンはこれまた愛らしい、真っ赤な梅の花の模様の着物を着ていた。
「おめでとう、そうし」
真っ先にそうしに挨拶をする。それも、誰に教わったのか、腕にくるり、と袂を巻きつけて。
そうしは嬉しそうに翼をはためかせた。
「綺麗だな、カノン。いつもこのような姿だと華やかなのに。…しかしお前もきつそうだな」
カノンは苦笑した。
「うむ。まあ、苦しい。いつもこのような格好をしていた昔の日本人には頭が下がる」
「ふむ。寒かったのだろうな、日本は。今の剣司のように簡単に着膨れることが出来ない文化だったのだろう」
「大きなお世話だ」
膨れた剣司にカノンが笑いかける。
その笑顔はまるで少女のようで、一騎はまた新しいカノンを見つけた気がした。
こんな顔もするんだ。
綺麗だ、と正直に思った。
そして改めて思う。
このようにやさしく笑うことが出来た少女が他にもたくさんいたのだ、と。
長い戦いの日々が自分たちの日常を奪ったように、このような優しい笑顔がどれだけ失われたことだろう。
物思いに沈みながら餅を焼いているといつの間にかすぐ後ろにそうしが来ていた。
「お」
短く上がる声に振り返る。
「なに」
「いや…」
小さくなんでもない、と呟く。その視線は餅に注がれている。
「…そういえば餅を焼くのは初めてだな。そうしは初めて見たんだ?」
「あ…ああ」
一騎の家では正月以外に餅を焼く、ということは余りしなかったから、珍しいかも知れなかった。
餅が膨らんだところで、また、声がした。
「お!」
「どうしたんだ」
少し離れた卓袱台にいる剣司までが振り返って声をかける。
見れば、そうしは翼は小刻みに震えるように動かして正座の格好のまま浮き上がっていた。
目はストーブの上の餅を凝視している。
「膨らんだぞ!」
「…うん」
そうか、珍しいのか。
一騎は笑いを堪えるのに必死だった。
何となく、そうしのリアクションを見るのが楽しくて、わざと餅を火の強いところに移動させてみた。
餅は膨らみ、表面がひび割れてくる。
「おっ…お。割れるぞ!」
「うん、こういうもんなんだ」
「破裂するぞ!」
そういっている間にぽん、と音を立てた餅に、そうしの翼は大きくはためいた。
「面白いな!」
顔は無表情なのに、生真面目なそうしの顔なのに、翼は小刻みにぱたぱたと動いている。
餅一つでここまで楽しんでくれるのなら、毎日餅を焼いてもいいかな、と思う。
椀に入れられた餅をじっと見つめるそうしの顔は早く食べたくて仕方がない、と言った様子だった。箸を片手に、はたはたと翼を揺らす。
やがて、史彦が入ってきた。
いつもの作業服姿だ。
「やあ、みんな、おめでとう。今年もよろしく」
笑顔のつもりなのだろうが、目をわずかに細めただけでの挨拶に、皆も緊張したように頭を下げる。
「史彦、それはいいから早く餅を食べろ。面白いのだぞ、この餅は」
「ああ。ありがとう、そうしくん」
父は、初めてそれと分かる笑顔で頷いて見せた。
「その前に、みんなにこれを」
小さな袋の束をポケットから取り出す。
それを見て、一騎は心臓がきゅっと音を立てたように感じた。
小さい頃を思い出していた。
一騎が懸命に覚えたお雑煮を作り、それを前に食卓についた時。
期待したことのなかったお年玉の、可愛い絵柄の紙袋を目にした時の、あの喜び。
中身は確か、百円玉だったと思う。でも、金額よりも、父が可愛らしい袋を、自分のために用意してくれたのだ、ということが何よりも嬉しかった。
誰もが親戚の少ないこの島の子供たちにとっては、お年玉というのは格別な意味を持っていた。
誰かが、自分の事を考えてくれている。
袋の表面に書かれた自分の名前が嬉しかった。
父はこほ、と軽く咳をした。
「みんな、気持ばかりだが」
「え、そんな」
真矢が慌てたような声を上げた。
「一年に一度のことだからな」
一人ひとりに、小さな袋を配る。
そして、そうしには小さな箱を差し出した。
「そうし君のお年玉はこれだ」
「うん?」
さっそく蓋を開ける。その中にはドーナツが並んでいた。
「お! ドーナツか! これは食べられる方だな?」
「そうだ」
軽く笑って頷く。
この小さな天使のために、父は最高傑作とも言えるドーナツの置物を作っていた。
皿の上に三つほどドーナツが盛られた形の置物は、本当に何の役にも立たないものだったけれど、そうしはこの上なく満足そうだった。
「美味しそうだ、見てみろ、一騎」
「へえ」
一騎は正直に驚いていた。
ただの置物にするのがもったいないほどの出来栄えだった。あそこまでリアルなドーナツが作れて何故ごく普通の花瓶や茶碗が作れないのか、不思議でならない。
そうしは嬉しそうにドーナツを一つ取り出した。
「これもお年玉なのか」
「まあ…そうだな。お年玉の起源までは調べたことはないが、昔からそういう風習があった。年上のものが下のものに正月にプレゼントをする」
「ほう」
そうしは小さく羽根を開いた。
「なら僕もしなければな。僕は姿こそこうだが皆よりも年上だからな」
そう言うと、細かく翼を揺らす。翼から、小さな柔らかそうな産毛が舞った。
「これを持って行け」
「え?」
一騎は目の前に差し出された小さな、ふわふわした産毛を指で摘んでみた。
「なあ、大丈夫なの? 羽根…」
確か、前に剣司に羽根を抜かれたときに、減点では、と心配していたのではなかったろうか。
そうしは軽く首を振った。
「このくらいの産毛を…年に一度のプレゼントにするくらいは大丈夫だ。
これを皆にやろう。僕からのお年玉だ」
心持ち、胸をそらしているように見えるのは、やはり年上ということを強調したいのだろうな、と一騎は少しおかしくなった。
「おお。ありがとう、そうし。私はこれで十分だ」
カノンは声を震わせ、産毛を大事そうに抱き締める。
「私にもくれると言うのか?」
父は目の前にふわり、と飛んできた綿毛を手の平で受け止めた。
「もちろんだ」
と、にっこり笑う。父は笑い、ありがとう、というとポケットに綿毛を大事そうに納めた。
「ねえ、もしかしてこれって幸運が来るの?」
真矢は小さな羽根を目の前にかざして見ている。
「小さなものだがな」
そうしは早速ドーナツにかぶりついている。
「幸運、というものとは違うかもしれない。その者が望んだようになる。
もちろん、金持ちになるとか、そういったことは叶えられないが」
一騎はくす、と笑った。
「アイスの当たり棒かも知れないよ」
夏休み前の、とてもささやかだったそうしからのプレゼント。
西尾商店の初売りには福引があることを思い出していた。
その翌日、一騎は訝る父の手を引いて西尾商店に買い物に行った。
そして父に引かせたくじは、見事に温泉旅行を引き当てた。
それには一騎の方が驚いてしまった。
「ね、ここに温泉なんかあるの?」
「もちろん、人工的に作ったものだがね、ちゃんとあるよ、一騎」
「それにしても」
父はペアの券を手に唸っている。
「誰と一緒に行ったらいいのだろうな」
結局、父は溝口と共に行くことにしたようだった。
まさか、遠見千鶴は誘うわけには行かなかったのだろう。
「ゆっくり休んできなよ、父さん」
一騎は炬燵でみかんを剥きながら言った。
その後、剣司は欲しかったゲームを当てた、と喜んでいた。
真矢は頑張って作った料理がうまくいった、褒められた、と嬉しそうに電話をしてきた。よほどに嬉しかったのだろう、クラス中に電話をかけまくっているらしかった。
一番嬉しそうだったのはカノンだ。
容子がカノンのために服を買ってくれた、というささやかなものだったけれど。
「今までいつも翔子という人のものだった。初めて…私のために選んでくれた。それがすごく嬉しい」
そういって涙ぐむカノンに、一騎は良かったね、といった。
よかった。本当によかった。
そして、一騎は自分には何もないことに気が付いた。
「なあ、そうし」
「なんだ?」
焼いている餅から目を離さないまま、翼だけ小さく広げる。
「俺には…」
言いかけて、一騎は口をつぐんだ。
もしかしたら、これが自分の望んだことなのかも知れない、と気付いた。
焼けた餅に醤油をつけ、海苔を巻いて皿に乗せ、そうしに差し出す。
総士を返して欲しい、という願いはささやかとは言えず、叶えられないのだろう。それが無理だとしてもせめて。
一騎はもう一つ餅を出した。
と、そうしは餅を食べながら体の向きを変え、ふわふわと浮いたままで餅の焼けるさまを見ている。
でも、きっといつか。
餅をひっくり返しながらそうしを見る。
「明日、また餅買って来ようか」
「うむ。もうあと二つしかない」
「餅買ってまたくじ引いてみるよ。今度はお菓子よりもいいのが当たるかも」
「僕はそれよりもくじというものが引いてみたいぞ」
「ああ…じゃあ…今度、こっそり引きに行こう」
何とか工夫をしよう。
たまには、天使に何かお返しをしてもいいだろう、と思っていた。
John di ghisinsei http://yokohama.cool.ne.jp/gisinsei1129/
2007/01/02