オーロラ・1
それ、を、一騎は学校の帰りに見つけた。
石段を飛び降りた時に、弾みでかばんから飛び出してしまったペンケースを拾いにいって、それを見つけた。
小さな、子供。
「どうしたの? 迷子?」
迷子にしても、明らかにおかしい。
素裸で、石段の横の植え込みにしゃがんでいる。
そして、左目に走る傷跡。
一騎は、胸の奥がずきりと痛むのを感じた。
総士がいなくなってから、すでに半年が過ぎようとしている。その間、一日とて忘れたことはない。
見れば、顔もそっくりだった。その身体を除けば。
「ね、君、どうしたの?」
「お前を待っていた」
「へ?」
せいぜい十二歳くらい、と思われるその外見からは想像も付かない態度と物言いだった。
「……」
深く考えるのは後回しにして、とりあえず、一騎はペンケースを拾い、かばんに押し込んだ。
辺りを見回しても、人は誰もいない。じき、日も暮れるだろうし、このような場所に、言葉遣いはどうあれ、子供を置いておくわけに行かない。
「えっと…君、寒くない? あの…うちにおいで」
仕方なく、一騎は言って、上着を脱いで子供の身体にかぶせた。
「これは…なんだ?」
憮然として上着を摘み上げて言う。
「何だ、って…服だよ。裸じゃ、寒いだろう?」
「…そういうものか」
「………そういうもんだよ。あのさ、君、家は?」
「家というと?」
「…いい」
一騎は一つ、ため息を落とした。
なんだか、とんでもないものを拾ったような気もする。けれども、とにかく総士にそっくりなこの子供を、あのままにはしておけなかった。
家に帰り、衣服を探す。ちょうどいい大きさのものなど、見つかるはずもなく、とりあえず、自分のTシャツを着せておこうとして、再び驚いた。
何故、真っ先に気が付かなかったのだろう。
少年の背中には、小さな羽根が付いていた。そう、あのお菓子のメーカーのマークのような。
「…これ…なに」
「なにとは? 羽に決まっているだろう」
「えっと」
額を押さえ、目を閉じて数を数え、再び、目を開ける。
やはり、羽はそこにある。
「あの…君、天使?」
「人間はそう呼ぶ」
「………」
再び額を押さえ――― 今度は、別のことに気が付いた。
「あの…胸、もあるの?」
恐る恐る、聞いてみる。何となく、少年の胸はわずかとはいえ、ふっくらとしている。
「天使には人間界のような男女の区別はない」
「あ…そう…」
三度、額に指を持っていこうとして、それさえも、諦めた。もう、何を考えても無駄な気がする。
「………なんで…天使が…その、ここに?」
「お前の願いをかなえるためだ」
ぴし、と、鼻先を指差されて、一騎はきょとん、とその指先を見つめていた。
「願いをかなえる? そりゃ、嬉しいけど…」
「ただし、条件がある」
天使、は、とてもえらそうに、座布団の上で腕組みをして反り返っている。
「例えば死んだ人間を生き返らせるとか、そういうのは無理だぞ。僕はまだ下級天使なんだから。
お前の、お前に出来る範囲での願いだ。例えば…そうだな、宿題を全問正解にしたいとか」
「…それっていんちき、って言わない?」
「だから例えば、の話だ。つまり、やろうと思えば可能だが、なかなかかなわん、そういう願いをかなえることは出来る、ということだ」
「…ふうん…」
ものの言い方まで総士にそっくりだ、と思いつつ、天使をじっくりと眺める。Tシャツの背中を切ったところから出ている小さな翼が、時折、ぱたた…と羽ばたく。どうやら、勢いづいて喋る時など、そうなってしまうらしい。
「…で…なんで俺、なの?」
「お前がすごく不幸そうな顔をしていたからな。何か願い事がかなえば幸せになれるんじゃないか、と思って」
そういうと、わずかに天使は顔を赤らめた。
「俺を幸せにして…どうすんの」
「つまり…それが僕の役目だからだ。
なんというか…今はまだ下級天使だが…つまりその、試験、なんだ」
「ああ…もしかして、ガブリエルみたいになるの?」
よくテレビなどで見る受胎告知に描かれる大天使を思い浮かべる。目の前の、小さな翼の天使はぶるぶると首を振った。
「もったいない…あそこまでなるには本当に大変なんだ。僕があと百年課題をクリアし続けても無理だ」
「課題…?」
「つまり」
天使は俯いた。
「その、下級から中級になるための試験、だ。お前を幸福にする、というのは。…今度は…受かりたい」
「落ちたの?」
天使がきっと顔を上げた。
「そ、それは…五十年前の話だ。…確かに、落ちた…だから今度こそ、と思っているのだが…」
「五十年前? 今、いくつ?」
「我々には年齢というものはない」
少ししょげたような顔に、一騎は悪いことを聞いてしまった、と思った。もしかしたら――― 彼はこれまでにも何度も落ちているのではないだろうか、そんな気がした。
「そうか…うん、悪かったな、質問攻めにして。
いいからきちんと服、着て…ああ、そうだ、名前、なんていうの?」
きょとん、と、首を傾げる。
「名前…そういうのは中級以上にならないともらえない…」
「そっか…じゃあ…俺が呼ぶ名前、付けてもいい?」
「ああ。それは構わん」
どこまでも偉そうなその仕種に、思わず笑みが洩れる。
小さな両手でカップを重そうに抱えて牛乳を飲んでいるその姿は、この上なく愛らしい。
「…そうし」
「え?」
「お前の名前。そうしだ」
少年は気難しそうに眉を寄せた。
「それは…お前が待っている人の名だろう。それをつけてしまっていいのか?」
見抜かれて、一騎は驚いたけれど、でも、天使であるなら当然かも知れなかった。
「うん…だって総士にそっくりだから。もし総士が…君の姿を借りて帰ってきてくれたならすごく嬉しい。
総士の代わりだなんて思わないよ。そんな風に思ったら自分が悲しいから」
「では何故」
一騎はそっと天使の髪に手をかざした。
「俺が総士を忘れないために。少なくとも、君がいる間は」
「しかし…」
わずかに顔をゆがめたそうしの髪を、ぐしゃぐしゃとかき混ぜる。
「…だって仕方ないだろう…君には名前がないんだから」
「…判った…」
そうしはしばらく牛乳を見つめ、やがて、言った。
「まあ、いいだろう。それでお前が幸福になれるなら」
「ああ」
一騎は頷いた。
「今度はきっと、試験、受かるよ」
微笑みかけ、そうしの髪を撫でる。それは、本当に総士の髪の感触に良く似ていた。
John di ghisinsei http://yokohama.cool.ne.jp/gisinsei1129/
2006/05/17
某チャットにて出た天使ネタです。
まだまだ続きます。