友だち






 
  
  開け放した窓から心地良い風が入ってくる。
もう秋というのに、日差しは夏と変らない。
気温が高いのも、偽装鏡面の中だから、という理由だけではなさそうだ。
 
 強い日差しがちらちらと木の間から地面に落ちる。
その光の中の茶色のものを一騎は目で追っていた。
 


 総士を庭に出すようになったのはごく最近だった。
遠見千鶴に、散歩に出す前にまず庭先でも歩かせて外に慣らしたら、と言われ、なるほど、と思って庭に出してみた。

総士は初め、怯えたように庭の一点から動こうとしなかった。
一騎が歩いてみせてもなかなか動こうとせず、無理やり手を引かねばならなかった。
一歩足を踏み出すごとに、辺りを見回し、足元の地面を観察し、を繰り返していて少しも先に進まない。
あまり無理をしても逆効果に思えて、最初は庭先の、実に三歩のところまでで引き返した。

文字通り、一歩ずつ、ということだ。一騎はため息をついた。

そうして一週間が過ぎた頃、やっと庭に慣れ、庭の草に興味を持ち始めた。
総士が庭で一番長い時間を過ごすのはレンガで囲った一角、総士用の野菜や草を植えたところだった。

今も、茶色の尻はそのレンガで囲った畑の前で止まっている。
時おり、伸び上がって中の様子を覗いている。
満足そうに胸元のふさふさした毛並みをなで、とん、と足を踏み鳴らす。

「一騎、はこべ」
短い手で、畑のひと隅に植えてあるはこべを嬉しそうに指してみせる。はこべは総士の好物の一つだ。
「後で食べような、総士。今日はこれからお出かけだよ」

 今日は、総士を皆に会わせようと思っていた。
いわば、お披露目の日だ。
羽佐間容子に作ってもらった、小さな総士用のアルヴィスの制服と、小さめのスカーフ。
「うん、良く似合うよ」
笑いかけると、総士は不思議そうに首を傾げた。

「さ、出かけようか」
支度を終えて、総士を抱き上げる。
時々歩きたがるそうしを下ろし、しかし、それではなかなか進まないので抱き上げて早足で行く。
そして、また下ろす。

その繰り返しで、アルヴィスに着いた時にはほとんどぎりぎりだった。
総士、急がなくちゃ」
「……」
分からない、というように口をすぼめた総士に、
「急ぐよ!」
と言って走る真似をしてみせる。
と、総士はその長い足でとーん、と跳ねた。

もっとも、それでやっと早足の一騎と同じくらいなのだが、一騎は満足だった。
時間に遅れなかったことよりも、総士がきちんと理解してくれたことが嬉しかった。




 アルヴィスではすでに遠見千鶴や羽佐間容子が皆に説明してくれているはずだ。
何人かは施設へ見学も行ったらしい。

一騎は総士が跳ねる様を見ながら小さく笑った。
そのうち、あの施設にいた他のうさぎたちもこうして外に出られる日が来るだろう。

 そして、それはおそらくこの自分にかかっている。
思わず、口元を引き締めていた。
 次期司令と目されている自分が、彼らを導いていくことになるのだろう。

「かずき!」
廊下の向こうからの総士の呼び声に、はっと我に返る。
「あ、総士、こっちだよ」
行き過ぎてしまった総士を手招きし、まずはメディカルに向った。

千鶴は総士を見るとやさしく微笑んだ。

「いらっしゃい、待ってたわ、総士君」
にっこりと微笑みかけ、小さな前足を取る。
総士も鼻をひくつかせ、にこ、と笑った。
「せんせ、服、似合うって一騎が言ってた」
「ええ、似合うわ。そうし君、お話、上手になったわねえ」
にこにこと嬉しそうに言われて、総士も嬉しかったのだろう、こく、と大きく頷いた。

「先生、あの…大丈夫でしょうか」
不安は拭いきれない。
友人たちを信じていないわけではない。信じているが、それでも、彼らも人だ。
人間たちは自分も含め、自らを至上の存在だと無意識に思い込んでいる存在である。
総士がどんな目に遭うのか、と考えると心臓が止まりそうになる。

「大丈夫よ、今頃、羽佐間先生と一緒に会議室にいるはずよ。さあ、行きましょう」
千鶴に促され、メディカルを出て会議室へ向う。
その間、総士は千鶴に手を繋いでもらい、楽しそうにスキップをしていた。
知らない場所へ来た、という不安はなさそうで、一騎は少しだけ安堵した。



 会議室手前で、羽佐間容子が待っていた。
総士君、いらっしゃい」
やわらかな微笑で総士を出迎える。
釣られて微笑んでしまうような、温かい笑みだった。
「良く似合うわ、総士君。さあ、みんな、待ってるわよ」
「……」
一騎の方を振り返る瞳には、少しだけ不安そうな色があった。
「大丈夫だよ」
一騎は笑いかけた。
「お前も今日からアルヴィスに一緒に通えるんだ。そのためにみんなにご挨拶しなくちゃね」
「…あいさつ…」
「そ、こんにちは、ってね」
「……」
総士はしばらく胸元の柔らかい毛に両手を当てて考えているようだった。
耳が、ひくひくと動いている。考え込んでいる時のクセだ。

「もうすっかり言葉は大丈夫?」
「そうですね…微妙な言いまわしっていうか。
あまり細かいのはダメみたいですが、普通に話す分には。そうだな…五歳くらいの子と会話してる感じかな?」
五歳くらい、といったところで、一騎の周りにそのくらいの歳の子供はいない。ただ、幼児と話しているような感覚なので、適当に五歳、と言ってみた。

「羽佐間先生は…その…こういううさぎ、ってどのくらい…ご存知なんですか? あの、つまり何人くらい、という意味で」
一騎は言葉を探した。
つまりは、今、自分がしているようにかつてうさぎと同居したことがあるのだろうか、ということが聞きたかったのだ。
遠見千鶴と同じくらい、彼らのことは良く知っている様子だった。

「あら、私も良く施設に行ってたのよ」
羽佐間容子はころころと笑った。
「彼らの洋服作ったり、ご飯の支度のお手伝いしたり。
最近、時間がなくなってしまっただけ」
「そうだったんですか」
それなら、詳しいはずだ。

さらに容子が何か言いかけた時―――
会議室の方で、何か叫び声のような、悲鳴のようなものが聞こえて、一騎ははっと振り返った。

総士?」
見ると総士がものすごい勢いで四つ足で跳ねてくる。
目をむいて、その長い両耳はぺたりと後ろに張り付いている。
「そ…」
もう一度名前を呼ぶいとまはなかった。
総士に飛びつかれ、あまりの勢いにひっくり返りそうになって容子に支えられた。
「一騎くん! 大丈夫? 総士君、どうしたの?」
総士?」
後ろ足で思い切り蹴られて胸が痛むのを堪え、抱きついて離さない総士を引き剥がす。
その体は小刻みにぶるぶると震えていた。

「一騎くん、大丈夫だった?」
千鶴が駆けて来る。一騎はその後ろを見やった。
「どうしたんだ、総士に何やったんだよ!」
思わず、怒鳴っていた。
肩に抱きついてくる小さな両手が震えている。
きっと、何かされたに違いない。そう思った。

「違うのよ」
遠見千鶴の言葉に被さるように、遠見真矢の、
「なんで逃げるの? ねえ、写真、撮らせて!」
という金切り声が響いた。
「待て、真矢、私が先だ」
カノンの声もする。

皆で、わやわやとカメラを手に走ってくる。
「おい…どうしたんだ、いきなり! 頼むよ、総士を脅かさないでくれ」
「驚いたのならすまなかった、そうし…あの」
カノンが、打って変わって静かな声で語りかける。
総士、写真を一枚…」
「ちょっと。なんで」
真矢の小声が聞こえた。低い声で言いながら、カノンの脇を肘で押している。
会議室の入り口のところからは顔がいくつも覗いている。
皆、その手にカメラを持っているのを見て、一騎は眩暈がした。

「おい。見世物じゃないぞ」
「分かっている。可愛いから写真をと」
「だから私が先だってば」
「何故!」
総士はといえば、一騎の肩に顔を埋めてぶるぶる震えていた。
「待ってくれ、今日はただの顔見世なんだ、そんな時に脅かさないでくれ、すっかり怯えてるじゃないか」
口早に言うと、総士を背中に庇い、そのままじりじりと後退した。
「大丈夫だ、総士。少しだけだ」
「そう、一枚でいいの」
カノンと真矢もじりじりと迫ってくる。
千鶴も容子も呆れたように見ていたが、やがて、
「ちょっとお止めなさい、二人とも」
ようやく割って入ってくれた。
総士君はまだあまり人に慣れてないのよ、そのことはちゃんと話してあった筈よ」
千鶴が説教を始めた隙に、一騎は総士を抱えこんだ。
総士、今のうちに逃げよう」

総士を抱きかかえ、走ってアルヴィスを出る。
後ろから真矢の声が聞こえた。

外まで出て、初めてほうっと安堵の息を漏らし、総士を地面に下ろした。
総士はまだ、少し震えている。
総士、ごめんな、驚いたろう」
こくん、と小さく頷く。その目には、涙が滲んでいる。

「あのな、驚いたかもしれないけど…でも、みんな総士が大好きなんだよ」
総士に良く理解できるように、ゆっくりと話す。
総士、友達、って分かるだろう?」
「…ともだち…せんせのところに少し」
考え考え、ゆっくりと呟くように言う。
施設では、友人はいたのだろう。一騎は頷いた。
「うん…そう、友だち。みんな、総士と友達になりたかったんだ。仲良くしたかったんだよ」
「…仲良く…?」
「うん、みんな、総士が大好きなんだ」

もう、今日は駄目だろう。

石段を、家に向って登ってゆく。総士は器用にとん、とん、と跳ねてゆく。
跳ねるたびに、丸いしっぽが小刻みに動くさまが、なんとも可愛い。

家の前まで来ると、総士は一騎の首に飛びついてきた。
「今度、またアルヴィスに行こう。その時はもっとみんなと仲良くできるかな」
「……」
総士の瞳はまだ不安そうだった。


その日の夕食は、機嫌をとる意味もあって、総士の大好物を並べた。

「はこべも洗ったよ、食べていいよ」
嬉しそうにはこべを手に、次々と食べてゆく。
忙しく動く口元が愛らしい。遠見やカノンが写真を撮りたがるのも理解できる。

そういえばうちじゃ、全然写真、撮ってないな。
今度、写真に撮っておこうかな、と思った。
記念にいいかもしれないし、カメラに慣らす意味でも必要かもしれない。
もしかしたら、今日、あれだけ怯えたのはカメラに対する恐怖心かもしれない、と、今さらのように一騎は思った。



夜になって、寝る頃には総士の不安はきれいに消えたようだった。
布団を敷いている一騎の横に来て、
「またお散歩する?」
舌足らずな言葉で聞いてくる。
「お散歩? お庭の?」
軽く首を振る。長い耳が、ゆらゆらと揺れた。
「一騎のお散歩するところ」
「あ…アルヴィス?」
しばらく考えてから言ってみると、総士は頷いた。
「…ああ…そうだね。しばらくしたらまた行こう。
そうすればいつも一緒にいられるんだよ」
「いっしょ」
嬉しそうに首に抱きついてくる。
一騎は笑い、総士を抱いて布団に入った。

「さ…今日はもう疲れたね。寝よう。明日、また遊ぼう」
きゅ、と首に抱きついてくるぬくもりに微笑み―――
皆に懐いてくれないと困るな、と思いつつも、このように懐いてくれるのは自分に対してだけでいいのだ、とも思う。

一騎は苦笑して総士を抱き締め、目を閉じた。















 

 


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2008/10/15